• 2018/06
  • 20 Wednesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 10

旅を続けていると、進んだだけの疲弊がアリ。







苦労させてるなぁ…………。

歩んだら歩んだだけ、暴れたら暴れただけ、
足元がボロくなってくのは、ガキの頃から変わらない、俺。



………………靴を変えれば?とか言う意見は聞く気がない。
  • 2018/06
  • 19 Tuesday
  • 23:00

LAST×FAST 09

誰もが本当の事を言わなくなる。

何かを発言したり、発信する度に反対の意見が出て、
反対の意見は当然と思えても、揶揄や下衆の勘ぐり、
ともすれば発言や発信の内容が不謹慎だとされる。

エチケットやマナーやコンプライアンスが凶器になり、
平等や公平が叫ばれ清廉潔白な意見が求められる。

誰もが、差別の無い平和的な意見になるよう注意し、
非難から避難する様に誹謗中傷を避け発言し発信するが、
其処に、本当の意見は存在するのだろうか?

悪意の無い、個人の好き嫌いでの意見すら、
非常識で不謹慎だと揶揄される事になれば、
誰も本当の事を言わなくなるだろう。

嘘や誤魔化しが増えていく中で、鬱積した本当は、
どんな歪んだカタチで現れるのだろう。


CHAPTER:09
SOLID, BATTLE FIELD


強さは常に試される。
強さを測り決める基準は明確には存在しないが、
平均を軸に目安としての、肉体や精神や経済や暴力など、
様々な事で強さは表され、優劣や格差は示される。

明確に基準が存在しなくとも、強さとは何か?を
単純な一言で表すとするならば、能力の高さだろう。

能力の高い者を「強者」能力の低い者を「弱者」とする。
その目安そのものが少しズレた感覚とも思えるが、
如何せん世間の風潮は、能力の高い者と低い者を別けたがる。

そうした風潮を前提にして話を進めてみると、
強者は持てる者、弱者は持たざる者となるのは当然だが、
昨今の世界で止め処なく流れてくる情報の多くは、
弱者(もしくは弱者を装う人々)が権利や賠償を求め、
世間の意見や風潮がその後押しをするケースが散見される。

弱者が虐げられて黙っていなければならない決まりは無く、
弱者の立場を考えずに搾取する強者を見過ごす事は無いが、
人種や性別や障害等の明確な弱者的立場に留まらず、
経済的立場や精神的優位に加え情報でも強者弱者が問われ、
これもまたズレた感覚に思えてしまうのだが、
強者は分け与えるべき。と、する意見が少なくない。

こうした話の中を歩みながら疑問に思うのだが、
明確な弱者では無く、弱者的な立場に居る人達は、
何故、弱者的な立場を脱しようとしないのだろうか?

「弱いのだから当たり前だ」と言う意見が出てきそうだが、
疑問の本質としては、弱者に甘んじる理由を考察したい。

肉体的障害、精神的障害、生まれながらの障害は、
現代社会でも明確に生き難いのは周知の事実だし、
後天性にしても数々の困難が存在する事は誰もが知っている。

だが、生まれ持った障害と、生まれによる差は別のモノだし、
後天性の障害と、後天的な差もまた別のモノであって、
障害と差は別けて考えるべきでは無いのだろうか。

先天性の障害や差を「運」という言葉で括ると、
後天性の障害もまた「運」という以外に無くなるが、
後天的な差は「運」によるものでは無く、
本人の積み重ねに因るところが大きい。

「喋りが上手いヤツはいいよな」
「結局は金持ちがモテんだよ」
「強いヤツは平気だろうけどさ」
そんな言葉を口にしたり、気持ちを持った事は?

一度も無いのであれば、この考察を読む必要は無いが、
口にしたり思った事が有る人に聞いてみたい。

何故、喋りが上手くなろうと努力しなかった?
何故、金持ちになろうと能力を磨く事を怠った?
何故、強くなり平常心を保てる自分にならなかった?

この質問に対して、「だって」や「でも」は、
先天性・後天性の障害を持つ人だけが使うべきで、
先天的であれ後天的であれ、差を理由に使うのは、
自己中心的な言い訳に過ぎないのではないだろうか?

「努力しようとしたが出来なかった」
「積み重ねが必要だと気付いてなかった」
「頑張っていたが上手くいかなかった」
其れらは全て、自分の選択ミスでしかないし、
他人を妬んだり、誰かに権利を主張するべきモノじゃない。

歳を重ね、自分の理想や望んだ結果が得られなかった時、
「こんな事になるなんて知らなかった」
と嘆くのは簡単だし自由だが、責任は全て自分に有り、
知らなかった事が間違いじゃなかったとしても、
積み重ねず磨きもせずに生きていて弱者になったのに、
状況や環境に文句を言い、他人を妬み権利を主張するのは、
浅ましく卑しいと思わないだろうか?

さて、考察は程々にしておいて、話を本筋に戻そう。
努力を積み重ね、能力を磨き、運を掴む事が出来た者。
其れを強者とした時に、その実績を表す一つとして、
世界的に共通するのは、金銭的な裕福さである。

「金銭的な裕福さ」は、特に誹謗中傷の的になり易いが、
その原因は、単なる妬みや嫉みであるだけで無く、
「金銭的な裕福さ」が、どの様なモノかを知らないからであり、
弱者が強者の心理を理解していない事によく似ている。

「金銭的な裕福さ」はあくまでも指標でしかなく、
本質的な強さとは別のところに存在するのだが、
兎角、同一視され妬まれがちなモノだ。

その理由の多くは、経済力は権力や支配力を生むからで、
様々な宗教で御立派な建造物を見るだけでも解る事で、
先に権力や支配力は生まれず、経済力が権力と支配を生む。
そうでもなく可能なのは、絶対的な暴力ぐらいのものだ。

経済力にしろ暴力にしろ継続に必要になるのは、
やはり積み重ね磨き上げた能力の高さであるが、
能力の高い者は強者として扱われ、常に試される。

先に述べた様に、強者は様々なモノを得る事が出来るが、
保有し続けるのが容易で無い事は想像に難くなく、
何処までいっても、弱肉強食のルールからは逃れられない。

其れに比べて、弱者的な立場でいようとする者は気楽だ。
一定の搾取の対価として一定の保障が用意され、
言論・思想・宗教の自由を公の場で疑問視される事は少なく、
匿名性を隠れ蓑に意見も文句も言いたい放題。
公的な責任を問われても、一般市民という立場を盾にし、
弱肉強食のルールが間違ってると騒ぎだす。
と、並べ立てるのはあまりにも偏見的だろうか?

だが、昨今の情勢を鑑みると並べ立てての疑問視も湧くし、
弱者的な立場から、強者を自分達のレベルに引き下げようと、
躍起になって不満を並べ立てる事象が目に余る程で、
その労力を、自己を高める事に使わないのが不思議でならない。

確かに大変な事ではある。
と、前置きをせずに述べるのが憚れるが、
職場の辛さや、妊娠・育児の辛さや、生活の辛さ、
その原因・責任の多くを、社会や環境や政治に求め、
生産的よりも否定的な意見と権利の主張を繰り返す。
そしてその挙句が、持てる者・強者への誹謗中傷や、
妬み嫉みが綯交ぜになった恣意的な文句になる。

自分が辛く大変だからと他人を羨み妬んでは、
嫌な事を並べて順に文句や苦情を述べるが、
嫌な事を嫌だと思ってしまう自分を直す気は無いのだろうか?

辛く嫌な事態や状況を生み出したのは自分だと、
省みて、努力を積み重ねて強い自分になるよりも、
文句と権利の主張をする方が、楽だからだろうか?

楽なのは文句を言って権利の主張をする方だとしても、
幸福感や充実した時間を多く得られるのは、
努力を積み重ねて強い自分になる方だと思うのだが。

哲学者のニーチェは、キリスト教に対して、
「弱者によるルサンチマンの反逆」としているが、
今日では、キリスト教的な道徳に限らず多くの人が、
弱者的な自分達の水準まで、強者を引き下げようとする。

アレが良くない、コレも悪い、ソレは不謹慎だ。
と、如何にも正当な道徳や倫理感で語るふりで苦言を呈すが、
本当は、アレもコレもソレも自分が嫌なだけじゃないだろうか?
其れは、弱者的な立場を利用した単なる我儘な意見で、
我慢や忍耐を持つ努力を怠った、愚者でしかない。

価値基準や責任を外側に求め、自分達の権利は主張する。
もし、価値基準も責任も外側(強者や権力側)が果たし、
主張した権利もまた全て保障される社会になったとしたら、
その皺寄せは弱者的な立場の人達へと矛先を向けるだけだ。

つまり、
強者は常に試され、分け与えろと迫られ続けると、
表向きは弱者の意見を聞き、権利主張に応じるが、
正当でない、弱者のルサンチマンが原動力の場合、
強者は鬱積した本当を原動力に、本当を隠して搾取を増やす。

そうなってら、今度は何処に弱者の権利を向ける?
気が付かぬうちに増幅した搾取が自業自得だと理解せず、
更に弱者のルサンチマンを募らせて叫ぶだけだろうか?
其れこそ、弱者ですらない愚者というヤツだ。


創り手として、ブランドとして、長い時間を過ごす中で、
何時の間にか組み上がり決め付けられていく、
自分が思ってもいない、権力や立場や強者としての扱い。

そんなモノが欲しくて、積み重ね磨き続けてはいないし、
強さは、金銭的な裕福さでは無く、貫く意思だと思っている。

貫く意思が、シンプルでストレートにぶつかり合う。
クリエイションのスピードと暴力を出し合って、
果たしてどんなカタチが生み出されるのか?
そんな強さの試し合いこそが面白い。

売上げで競い金銭的な裕福さを誇る強者にも、
影でコソコソと文句と自己主張を繰り返す弱者にも、
グダグダと行動しない言い訳を並べ立てる愚者にも、
なりたくもないし、なろうとも思わない。

クリエイションの暴力で殴り飛ばして、
クリエイションのスピードで旅をする。
そんな奴が業界にとって迷惑でしかないと言うなら、
常に、悪者で構わないぜ、俺。
  • 2018/06
  • 12 Tuesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs MAD CULT

奇妙に感じる時は、大概が自分の捉え方で、
其れが日常な人達にとっては当たり前だったりする。

彫金の世界では、バトルなんてしてる方が奇妙だし、
短時間でカタチを生み出すのもまた奇妙な事だ。



地金板の切れっ端とスカルのベースリング。
こっからスタートして始まりましたバトル。

MAD CULTののシンとのバトルも2回目だったが、
奇妙な結果になっていったなぁ、俺。

1R


回転系の流れが苦手なシンに、グルグルっとな。
ピーマン嫌いでも食べなさい的な攻め方、俺。



スカルのベースリングをスカルに彫ってくる。
やっぱり肉が好き的な攻め方のシン。

2R


なんでなんだか解らないけど、急に脳裏に古谷巨匠が浮かび、
ガリガリガリっと、スペアリブ的なデビルマン。



随分、地金彫るの上手くなったなぁ。
と、言ったら失礼かもしれんが、纏め方がよろしい。
ピーマン肉詰め的な感じ。

3R

も少し回転足して仕上がり。
ピーマン肉詰めって、何かけんだろ?
ケチャップ、デミグラス、醤油、ソース?


やっぱり纏め方も上手くなったなぁ。
BBQソースよりも粗挽き胡椒多目のスペアリブ。

何で古谷巨匠だったんだろう?
理由は解らないんですが、巨匠とも遊びたかったんかな?

多分、もうバトルとかで遊んでくれないだろうけど。
  • 2018/06
  • 11 Monday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs GLAM SCALE

奇妙なと言ったら最も奇妙な対戦相手。
毎年バトルする事、何年目になるんだか?


星になった男・リーダー日山。

今回の目的は、故郷に錦を飾りに都落ちしたリーダーに、
華を持たせるバトルにする事だったので頑張った、俺。


ベースリングと地金板の切れっ端からスタート。

1R


全力でリーダーの造型に寄せていき、
要所要所にリーダーの特徴である「イタさ」を鏤める、俺。


対してリーダーも俺の流れに寄せてきたらしいが、
大して寄り切れて無いし彫りが浅かった。

2R


斬り返しのオーバーキルで、リーダーに寄せ直し、
やはり随所に「イタさ」を盛り込む、俺。



リーダーが得意の自社パーツ盛り込みを出した。
マヨネーズかけたら何でもマヨネーズ味的な発想で。
これぞ、リーダーの持ち味!!

3R



今回はリーダーに華を持たせるのが目的なので、
全力でリーダーに寄せて「イタさ」を増幅。
尖りまくって身に着けるだけで、イタい完了。



そしたらリーダーも全く流れに逆らわず、
全力で自社製品的な仕上げに持ち込んだので、
甲殻魔道具サイバーマヨネーズ味になりました。

全力で寄せるとリーダーとのバトルもカタチになる。
そんな奇妙な対戦だったが、何よりも奇妙だったのは……





コレが……………


コーなる。


時の流れか、環境か、不摂生か、性格なのか?
何とも言えない「イタさ」が…………………。


まったくもって奇妙なモンだった。
  • 2018/06
  • 10 Sunday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs F.A.L

奇妙な情景であって、奇妙な感覚にもなったバトル。



毎度ながら俺が地金板からスタートして、
F.A.Lの山本名人が自ら持ち込んだベースリングから。

1R

切り込んで、ザックリのフォルムとザックリの流れ。
軽めの攻めで名人の出方を見たかった、俺。



名人も名人で、流れもフォルムも決め切らない。
コチラの出方を伺う感じなんだと思った、俺。

2R


ギアを上げて一気に攻め込んだ、俺。
さぁ、名人の此処からの撃ち返しが見たい。

と、思ってた。が…………、


名人で側は攻め込むというよりも、
ベクトルを決めるフォルムの纏め方。

…………バトルの感覚というよりも、
何かを差し出し合う様な、問い掛け合う様な、
そんな奇妙な感覚になっていった。

3R

今迄、バトルとして経験してきた中で、
最も奇妙な感覚だったが、其れにライドオンしてみた、俺。





もしもこの感覚が、名人のスタイルに依るものなら、
ライドオンしてる時点で俺の負けなんだが、
同時にバトルですら無くなるので、また奇妙だ。

4R






「俺はこうだ!!」「やれるもんならやってみやがれ」
そんなバトルの闘争心の言葉や心理では無くて、
「こうだと思う」「これもアリなんじゃないか?」
そうやって纏め合う様な、奇妙な感覚。

嫌いじゃあなかったなぁ、俺。
  • 2018/06
  • 09 Saturday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs RAT RACE

創り手同士で技術とセンスを短時間に凝縮しぶつけ合う。
此れもまた、旅の最中の奇妙な情景。

1ROUNDはベースリング01をRATのオヤジが攻め。



地金板から俺が攻め。


1ROUNDのラスト10分。
自分にとって最速のラッシュで成型した、俺。
この日は何故だかバーナーの調子が悪くて、
其の前段階迄に時間が掛かり過ぎてたからだが、
最速ラッシュは10分以上は手が保たない、俺。

勝負が既に1ROUNDで決まってたのは、
互いの意地っ張りと攻め手が真っ向から噛み合ったから。

正面から殴り合ったらダブルノックアウトで、
後はもう互いの流れに乗るのみ。

2R





3R






4R





結局、オヤジと俺のバトルは、こーなる。
でも、こんだけ真っ向から殴り合える相手って、
他にいんのかな?

  • 2018/06
  • 07 Thursday
  • 23:00

LAST×FAST 08

関係性と距離の類似について考える事がある。
何方に対しても、遠いとか近いとかの感覚を持つ点、
何方に対しても、測る事で行動を決めている点、
何方に対しても、目的があらば対価を支払う必要がある点。

どんな事でも細かく言えば対価は必要となるが、
常に其れを意識して生きている人はあまり多くない。

意識せず払う事もせず、積み上げた対価は、
孰れ、代償として払う事になる。


CHAPTER: 08
JAPAN ROAD 02


身近では無い人には対価を払うが、
身近な人には対価を払わない。

身近な人と会うのにお金を払う人は少ないだろう。
だが、身近で無い人と会うには人はお金を払う。

男性でも女性でも、夜の街で異性と触れ合う店に行き、
楽しんだとて帰り際には必ず支払いが伴う。

コンサートやライブに行くには、必ず支払いが必要だ。
しかし、友人や恋人に会うのに相手にお金を支払うだろうか?

答は、特異な例を除いて、きっとNOだ。

2010年代に入り、関係性も距離も遠い相手が、
身近に感じられるツールは沢山増えはしたが、
先のCHAPTERでも触れた様に、知らずのうちにだとしても、
高い対価は自動的に支払わされているものだし、
実際には、近くなった様な気がしているだけでしかない。

誰か、著名人なりがSNSで心情を吐露したとして、
其れを見て意見が出来る事を身近に感じるとするならば、
関係性や距離について少し考えてみた方が良いだろう。

発信された情報だけを知って言葉を並べるその他大勢と、
実際の交流によって培われる関係性には大きな違いが在り、
パーソナルが不明な意見は、単なるその他大勢だ。

勿論、そうで無いケースも現在では有りがちな事だが、
流れてくる情報と実物とに距離が在るのもご存知の通り。
貴方の勝手なフィルターで世界が曇っていないのなら、だが。

お金が対価として全てに相応しいがどうかは別にして、
一般的に解り易い対価であるのは間違いがなく、
お金もまた、労働や能力への対価として存在する。

家族や友人、恋人との関係性の中で対価を決めるのは難しく、
その対価をお金と言う解り易い対価で換算は出来ない。
個人によって対価の定めは違うし、支払い期限も違う。

感謝や誠意、愛情などの言葉に代表される様に、
物質的でない何かを対価として考える向きもあるが、
一時的でしかない其れ等は、対価と呼ぶには脆く、
至極、一方的な感情に過ぎない場合も少なくない。

実際の距離を近くするのには必ず対価が必要だ。
シンガポールからベルリンまで行くのに払う対価は?
飛行機を使わず、歩くにしてもヒッチハイクでも、
どれだけの時間と労力とリスクを対価として支払うだろう?
其の対価を考えて行くのを躊躇う人は多い。

しかし、恋人に会うのに対価を考える人は少ない。
待ち合わせ場所を決めず、車で家に迎えに来て貰い、
1日遊んでまた家まで送って貰ったとして、
其処に対価を払う必要性は考えているだろうか?

関係性が近くなった最初の頃は考えもするかも知れない。
やがて付き合いが長くなり関係性の近さが当然となり、
迎えが来るのが習慣として染み付いてきた頃には、
対価の事は何も考えず、感謝すら表面的になって、
迎えが来なければ文句すら口にし相手を責める事になる。

関係性は近くなればなる程に必ず甘えが生じ、
距離も同じく、自宅の近所であれば警戒心は減り、
勝手知ったる道に対しては緊張感も不安も抱かなくなる。

対価は常に払わなければならないのだが、
自らが生み出した、甘えが其の事を忘れさせてしまう。

少し話の歩みを止めて違う方角を向く必要がありそうだ、
話題に挙がりがちな暗号通貨の方へ進めてみよう。

「大馬鹿理論」によって成り立っている事の多い暗号通貨は、
株式などとは違い、製品やサービスや資産を
「トークン」として発行する事が主流になっているが、
つまりは何かしらの商品をトークンにしているので、
トークンを使って、特定の製品やサービスを提供を受ける。

IOCによって独自のトークンを発行して資金調達を行う。
株式の売却をするIPOに代わって台頭してきた方法は、
ブロックチェーンという技術によって成り立っているが、
かなりの数のIOCが抱える問題として投機的売却だ。

まともな企業としてのIOCであれば、対価が存在し、
現実社会で受ける製品やサービスが存在するが、
投機目的の者達にとっては、トークンの原資産は意味を成さない。

それならば、トークンをベッグ制(現実対価との固定)にして、
変動幅やヴォラリティを減らせば良いだけだが、
欲は身近な現実に甘えを生じさせるのが常で、
自分が所有する資産の価値が上がる事を皆が望む。

つまり、無償で手に入る金を逃したく無いと、
多くの人が望めば望む程、現実の対価との距離が遠退き、
「大馬鹿理論」でトークンだけを見て手を出した人々が、
紙屑にすらならないデジタルの記号に代償を払う事になる。
そして、決まって自分の愚かさよりも誰かを責める。

どうやら違う方角を向きながら同じ地点に戻ったようだ、
話の歩みを先へと進める事にしよう。
対価を払うべきと人が自発的になる多くの場面には大義が在る。
事の大小、其れが何の為であるかに関わらず、
大義を感じる事で対価や代償をも厭わなくなるが、
時には大義を理由に理不尽な行いに走る人々もいる。

大義というのは、其れが為されて始めて大義と成る。
正しさは後世によって変わりはするものの、
為さねば成らぬの言葉通り、理想を語るだけでは意味は無い。

道半ば志半ばで大義を為す事が途絶えたとして、
もしくは、大義を大義と認められ無かったとしても、
其の過程は、物語として後世に何かを残す事もあるが、
必ず其れ相応の対価を払った事で何かを残してきた。

何かに対する不満や、何かに対する憤りを晴らそうと、
現状打破の理想を語る者が尽きる事は無いが、
為す事も無い理想は絵空事と変わらず幻想だ。

理想や幻想に留めるだけならば、払う対価も無いかもだが、
想うだけ、語るだけで対価を払わずに生きていれば、
孰れ必ず、対価に留まらない代償を払う事になる。
何も為さないでいた過去の自分に代わって、現在の自分が。

想いが無いままの行動は意味を成さないが、
想いだけで行動が無ければ何も成さない。
払うべき対価にすら気が付かないままならば、
現実との関係性も距離も気が付かないうちに遠去かる。

大義が有った。
とは、自分の活動を振り返っても言い難い。
JAPAN ROADでやってきた事をそう思う。

だが、理想が無かったかと言えばそうでは無いし、
其の理想が自分にとっての大義にはなっていた。

旅をして、何処かで何かを創ると言う、彫金に必要無い行為。
平たく言えば、ツアーやイベントでの物創り、
彫金の実演が必要で無かった世界に対して、
一つの形式として根付かせる事は理想だった。

現状で、シルバーアクセサリーの業界で見ればだが、
其の理想も大義も成したと言っても過分無いだろう。
其の為に、多くの対価も多くの代償も払ってきたが、
何かの権利が有るなんて思っちゃいない。
ただ、自分の納得が得られただけだ、俺。

後に続く者が在ってこその道であるからにして、
この先は道を歩んでいく者達が為すべき大義であり、
道を外れた俺は、外道として旅を続けるのみ。
  • 2018/06
  • 06 Wednesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 09

旅の最中に時々、思うんです。



やっぱり…………、



基本的には、ガムテープで直すモンなんだと。

今でも、左手の後遺症で物が握れなくなるので、
ガムテープで固定して作業する事が屡々なんですが、俺。

屡々じゃなくて、毎日ガムテープだったら治るんすかね?
  • 2018/06
  • 05 Tuesday
  • 23:00

LAST×FAST 07

共通項を探す。誰かと自分とに共通する何か。
年齢、出身地、学歴、趣味、仕事、なんでも良いから、
お互いに共通する何かが有れば解り合える。

そう思っている時、
探してるのは共通の何かであったとしても、
求めてるのは通用する自分ではないだろうか?

通じる事が大切なのだろう。
祈りでも、想いでも、対象に通じて欲しいと願い、
そしてその為に様々な自分を用意し、設定していく。

孰れ、用意し設定しただけの筈の自分は、
本来の自分を歪ませ侵食し、覆い隠してもいくが、
そうなってしまった自分に、自分では気が付かない。


CHAPTER: 07
ANOTHER BLOOD


趣味の合わない人を少し忌避した事はないだろうか?
「コレの良さが解らないなんて…」の様な気持ちや、
「アレを馬鹿にするなんて許せない」みたいな感情は?

誰しも自分が強く信じたり好意や好感を持っている対象を
他の誰かに理解されなかったり拒否されると、
ある種の決まり切ったパターンで感情が動く。

中でも最も多いのが、その誰かへの理解を中止する事で、
単純で日常的に起こる感情の動きではあるが、
自分が受け入れられないなら、相手も受け入れない。
とても普通な反応だ。

この普通という事、または普通とされる事を嫌う人も多く、
アングラさやマイノリティである事を好んで、
スノッブな自分で在ろうとしてしまう人に多いのだが、
普通を嫌うが、普通の意味を正しく理解しているだろうか?
一般常識的である事と、普通である事を履き違えていないか?

普、つまり広範囲に対して、認識され通じる事が、
其れが普通であって、一般常識的や大衆的とは違う。
また、場面によっては普通である事こそが素晴らしい。

スノッブな人達は皆、装うのが大好きだ。

セクシャルハラスメントを糾弾しながら、
同性同士では聞くに堪えないセクシャルな陰口を言い、
性差別や暴力や体罰反対と騒ぎ立てているのに、
人気の漫画やアニメに出てくるのは、
乳を半分くらい放り出した女性キャラクターと、
最後は暴力で問題解決するお馴染みのストーリー。

性的倒錯者などの異常な犯罪が起これば、
漫画やアニメやゲームが悪いと、また騒ぎ出すが、
ストーカーや脅迫まがいが頻繁に起こる、
アイドルやタレントの売り方や演出は取り沙汰され難い。

パワーハラスメントやモラルハラスメントを
原因や理由を探るよりも先に片っ端から糾弾するが、
お客様は神様だと言わんばかりの態度で外食し、
公務員には厳しい言葉を浴びせ低賃金が相応しいと言う。

伝統や文化を重んじろと尤もらしい意見を口にするが、
ハーフタレントは敬語を使えなくても容認するし、
相撲の土俵に女性が上がれないのは差別だとする。

職場では仕事に集中し輪を乱さない事が常識人だと述べるが、
県議会に子連れでの出席が認められないと問題にする。

グロテスクやカオスを望んで邪教紛いの装いが好きだが、
実際の暴力には対応出来ないで背を向けるし、
猫を見かけると生け贄にするどころか可愛がる。

一般とは違うつもりの自分の趣味や嗜好を誇りたがるが、
誰かに承認されないと耐えられず呟きや自己発信を繰り返し、
それでも相手にされないと媚びを売る方法を探り始める。

無頼を気取って世の中に唾を吐く様な態度で生きるが、
貧すれば国の制度が悪いし、親が悪いと喚き出し、
窮すれば国の制度にすがり、親の優しさを求む。

ジャーナリズムを大義名分に悪を暴かんばかりの態度だが、
スポンサーの意向には逆らえないし世相には流され、
真実よりも何がウケるかに注力して発信する。

装いや建前は繰り返すうちにいつしか本当の自分を飲み込み、
正当化を始めて理由や原因を、自分以外に設定する。

何かに行き詰まった際に男性が口にする、
「俺は本当は、こんな奴じゃない」や、
理解が得られない時に女性が口にする、
「私の何が解るって言うの?」という言葉は、
その前に、本当の自分や本心を出していない場合が多い。
それでは本当の自分を認め理解して貰うのは無理だ。

例え本当の自分や本心を誰かに打ち明けたとしても、
それまでに積み上げてしまった仮初めの自分が邪魔をし、
相手の承認や理解に届く事を妨げてしまう。

それでも、
承認や理解を求めて原因や理由を他に押し付ける。
斯様に、人は身勝手な生き物だと認めるより他に無い。

争いも無く平等で平和で差別も格差も無い世界を
本当に人類が望んでいるのなら、共産主義は成立しているし、
菜食主義が一般化し動物が全て愛護されるならば、
人類の数は半分以下で、産業も社会も発展しない。

文化や文明は争いの中で派生し発展してきた。
其れを愚かと言うか、人類の業として認めるか、
判断は時代毎の個々に委ねられているものだが、
派生や発展の核には、通じようが通じまいが、
装いでは無く、本気で何かを成そうとした者が居る。

自分のブランドやスタイルを鑑みても、
何処かに属し難い事を続けているのは理解している。
しかし自分にとっては、そうである事が普通だ。

アメリカンヴィンテージの世界の中で考えてみても、
何かに属したり、普通である事は認められ無いと思うし、
その為に自分のスタイルを変えようとも思わない。

アメリカンヴィンテージからの影響は確かに有るが、
その中で通用するだけの物創りには興味が無いし、
自分から共通項を見い出しに行こうとはしない。

創るという行為が、ただの装いでは無く、
自分のスタイルの本気であり普通である事が、
通用し共通項だと感じる誰かを探しに旅してる。

別の血が混じる事で、次に何が派生するのかを楽しみながら。
  • 2018/06
  • 01 Friday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 08



どっちを捉えるんだかで印象って変わりますよね?


お子様にシルバーのバングルは?

危ないんだか可愛いんだか。


ヴィンテージカーに落書きは?

シブいんだかダサいんだか。


………………………んー……。

髪なんだか髭なんだか。


どっちでもいいっちゃーいいんですが、
気になるっちゃー気になります。

熱い陽射しの中、車のボンネット上で目玉焼きしたら、
かける調味料が、醤油かソースかケチャップか?
ぐらいには気になります。

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