• 2018/07
  • 21 Saturday
  • 15:01

ちくしょう……

13時半にロイフラ到着。
さっさかさーとセッティングしまして。



さっさかさーっとクリエイションで、
15時前に終わらしたろうと思ったが、
面倒なのが浮かんだんで間に合わなかった…………。




仕上げ前にコーヒーでも飲むか、俺。
  • 2018/07
  • 20 Friday
  • 15:00

始まっちゃったねぇ

ヤルと決めたのは自分だが、俺。
前の旅が長過ぎて後遺症気味なのが、どーにもいけねぇ。

「一年中、何処か行ってるよね?」
こー聞かれると、素直にYESしか返せないんだが、
「一年中、何かやってるよね?」
こー聞かれると、捻くれた感性がゾクゾクします。

テメーは一年の間に生命活動してない日があんのか?
俺にとっちゃあ何かを創るのが生命活動と同じだ。




……………まぁ、
心地よくベッドでゴロゴロしながら、
ソフトクリームでもベロベロしたい。
そんな怠惰な気持ちは常にあるんだけどね。

何にせよ始まったモンは始まったんで、
気合いと根性出して旅しねぇとな、俺。

  • 2018/06
  • 30 Saturday
  • 23:00

LAST×FAST THE END

意識の速度を感じながら日々を過ごしているだろうか?

文字を読む際にすら意識は速度を変える。
「銀東一歩道橋」と「ぎんとういちほどうきょう」では、
頭に入ってくる速度は違うし、情報も意味も少し変わり、
意識は速度の違いによって方向を変化させられる。
示されている意味自体は同じであってもだ。


CHAPTER: THE END
JAPAN ROAD FINAL


影を見るか光を見るか?空間を見るか物体を見るか?

人は自分が思う以上に意識の変化や速度に対応しない。
何を見て、何を感じ、何を求めて、何をするべきか、
意識は既に進むべき方向に向いているにも関わらず、
思考は常に様々な雑念に振り回される。

現実を見たと意識した時、既に現実は過去になっている。
脳信号と現実のタイムラグが起こす現実とのズレは、
通常であれば意識を如何に研ぎ澄ましても解消し難い。

脳信号と現実のタイムラグを埋める事が無理でも、
意識の速度と行動の速度は合わせる事が可能だが、
その事を念頭に置いて日々を過ごしている人は少ない。

例えば、こうした文章を難しいと感じて、
長ったらしく回りくどいと思う人も少なく無いが、
その理由は、文章が難しいとか重苦しい事よりも、
自分の意識が速度を上げ難い事にある。

見慣れない漢字や言葉や専門用語が並ぶと、
意識は速度を下げてインプットさせようとするが、
脳は疲労を感じて思考を止めさせようとし、
意識速度が自分に心地の良い方に向かわせようとする。

簡単な話だ、パソコンでもスマホでも、
wifi環境の悪い中でデータのダウンロードを行うと、
他の事が出来なくてイライラした事は?
動画が見れなかったり、ファイルが開かず、
オマケに専門用語が英文で表示されたら?
長い時間、余計な手間、難解な思考。
ダウンロードを止めたり、動画を見るのは諦めて、
他の何かに意識をスライドさせるだろう。

ならば何故?
と、こうしたメカニズムの解説を書くくらいならば、
最初っから明解でインプットし易い文章にしろと、
最後に要約された答をかくならば其れだけを書けと、
そんな事を感じられたり、言われたりしそうだが、
先の例えで表すなら、自分のwifi環境は改善しないのか?

何にしても、旅の纏めとして綴ってきた駄文は、
意識の速度を保って向かい合わないと歩めない話にした。
切り拓く旅をするってのは、そうしたモノなのだから。

目的が解っていても、意識が向かっていたとしても、
時間と労力を想像し、雑念に囚われて意識を逸らす。

そうして、目的に対して考える事を止めて、
楽に過ごせる時間を求め、やがて目的への意識に蓋をする。
どれだけ歳を重ねてみても、人は楽な選択をしたがるし、
考える事に労力を割くよりも、簡易的なインプットを望む。

その繰り返しが、やがて積み上げていない自分を生み、
考える自由を放棄してしまった自分に気付きもしない。

厳しく困難な旅に出て、危険な事象に時間や労力を割くより、
快適で楽な自宅でのんびり過ごしている方が良いのは確かだ。
其れを否定しようとは思わない。

だが、知らないままに考える自由を放棄し、
批判や非難だけを並べて権利を主張する声に、
意識を向けて速度を合わせてる時間は無い。

考える事は自由だが、考えるには時間も労力も必要だ。
FREEDOM IS NOT FREE

時間と労力の果てに、何かのカタチとして実を成す。
其れが、俺にとっての最大の自由だ。

10年間続けたJAPAN ROADを終わらせて、
新しい速度で旅に出る時が来ただけでしかない。

一つの旅のカタチが終わって、
次の旅のカタチはもう見えてる。

またの日に。
  • 2018/06
  • 28 Thursday
  • 23:00

旅の最中の一時

まだ、この旅が始まって間も無い頃。

アメリカ東海岸ボストンの隣街・ウースター。
コンベンションを終え、荷物を纏めて会場を出ると、
一人の老人が声を掛けてきた。

「クレイジーなシルバースミス。良かったらシガーでも?」

クリエイトに集中していて気が付かなかったが、
老人はコンベンション会場で俺の作業を見ていたらしい。

差し出されたシガーを有り難く受け取り、
老人と会話しながらベンチでシガーを楽しんだ。



日本から来て、これからアメリカ横断すると言った俺に、
老人はベトナム戦争に従軍し、その流れでタイや香港、
日本にも行って色々な物を見た時間の話をしてくれた。

純粋に俺のクリエイションを楽しんだから声を掛けて、
俺の為に何かをしたいと感じたんだ。そう言っていた。

そんな老人の表情を見ながら、
きっと、この時間が彼が俺に与えたいスペースなんだと、
旅の最中の一時に、煙を燻らせながら感じていた。

人は、自分のアクションの先を思う。
水を飲めば喉が潤う。
殴れば痛みを与えられる。
誰かに頼めば助けてくれる。

アクションに込められる意志の中身は、
思惑だったり、押し付けだったり、理想だったり。

心配が理由の行動は、優しさと勘違いされ易い。
良く無い結果に耐えられない、対処出来ない自分を、
味わいたく無いだけでする行動は、優しさだろうか?

「大丈夫?」苦しそうな誰かに、そう声を掛けるのは、
苦しそうな誰かを見て、不安な自分の為じゃないだろうか?

優しさは、自分のスペースに誰かを少し入れられる事。

自分の不安や心配が大きくなって、
貴方の口から出てくる「大丈夫?」は、
自分のスペースに余裕が無いからじゃないだろうか?

誰かを少し、日々の苦労で一杯な自分の中に少し、
スペースを空けて入れたくなるのは、
その誰かの何かに希望が在るから。

一般的な恋愛に於いてよく言われる。
女性の方が別れと共に相手を切り捨てるのが早いのは、
肉体的に子供を産む為のスペースが必要で、
それが精神構造に影響を及ぼすから。

身近な誰かを傷付けたり殺めてしまうのは、
その人に対するスペースを保てなくなったから。

誰かの為に、自分の中にスペースを用意する。
相手の話や状態や状況からフォルムを読んで、
其れに合わせようとスペースのサイズを決める。

いつしか、自分でも気が付かないうちに、
サイズは変わり、相手のフォルムも変わって、
居心地の悪さが生じた頃に、優しさが薄れてしまったと、
そんなふうに感じてしまうのかも知れない。

家や学校や会社に、居場所が無いとか感じるのは、
相手や環境のせいじゃなく、自分のフォルムが解らなくて、
居心地が悪いまま合わせるサイズが読み取れない。
そんな自分が存在しているからかも知れない。

善悪や正誤の基準は、とても移ろい易いものだから、
善く見える、正しく感じる解り易い施しだけが、
誰かからの優しさだと思ってしまうよりも、
誰かが自分の為に与えてくれる純粋なスペースに存在する、
相手を思い遣る希望が、優しさだと信じて旅をしていたい。

自分が誰かの為にするアクションの先に希望を少し。
日々が慌ただしく苦労で一杯な自分であっても少し。
一時でも誰かの居場所になれるスペースを少しだけ。

旅の最中、
もう会う事も無いだろう一時に感謝を込めて。
  • 2018/06
  • 27 Wednesday
  • 23:00

LAST×FAST 10

事実や現実や真実を在るが儘に見る事は難しく、
見る者の状態、主観や想像が常に付いて回る。

冷静な状態であると自分で認識していても、
自らの価値観という呪縛は、フィルターを用意し、
有りの侭、在るが儘を歪ませる。

其の歪みを歪みと認識出来るか否かは、
己の歪みを歪みと認識出来るか否かと同じ事だが、
世間には歪みを歪みとしないフィルターが常に存在する。


CHAPTER:10
BUILT FOR SPEED


額装され美術館に飾られ宣伝された絵画と、
日常的に目にするスーパーのチラシとでは、
絵画の方に価値が在り見るに値するのが一般的。
所謂、普通という事になるだろう。

其の考え方が間違いなのでは無いが、一方的ではある。
額装され美術館に飾られ宣伝される絵画に向かい合う時、
鑑賞しながら貴方は物事の本質を見ているだろうか?

常に、常識や一般的や普通というフィルターが存在し、
物事の捉え方を限定し、多面性を否定しようとする。

もしも、貴方が家計の苦しい家庭の主婦であり、
厳しい家計で食事を賄わなければならないなら、
美術館に飾られた絵画の鑑賞に時間とお金を使うより、
スーパーのチラシに目を通して安い食材を買うだろう。
つまり、スーパーのチラシに価値が在る事になる。

美術品やアートには確かに力も価値も在るが、
価値は見る側の状態や状況によって変化するし、
美術に詳しいからセンスが良いわけでも何でもない。

事象や表現から何某かのインスピレーションや感覚を得て、
セレクトが一般的で無く多少の突飛さを持っていると、
感受性豊かでセンスが良いと定義されるが、
其の定義をしているのは、普通と言われる感覚だ。

本当に感受性が豊かならば、路傍の石にすら価値を見出せるし、
自分の呼吸や心音からリズムもスピードも得る事が可能で、
一般的にセンスが良いと思われるのは知識や見物だが、
センスは知識や見物で広げる事で磨かれるのでは無く、
感じ、得る能力を高める事で磨かれるものだ。

一般的な目線の感受性豊かな人というレッテルや、
普通の感覚で捉えた、センスの良さという定義が欲しいなら、
それほど難しくも大変でも無い。

少し、来た道に歩みを戻してから話を進めよう。
CHAPTER:04で、詐欺師の問題を出したのだが、
少なくとも現在迄に正解した者が一人もおらず、
解説をする必要が出てきたようだ。
先ずは今一度、問題を提示しておこう。

詐欺師から例えば、こんな話をされたらどうだろう?

駅前の商店街の東にある「焼烏屋」と、
駅前商店街の西にある「焼鳥屋」では、
どちらの方が儲かっているだろうか?
貴方は頭が良くて注意深い人だから、
きっとすぐに答が解りましたよね?

陳腐な例題だが、注意すべき言葉は最後の一行だ。
さて、正解は何だろうか?

解説するにあたって、いくつか補足しておくと、
「これ知ってます?」とか「問題です」むたいな言葉、
その言葉一つで、別の方向を向いていた思考は振り向く。
人の関心や好奇心は「問い掛け」に弱いのだ。

更に、問題が難しくなければ「わざわざそんな問いを?」と、
猜疑心を煽られ、「解りますよね?」と言われれば、
恥や自尊心が邪魔をして注意力や洞察力を揺さぶられる。

つまり、
「問い掛け」に対して思考を振り向かせられる事は、
相手が詐欺師の場合、全て不正解へと繋がる。

この問題の文中には、いくつかミスリードのポイントがある。
「駅前の商店街」「駅前商店街」や「東」「西」という、
言葉や方角で違いがあると思わせるポイント。

「焼烏屋」「焼鳥屋」というパッと見の注意力を誘い、
問題の解答に繋がるのだと思い込ませる為のポイント。

ヒントは文中にしっかりと書いてあって、
「きっとすぐに答が解りましたよね?」
の後に、「さて、正解は何だろうか?」と問い掛けている。

先にも触れたが、最もミスリードし易いのは、
コレが詐欺師からの問題だという事を忘れてしまう点だ。

詐欺師から何を問い掛けられようが一番の正解は、
話を聞かずに無視する事に決まっている。

さて、この詐欺師の問題での正解に対して、
納得がいかないという人も多いかもしれないが、
その理由は問題自体がどうというよりも、
問題を出したのが誰か?ではないだろうか?

この問題が、こうした場で俺が書いたのでは無くて、
著名な心理学者や犯罪学者が書いたとしたら、
納得する人の数は極端に多くなるだろう。

其れこそが本文中に書かれた、見る側の状態や状況。
つまり、学歴や資格や権威が納得させてくれているだけで、
価値が在ると言われると価値を感じる自分になってしまう。

其れは、額装され美術館に飾られ宣伝された絵画を鑑賞する、
その際は冷静な自分では無くて鑑賞する自分であり、
物事の本質に目を向けず正解を認めない自分と同じだ。

話を元の地点に戻し、考察と話の歩みを続けよう。
何某かの事象に対して、或いは誰かの表現に対して、
誰もが意見を持ち考察する権利を有するし、
時として、その意見を誰かにぶつける事も可能だが、
常に其れが正しいとは限らないし、権利で無い時もある。

只でさえ、人は自分が関わりの浅い事象や表現に対して、
好き勝手な意見を持つくせに考察は少なくなり、
自説の正しさを固める為に批判や無関係な例題を用意する。

こうした思考に向かう人達に多く見られるのが、
「主人公症候群」とでも言うべき自己中心性であり、
確かに、個人の人生に於いては其の個人が主人公だが、
流転する世界の最中であれば誰もが脇役になり、
事象や表現毎に主人公は入れ替わるのが常となる。

それでも、自分の主張や権利を振りかざす人は多く、
「自分がストーリーの中心」である立場を疑わない。
其れは正しくもあり、其れが間違いでもある。

事実や現実や真実に限らず、凡ゆる事象を球体と捉えてみる。
自分の立場から見た球体は、他の立場からとは違い、
ハッキリと認識可能なのは真正面の一部だけだ。
他の部分は歪んで眼に映るので正確さは無い。

関わる全ての立場から球体を見る事が出来たとして、
正確にその球体を捉えたつもりになっていても、
球体の内面・中心を見る事は出来るだろうか?
もしくは、中心に立って全てを内側から見渡す事が?

人類は有史以来、月の裏側を見るのに何年掛かった?
猿から人へ進化して以降と捉えてみたとしても、
実に600万年もの時間を経て、月の裏側を観測している。

其れなのに、人類は有史から様々な月に纏わる話をし、
各地で伝説や伝承が繰り返されてきた事を考えると、
実に間抜けな事のようにすら思えてこないだろうか?

そして、
地球の中心には未だに到達すら出来てやしない。
それでも、地球の様々な事を好き勝手に語り、
自分の知るだけの世界で生きてしまうのが普通とされる。

果たして、そんな普通は正しくて素晴らしいだろうか?


異常だと言われる事が子供の頃から普通だった。
別に否定する気も無く、受け入れる気も無かったが、
自分にとっては自分の生き方が普通だった。

今でも、そんな生き方を続けている自分を鑑みて、
悲しくも嬉しくも無いのは、其れが自分には普通だからだ。

表現の為に生活や人生を費やす事が普通だと、
そう思って仕事をし、旅を続けてきたが、
どうやら其れも世間では普通じゃ無いらしい。

何かを創る為に、タトゥーコンベンションに行く事も、
どうやらシルバーアクセ業界では普通じゃ無いらしい。

BUILT FOR SPEED
仕事とは、自分の信念に仕える事。
自分に必要なスピードの為に、自分の旅が在る。
  • 2018/06
  • 20 Wednesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 10

旅を続けていると、進んだだけの疲弊がアリ。







苦労させてるなぁ…………。

歩んだら歩んだだけ、暴れたら暴れただけ、
足元がボロくなってくのは、ガキの頃から変わらない、俺。



………………靴を変えれば?とか言う意見は聞く気がない。
  • 2018/06
  • 19 Tuesday
  • 23:00

LAST×FAST 09

誰もが本当の事を言わなくなる。

何かを発言したり、発信する度に反対の意見が出て、
反対の意見は当然と思えても、揶揄や下衆の勘ぐり、
ともすれば発言や発信の内容が不謹慎だとされる。

エチケットやマナーやコンプライアンスが凶器になり、
平等や公平が叫ばれ清廉潔白な意見が求められる。

誰もが、差別の無い平和的な意見になるよう注意し、
非難から避難する様に誹謗中傷を避け発言し発信するが、
其処に、本当の意見は存在するのだろうか?

悪意の無い、個人の好き嫌いでの意見すら、
非常識で不謹慎だと揶揄される事になれば、
誰も本当の事を言わなくなるだろう。

嘘や誤魔化しが増えていく中で、鬱積した本当は、
どんな歪んだカタチで現れるのだろう。


CHAPTER:09
SOLID, BATTLE FIELD


強さは常に試される。
強さを測り決める基準は明確には存在しないが、
平均を軸に目安としての、肉体や精神や経済や暴力など、
様々な事で強さは表され、優劣や格差は示される。

明確に基準が存在しなくとも、強さとは何か?を
単純な一言で表すとするならば、能力の高さだろう。

能力の高い者を「強者」能力の低い者を「弱者」とする。
その目安そのものが少しズレた感覚とも思えるが、
如何せん世間の風潮は、能力の高い者と低い者を別けたがる。

そうした風潮を前提にして話を進めてみると、
強者は持てる者、弱者は持たざる者となるのは当然だが、
昨今の世界で止め処なく流れてくる情報の多くは、
弱者(もしくは弱者を装う人々)が権利や賠償を求め、
世間の意見や風潮がその後押しをするケースが散見される。

弱者が虐げられて黙っていなければならない決まりは無く、
弱者の立場を考えずに搾取する強者を見過ごす事は無いが、
人種や性別や障害等の明確な弱者的立場に留まらず、
経済的立場や精神的優位に加え情報でも強者弱者が問われ、
これもまたズレた感覚に思えてしまうのだが、
強者は分け与えるべき。と、する意見が少なくない。

こうした話の中を歩みながら疑問に思うのだが、
明確な弱者では無く、弱者的な立場に居る人達は、
何故、弱者的な立場を脱しようとしないのだろうか?

「弱いのだから当たり前だ」と言う意見が出てきそうだが、
疑問の本質としては、弱者に甘んじる理由を考察したい。

肉体的障害、精神的障害、生まれながらの障害は、
現代社会でも明確に生き難いのは周知の事実だし、
後天性にしても数々の困難が存在する事は誰もが知っている。

だが、生まれ持った障害と、生まれによる差は別のモノだし、
後天性の障害と、後天的な差もまた別のモノであって、
障害と差は別けて考えるべきでは無いのだろうか。

先天性の障害や差を「運」という言葉で括ると、
後天性の障害もまた「運」という以外に無くなるが、
後天的な差は「運」によるものでは無く、
本人の積み重ねに因るところが大きい。

「喋りが上手いヤツはいいよな」
「結局は金持ちがモテんだよ」
「強いヤツは平気だろうけどさ」
そんな言葉を口にしたり、気持ちを持った事は?

一度も無いのであれば、この考察を読む必要は無いが、
口にしたり思った事が有る人に聞いてみたい。

何故、喋りが上手くなろうと努力しなかった?
何故、金持ちになろうと能力を磨く事を怠った?
何故、強くなり平常心を保てる自分にならなかった?

この質問に対して、「だって」や「でも」は、
先天性・後天性の障害を持つ人だけが使うべきで、
先天的であれ後天的であれ、差を理由に使うのは、
自己中心的な言い訳に過ぎないのではないだろうか?

「努力しようとしたが出来なかった」
「積み重ねが必要だと気付いてなかった」
「頑張っていたが上手くいかなかった」
其れらは全て、自分の選択ミスでしかないし、
他人を妬んだり、誰かに権利を主張するべきモノじゃない。

歳を重ね、自分の理想や望んだ結果が得られなかった時、
「こんな事になるなんて知らなかった」
と嘆くのは簡単だし自由だが、責任は全て自分に有り、
知らなかった事が間違いじゃなかったとしても、
積み重ねず磨きもせずに生きていて弱者になったのに、
状況や環境に文句を言い、他人を妬み権利を主張するのは、
浅ましく卑しいと思わないだろうか?

さて、考察は程々にしておいて、話を本筋に戻そう。
努力を積み重ね、能力を磨き、運を掴む事が出来た者。
其れを強者とした時に、その実績を表す一つとして、
世界的に共通するのは、金銭的な裕福さである。

「金銭的な裕福さ」は、特に誹謗中傷の的になり易いが、
その原因は、単なる妬みや嫉みであるだけで無く、
「金銭的な裕福さ」が、どの様なモノかを知らないからであり、
弱者が強者の心理を理解していない事によく似ている。

「金銭的な裕福さ」はあくまでも指標でしかなく、
本質的な強さとは別のところに存在するのだが、
兎角、同一視され妬まれがちなモノだ。

その理由の多くは、経済力は権力や支配力を生むからで、
様々な宗教で御立派な建造物を見るだけでも解る事で、
先に権力や支配力は生まれず、経済力が権力と支配を生む。
そうでもなく可能なのは、絶対的な暴力ぐらいのものだ。

経済力にしろ暴力にしろ継続に必要になるのは、
やはり積み重ね磨き上げた能力の高さであるが、
能力の高い者は強者として扱われ、常に試される。

先に述べた様に、強者は様々なモノを得る事が出来るが、
保有し続けるのが容易で無い事は想像に難くなく、
何処までいっても、弱肉強食のルールからは逃れられない。

其れに比べて、弱者的な立場でいようとする者は気楽だ。
一定の搾取の対価として一定の保障が用意され、
言論・思想・宗教の自由を公の場で疑問視される事は少なく、
匿名性を隠れ蓑に意見も文句も言いたい放題。
公的な責任を問われても、一般市民という立場を盾にし、
弱肉強食のルールが間違ってると騒ぎだす。
と、並べ立てるのはあまりにも偏見的だろうか?

だが、昨今の情勢を鑑みると並べ立てての疑問視も湧くし、
弱者的な立場から、強者を自分達のレベルに引き下げようと、
躍起になって不満を並べ立てる事象が目に余る程で、
その労力を、自己を高める事に使わないのが不思議でならない。

確かに大変な事ではある。
と、前置きをせずに述べるのが憚れるが、
職場の辛さや、妊娠・育児の辛さや、生活の辛さ、
その原因・責任の多くを、社会や環境や政治に求め、
生産的よりも否定的な意見と権利の主張を繰り返す。
そしてその挙句が、持てる者・強者への誹謗中傷や、
妬み嫉みが綯交ぜになった恣意的な文句になる。

自分が辛く大変だからと他人を羨み妬んでは、
嫌な事を並べて順に文句や苦情を述べるが、
嫌な事を嫌だと思ってしまう自分を直す気は無いのだろうか?

辛く嫌な事態や状況を生み出したのは自分だと、
省みて、努力を積み重ねて強い自分になるよりも、
文句と権利の主張をする方が、楽だからだろうか?

楽なのは文句を言って権利の主張をする方だとしても、
幸福感や充実した時間を多く得られるのは、
努力を積み重ねて強い自分になる方だと思うのだが。

哲学者のニーチェは、キリスト教に対して、
「弱者によるルサンチマンの反逆」としているが、
今日では、キリスト教的な道徳に限らず多くの人が、
弱者的な自分達の水準まで、強者を引き下げようとする。

アレが良くない、コレも悪い、ソレは不謹慎だ。
と、如何にも正当な道徳や倫理感で語るふりで苦言を呈すが、
本当は、アレもコレもソレも自分が嫌なだけじゃないだろうか?
其れは、弱者的な立場を利用した単なる我儘な意見で、
我慢や忍耐を持つ努力を怠った、愚者でしかない。

価値基準や責任を外側に求め、自分達の権利は主張する。
もし、価値基準も責任も外側(強者や権力側)が果たし、
主張した権利もまた全て保障される社会になったとしたら、
その皺寄せは弱者的な立場の人達へと矛先を向けるだけだ。

つまり、
強者は常に試され、分け与えろと迫られ続けると、
表向きは弱者の意見を聞き、権利主張に応じるが、
正当でない、弱者のルサンチマンが原動力の場合、
強者は鬱積した本当を原動力に、本当を隠して搾取を増やす。

そうなってら、今度は何処に弱者の権利を向ける?
気が付かぬうちに増幅した搾取が自業自得だと理解せず、
更に弱者のルサンチマンを募らせて叫ぶだけだろうか?
其れこそ、弱者ですらない愚者というヤツだ。


創り手として、ブランドとして、長い時間を過ごす中で、
何時の間にか組み上がり決め付けられていく、
自分が思ってもいない、権力や立場や強者としての扱い。

そんなモノが欲しくて、積み重ね磨き続けてはいないし、
強さは、金銭的な裕福さでは無く、貫く意思だと思っている。

貫く意思が、シンプルでストレートにぶつかり合う。
クリエイションのスピードと暴力を出し合って、
果たしてどんなカタチが生み出されるのか?
そんな強さの試し合いこそが面白い。

売上げで競い金銭的な裕福さを誇る強者にも、
影でコソコソと文句と自己主張を繰り返す弱者にも、
グダグダと行動しない言い訳を並べ立てる愚者にも、
なりたくもないし、なろうとも思わない。

クリエイションの暴力で殴り飛ばして、
クリエイションのスピードで旅をする。
そんな奴が業界にとって迷惑でしかないと言うなら、
常に、悪者で構わないぜ、俺。
  • 2018/06
  • 12 Tuesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs MAD CULT

奇妙に感じる時は、大概が自分の捉え方で、
其れが日常な人達にとっては当たり前だったりする。

彫金の世界では、バトルなんてしてる方が奇妙だし、
短時間でカタチを生み出すのもまた奇妙な事だ。



地金板の切れっ端とスカルのベースリング。
こっからスタートして始まりましたバトル。

MAD CULTののシンとのバトルも2回目だったが、
奇妙な結果になっていったなぁ、俺。

1R


回転系の流れが苦手なシンに、グルグルっとな。
ピーマン嫌いでも食べなさい的な攻め方、俺。



スカルのベースリングをスカルに彫ってくる。
やっぱり肉が好き的な攻め方のシン。

2R


なんでなんだか解らないけど、急に脳裏に古谷巨匠が浮かび、
ガリガリガリっと、スペアリブ的なデビルマン。



随分、地金彫るの上手くなったなぁ。
と、言ったら失礼かもしれんが、纏め方がよろしい。
ピーマン肉詰め的な感じ。

3R

も少し回転足して仕上がり。
ピーマン肉詰めって、何かけんだろ?
ケチャップ、デミグラス、醤油、ソース?


やっぱり纏め方も上手くなったなぁ。
BBQソースよりも粗挽き胡椒多目のスペアリブ。

何で古谷巨匠だったんだろう?
理由は解らないんですが、巨匠とも遊びたかったんかな?

多分、もうバトルとかで遊んでくれないだろうけど。
  • 2018/06
  • 11 Monday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs GLAM SCALE

奇妙なと言ったら最も奇妙な対戦相手。
毎年バトルする事、何年目になるんだか?


星になった男・リーダー日山。

今回の目的は、故郷に錦を飾りに都落ちしたリーダーに、
華を持たせるバトルにする事だったので頑張った、俺。


ベースリングと地金板の切れっ端からスタート。

1R


全力でリーダーの造型に寄せていき、
要所要所にリーダーの特徴である「イタさ」を鏤める、俺。


対してリーダーも俺の流れに寄せてきたらしいが、
大して寄り切れて無いし彫りが浅かった。

2R


斬り返しのオーバーキルで、リーダーに寄せ直し、
やはり随所に「イタさ」を盛り込む、俺。



リーダーが得意の自社パーツ盛り込みを出した。
マヨネーズかけたら何でもマヨネーズ味的な発想で。
これぞ、リーダーの持ち味!!

3R



今回はリーダーに華を持たせるのが目的なので、
全力でリーダーに寄せて「イタさ」を増幅。
尖りまくって身に着けるだけで、イタい完了。



そしたらリーダーも全く流れに逆らわず、
全力で自社製品的な仕上げに持ち込んだので、
甲殻魔道具サイバーマヨネーズ味になりました。

全力で寄せるとリーダーとのバトルもカタチになる。
そんな奇妙な対戦だったが、何よりも奇妙だったのは……





コレが……………


コーなる。


時の流れか、環境か、不摂生か、性格なのか?
何とも言えない「イタさ」が…………………。


まったくもって奇妙なモンだった。
  • 2018/06
  • 10 Sunday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 vs F.A.L

奇妙な情景であって、奇妙な感覚にもなったバトル。



毎度ながら俺が地金板からスタートして、
F.A.Lの山本名人が自ら持ち込んだベースリングから。

1R

切り込んで、ザックリのフォルムとザックリの流れ。
軽めの攻めで名人の出方を見たかった、俺。



名人も名人で、流れもフォルムも決め切らない。
コチラの出方を伺う感じなんだと思った、俺。

2R


ギアを上げて一気に攻め込んだ、俺。
さぁ、名人の此処からの撃ち返しが見たい。

と、思ってた。が…………、


名人で側は攻め込むというよりも、
ベクトルを決めるフォルムの纏め方。

…………バトルの感覚というよりも、
何かを差し出し合う様な、問い掛け合う様な、
そんな奇妙な感覚になっていった。

3R

今迄、バトルとして経験してきた中で、
最も奇妙な感覚だったが、其れにライドオンしてみた、俺。





もしもこの感覚が、名人のスタイルに依るものなら、
ライドオンしてる時点で俺の負けなんだが、
同時にバトルですら無くなるので、また奇妙だ。

4R






「俺はこうだ!!」「やれるもんならやってみやがれ」
そんなバトルの闘争心の言葉や心理では無くて、
「こうだと思う」「これもアリなんじゃないか?」
そうやって纏め合う様な、奇妙な感覚。

嫌いじゃあなかったなぁ、俺。

Selected Entries

Links

Archives

Search this Site.

Others