• 2017/05
  • 20 Saturday
  • 21:00

SIGNAL THE END OF JAPAN ROAD

有る事に安心するあまり、在る事を不安に思う。
在る事が重要で、有る事は付随でしかないのに。

有ると安心する。
所有し、保有し、共有する。
有る事が当たり前になり過ぎて、
無いと不満ばかりを漏らし、
その感情を共有して欲しがる。

其れが行き過ぎたのか、
在る事を信じず、
在る事を邪魔に思い、
在る事を自分の目で確かめようとしない。

自分に有る感情は、誰にも同じく有ると思うのに、
無様に映る他人の在り方を、自分は同じ様にならないとする。

共感を求めながらも特別で在りたがる思考は、
ポジティブであれ、ネガティヴであれ誰もが有りがちで、
個のアイデンティティやレゾンデートル確立の為に、
自分を他者と別する事の第一段階に見られる。

其れでありながらも、他者と同じ時間や感覚が有る事で、
自分が除け者で無いと確認し、安心を得るのだから、
人という生き物は、まったく不思議だ。

莫大な量の情報や知識が便利過ぎる程に溢れ、
意見や文句を簡単に発信し共有し共感を得れる。
手軽な特別感も、手軽な安心感もすぐに手に入り、
納得のポイントへの距離は近くなり、探す事すら減る。

便利な、とても便利な世の中になった。
きっと更に便利な世の中になっていくだろうし、
納得のポイントへの距離は更に近くなる。

片手に収まるガジェットで情報も知識も娯楽も所有し、
瞬間も時間も記憶も保有させてくれるシステム。
感情も感動も真実であれ虚実であれ共有が可能。
そうして現実との空白が大きくなればなっただけ、
納得への距離は近くなり、手軽に簡単になる。

現実は、手軽に手に入る情報や知識よりも不便で、
実在する事象や事情は文句を言っても変わらない。
普段から「誰かさん」と共有して共感している何かを
街行く「誰か」に自分の言葉で説明してみたら、
感情や感動を共有したり共感してくれるのかい?

便利になって、現実は楽しくなったかい?
便利になって、世の中は良くなったのかい?

答は結局、いつの時代も変わらないまま。
何かが便利になれば、違う何かに不便を感じる。
どんな時代のどんな状態にも、人は対応しながら、
自分の理想の状態を思い描いて不満なり納得を口にする。

皆、思い描く理想は少しずつであれズレていて、
納得のポイントも各々で違いが生じるのだから、
皆にとっての絶対的な正解も絶対的な間違いも存在しない。
ただ自分にとっての正解や間違いが在るだけだ。

便利になり、選択肢が増えたかに思えるし、
画面越しに過ごす時間も確かに現実だし感情も感動も在る。
そのまま画面越しを選ぶのも自由だし間違いでも無い。
きっと、この先の時代は更に常識は変化していき、
理解って言葉の意味も理解出来無いぐらいに変わり、
判断は曖昧になり、対象は実在の模倣に移って、
ヴィジョンだけが必要とされ、文脈は不要になる頃には、
ルールやシステムは、有る者のセオリーだけで構成される。
其れは其れで良い。其れが流転し収束するって事だ。

でも、そんな時代の夢って何だろう?
そんな時代に向かっている最中の夢って何だろう?

画面越しに見るんじゃなくて、実在に触れる。
空気感、緊張感、脅威、恐怖、生と死の境界線。
言葉も無く、同じ時間と空間で事象に向かって得る共感。
其処には、指先一つで示す「いいね」すら必要としない。
旅を繰り返す中で、そんな時間が幾度も在った。

ガキだった頃、手にしたい物は常に遠くに在ると、
足りない頭と少ない情報だけで勝手に思い込んでた。
だから、早く走らなきゃいけねぇと思って突っ走れた。

現代の大多数は、手にしたい物が近くに在ると、
莫大な情報を見るだけで勝手に思い込んでる。
だから、走る必要を感じないでいられるんだろうか?
そんな考えが、そもそも現代に合ってないんだろう、俺。

でも、突っ走って頑なに張って、実在に辿り着くと解る。
足りない頭と少ない情報で遠いと思い込んでたんじゃなく、
実際はもっと遠く、手にするには時間が足らない。

自分の精神、肉体、技術、生き方、残された時間を
辿り着きたい夢までの距離に照らし合わせ考える。
時間もスピードも足らない。
もう、これ以上の寄り道はしてられなさそうだ、俺。

何処かへ行き何かを創る何処かを
変える為の終りのSIGNALが見えた。
旅の答がそうならば終りにしよう、俺。

また、一つの旅の終りの日に。
  • 2017/05
  • 20 Saturday
  • 19:22

終りの前にご報告

サッパリした文章で旅の模様をお伝えして、
最後に長ったらしい文章で締め括りになった、
9SIGNALSってタイトルの旅のSS NEWSも、
明日で終了となりますが、俺。

旅の痕跡を写したREMAINは、
6月よりSPEED SPECTERのサイトに掲載します。

6月の10.11日は、REFUSE18周年のイベントを予定してまして、
その他の何某は、HEATのサイトやTwitterなり何なりで、
順次の御知らせって事になるんでしょうが、
旅が終わっても色々とありやがるのが当然。
そんな訳でだか何だか、終りの前にご報告。

次の旅で、
SPEED SPECTERとして日本を回る旅は終了。
SIGNAL THE END OF JAPAN ROAD
って事になるんで、そこんとこよろしく、俺。
  • 2017/05
  • 19 Friday
  • 21:00

SIGNAL THE END OF ROAD 02



正義の味方は何処に居るんだろう?
正義の味方に会えたなら、正義の見方を聞いてみたい。
正義の味方はあくまでも、味方であって正義じゃない。
正義の味方が悪魔でも、皆んなは正義と言うのかな?

正解を1つ出す。すると次も正解を目指し、その次、その次も。
やがて、正解が10を超えた頃に積み上げた正解が、
本当に正解なのか?と問われたとしたなら、
どうやって正解だと証明するだろう?
正解の裏には常に間違いがあって、
間違いの側から見たら正解は正解なんだろうか?

人生の中で常に付き纏う選択で、出来れば正解を選び、
間違いの無い人生を歩みたいと誰もが思う。
間違いは悪い事だと、間違いは無駄になる事だと、
教育か躾か、それとも身に付けた常識だか、
出来る限り間違いの範疇で選択を行わずに、
無理の生じない正解の範疇で選択をしようとする。

間違いを選ばないのが間違い無い事だと、
選んだ筈の正解が、実は間違いの範疇だった時に、
間違いを知らなければ間違いだとは気付けない。
間違い無く正解は、間違い無く間違いと、
どちらが純粋だろうか?

なんだか言葉遊びになってしまっているので、
話を判り易く身近な事象に少し変えてみよう、俺。

進路を決める際に、自分の経歴や能力を見て、
自分の希望する方向を狭めながら、通れそうな道を選ぶ。
選択が、通れないという間違いにならない様に、
本当の希望よりも無難で、無理のなさそうな道を。
其れが正解だと、親や教師や友人は言うかもしれない。
自分自身も、身の丈に合わない道は間違いや失敗の元と、
間違いの無い正解を選んだとしよう。

さて、この時の正解は正解だろうか?
三年経って、十年経って、正解だと言えるだろうか?

話をもう一つ追加しよう、俺。

小学校の教育の一環で、クラスで豚を飼育し、
成体になったら屠殺し、捌いて調理し食す。
確か映画化もされた様な話だったと思うが、
少し、物議を醸した事象だった様に記憶している。

命の尊さと、生きる事の業、食べる有り難み、
教育の目的としては、そんなところだろうし、
正解を並べて教育に当てはめたら、こうなった。
そんな印象を受ける。

この教育に反対派の人達の意見としては、おそらくだが、
小学生が実際にやらなくても教育なら映像で充分。
飼育から屠殺し食さなくてもスーパーに売ってる。
という感じの、間違いを並べて指摘してます。
そんな印象を受ける。

要するに、
暗部を教えるか教えないかの鬩ぎ合いだ。
生命の存続には食物連鎖が必要で、飼育と屠殺は不可欠、
感情と現実の違い、生命の尊さ、生物としての業。
その存在を小学生に認識させるのが正解か?間違いか?

教育の問題に踏み込もうとは思わないし正解も判らないが、
暗部を教育するならば、何故?とは、思う。

何故、人を殺す事と死の必要性は教育されないのだろう?

食物連鎖と等しく、人が死ぬ事で保たれるバランスや、
戦争によって生み出されるテクノロジーの恩恵。
先達が滅びなければ次の世代が生きれない事を
教育する事は、間違い無く間違いだとされる。

生命の尊さや、生物としての業を教育するならば、
当然の様に必要だと思うのだが、その逆ばかりが教育される。

人命尊重、戦争の愚かさ、世界平和、人類皆兄弟。
そるが正解と教育しておいて、平和ボケだと嘆く。
安全は金で買っているのだとすら教育しておかないで。

間違いは、間違い無く間違いで、
正解は、間違い無く正解だろうか?


9SIGNALSってタイトルの旅をしながら、
GALLERY REFUSEの三階を改装してスタジオにした。

怪我のせいで体調は思わしく無いし、忙しさも相俟って、
三ヶ月以上の時間が掛かってしまったし、
改装の内容からしても、独りで作業するレベルじゃなかった。

その間に、アシスタントのジバゴをクビにして、
仕事の体制や、予定も大きく変化する事になったし、
労力が増す事も目に見えている訳だが、俺。

現時点での正解を出そうとは思っていない。

身体の状態や年齢や環境の側面から見た正解。
ビジネスやブランディングの側面から見た正解。
店や空間、人の流れや使い勝手の側面から見た正解。
正解はどの側面からでも幾らでも在り、
いつでも選べ、選ばなければならない時がある。

間違いは、間違えられる時にしか間違えられず、
間違えなければ得られないモノが在る。

間違える事が正解だとは思わないが、
正解は常に間違い無いとも思わない。
間違いでも正解でも、十年経って正解に出来るのは、
常に自分でしかない。


  • 2017/05
  • 18 Thursday
  • 21:00

SIGNAL THE END OF ROAD 01



さて、旅の締め括りという訳で、
一ヶ月に渡り、旅の記憶を記述してきた訳だが、俺。
こうした文章を書いていて、少し面倒だと思うのは、
誤解や曲解される事は構わないとしていても、
自ら其れを招かないように気を遣う点だ。
なので、先ずは記憶の記述についてから始めよう。

どんな文章であれ、書き手と読み手の間には隔たりが在る。
言葉を如何に上手に使おうとも避けられない隔たりが、
煩わしさでもあるが面白さでもあるのは確かだ。

特に、誤解や曲解をされ易い俺の様な者が、
正解では無い文章を書いているのだから隔たりが大きくなる。

隔たりが誤解や曲解を生み、本質を遠ざけ、
真実は見え難くなる。

もし、こうした文章が、自分の経験に基づいた知識では無く、
本やネット上などで拾い集めた知識の組み合わせで、
もっともらしい事を並べ立てているだけだとしたら?
自分が生み出す言葉では無く、ただのコラージュだとしたら?

貴方は落胆するだろうか?
それとも納得するだろうか?

どちらにしても其の感情は、ただ文章を楽しむ以外に、
内的よりも外的な「動機の語彙」を求めるから生じる。

これは、文章に限らず人が為す何らかの事象や行動に対し、
人は、「動機の語彙」みたいなヤツを求めたくなる。

文章中に一般的でない単語や常識、理論なんかを使うと、
例を出して誤解や曲解を招かないようにしていくが、
ただ楽しむ以外になる人は、その意味を調べ考察したり、
中には粗探しや反証になりそうな情報を調べる人もいる。

ベクトルがどちらに向いているかに関わらず、
そうした行為は、動機の語彙を知る為であって、
自分が思う以上に自分の中に好奇心か不安が存在している。

凶悪な殺人事件が起きた事をニュースが伝える。
被害者を悼む意識が湧き起こるよりも大きく、
犯人がどんな人間で、被害者とどんな関係で、
どんな経緯で、どんな事情で、どんな心理状態で?
人々の興味ってヤツは、納得と安心を求める。

犯人が、被害者の昔の交際相手で痴情の縺れがあり、
シャブ中の住所不定無職で金品目当てに酔っての犯行なら、
人は納得するし安心もするのだ。
動機の語彙が多く、判り易いカテゴライズが可能な故に。

では、犯人が被害者と何の関係性も無い通り掛かりで、
金品の略奪も性的な暴行も無く、品行方正で薬物使用も無い、
13歳の少女だったとしたら?
おそらく、近親者と友人知人以外は被害者を悼むより、
犯人の情報から犯行に至るまでを知りたがる。
あまりにも、動機の語彙が見えなくて不安になるからだ。

理解する為には、内的な動機の語彙を知る必要があるが、
外的な動機の語彙が読み取れないと、納得が出来ない。
すると人は安易なカテゴライズを始める。
「キチガイ」「イかれてる」「異常者」
今なら、ネットスラングでもっと安易な呼び方もあるだろう。

自分にとって不可解な存在や行為に対しては、
安易なカテゴライズで納得と安心を得て、考察を止める。
大多数の思考は、どれだけ情報が溢れても変わりはしない。

さて、話を「こうした文章」に戻そう。
記述しているのが俺という時点で納得する人もいるし、
知識や情報を疑う人もいて、其れは其れで問題じゃない。
何度も書いている通りに、理解は求めていない。
ただ、知識や情報のコラージュで文章を書いていないし、
前以て用意した文章を嵌め込んで仕上げてるでも無い。

旅の最中で浮かぶ直感を理論的に纏めて書き、
其れに準えて旅の最中の心情と状態を書いてきただけだ。

よーするに、旅の記憶をインプロビゼーションで書いたら?
果たしてどうなるか?其れだけが動機だ、俺。

記述の時間は、基本的には1時間ぐらいで、
「こん時、こんなん考えてたなぁ」ぐらいのテーマ。
正解や正しい理論を書くよりも、直感からの疑問。
そうして記憶を記述して駄文を重ねてきた。

文章は言葉をデザインして描くもの。
そう考えて文章を書く事にしているんだがね、俺。
こうして内的な動機の語彙を書いたところで、
読んでる方々の納得は得れるんだろうか?
まぁ、小難しく考えての納得なんかよりも、
馬鹿な駄文と楽しんでもらえりゃ、
其れで良いんだけどよ。
  • 2017/05
  • 17 Wednesday
  • 17:30

旅の記憶の記述も終り

長ったらしい話をツラツラと書いてきましたが、俺。
毎度毎度の喧しい文章をお送りするSS NEWSも、
9SIGNALSってタイトルの旅では、後4回で終了。



とっくに旅自体は終了して、次の局面が訪れて、
過ぎた時間に浸ってんのも終りにしねぇとよ、俺。
  • 2017/05
  • 16 Tuesday
  • 21:00

9SIGNALS 9-2



システムやテクノロジーの進化、文明や科学が進歩し、
其れに伴って人類の意識も進歩し問題が増える。

人権の尊重、男女平等、差別の排除、動物愛護、
戦争の廃止、自然保護、経済の自由、健康維持。
意識を進歩させれば、問題提起も必ず起こる。

知らなければ気にも留めない事が、次々と気になり、
誰が悪いか、何が悪いか、どうして悪いか?
「悪者誰だ?」を繰り返して、糾弾は止む事が無く、
問題は常に起こり、諍いも争いもが尽きない世の中だが、
其れ等の元凶が何かと言えば、全て人類である。

意識の進歩や高さは常に二つの理由で支えられ、
自分達が優れた存在であろうとする欲と、
保有している側であり続けたいという欲が突き動かす。
つまり、人類は他の種に比べて優秀な存在であり、
地球をコントロールする能力を保有していたがる。
そんな欲が、国や民族、宗教や性別など毎に細かく有り、
何らかしらのコミュニティに限らず、個人間でも起こる。

馬鹿馬鹿しいのは、優秀さを幾ら意識してみたところで、
未だに、人類は万人が納得する「生命」や「死」の定義も、
神の存在も不在も証明出来無いままだというのに、
個人の好き嫌いを自然で純粋な感情や人権を盾に、
細かな諍いから大きな争いまでを繰り広げる。

例えば、同性愛者同士が結婚する事に対して、
未だに大多数が反対を示す国も少なく無い。
そんな時に語られる、
「愛し合う事は自然な感情なのだから社会的にも認めろ」
という意見に対して、反対する側に湧き上がる、
同性愛者に対する生理的嫌悪もまた自然な感情だ。
それは差別や不平等も同じで、残念ながら自然な感情だ。
どちらも自然な感情な場合に、正しいのはどちらなのだろうか?

人は、危険や不安、恐怖を忌み嫌う。
其れは紛れもなく純粋で自然な原始的感情だ。
自分を脅かす存在を排除したがり、拒絶する。
闇を恐れ、光で道や街を照らし、敵を恐れ武器を持つ。
無知を恥じ学問を修め、他より優秀であろうとする。
至極純粋で自然な感情だし、生きていくには当然の欲。
其れを否定する方が、不自然で歪んだ意識だと思うのだが。

認めるべきは、
人類は幾らシステムやテクノロジーを進化させ、
科学や文明が進歩しようとも、意識の根幹は生存競争で、
差別や争いから避けられ無い、愚かな生き物なのだと。

意識を進歩させ、法や倫理や常識や秩序を決める。
其れはバランスを保つのに確かに必要な事だし、
テクノロジーが進化すればバランスも変わるが、
環境やテクノロジーの変化や進化に対して、
人類の欲や愚かさのバランスは保たれているだろうか?
無理に平等だの平和だのを叫び強要する方が、
よっぽど不自然で不必要な事だと思わないかい?

正しさ、なんてモノは時代や環境で移ろう、
至極曖昧な基準でしかなくて、時代は常に過渡期なのだから。


必要か不必要かの話を、
自分の行動や生き方に照らし合わせてみる。
大きく分けて、旅、技術、流儀の三つ、
俺がやってきた事や切り開いた道に必要なこの三項目は、
ビジネスや彫金やジュエリーの話で言えば、
全てが不必要だし、不自然極まり無い。

もしも、必要ならば業界の大半が同じ動きをするし、
メディアや一般の評価や判断の基準も変化している。
ただ、完全に不必要かと言えばそうではなく。
それぞれの一部を切り取りシステマイズすれば、
ビジネスとしても成立するし、必要性を生み出せているのは、
俺がやってきた事や切り開いた道そのものではなくて、
俺以外のブランドやクリエイターがやっている事で、
既に証明されているし、更に進化もしている。

いつの頃からだか、はっきりと意識はしていないが、
旅の中での物創りと、ビジネスの間に不自然さを感じ、
誰かに望まれる様な物創りをする気が無くなった。
平たく言えば、「客ウケ」を狙う事が不自然に感じた。

コレは、ビジネスがベースになっている以上は、
とてもマイナスな思考だし、駄目な事だと思う。
需要を掴めないでビジネスをする事は、
良い結果を生まないのは誰でも理解してる。

そうなると、自分の中の自然な感情と、
旅の中での現実の不自然さを解消する手段は、
「自分の物創りで需要を作り出せるか?」になる。

幸い。国内で旅を続けられる程には、其れは成立しているが、
やはり、欲というヤツは厄介なぐらい先に進みたがり、
アメリカを旅していても、同じ様に需要を求める。

BOSTON TATTOO CONVENTIONに招待される様になり、
定期的にオーダーを貰える様になった事は、
需要を作り出す事が出来ていると捉えているが、
まだ、もう一歩先に進みたかった。

インプロビゼーションによるライブクリエイションで、
尚且つ、自分にとって一番基本になる、彫る技術。
自分の旅や技術や流儀を、スピードと暴力に乗せ、
流れで300キロの豪速球が出せるかどうか?

誰より優れてるとか、誰より強いとか、誰より早いとか、
優秀や勝敗の彼岸で自分だけが持つ目標。
其れが如何に愚かで、バランスの崩れた事だとしても、
誰に文句を言われる筋合いもありゃしない。

不自然で不必要な存在の際には、
ビジネスだの常識だのの意識じゃ届かない。
愚かに自分の行動を信じた先に届く事を証明したかった。
誰からぬ俺に対してな、俺。


際に届けば、その先は際の際。
其処に届く事が極める事。
この旅で、其れをよく体感し理解した。

需要を作り出して、毎打席ホームランはまだ無理だが、
300キロの豪速球を出す事は、初めて出来て思う。
あの頃、15年以上前に見ていた夢や目標は、
誰かや何かに為に必要なのでも正しいのでも無く、
現在の自分に届く為に必要で正しかっただけだ。

9つのSIGNALを越えて、
其処に待っていたのは、
更に先まで続く長い旅。
其れだけだった。
  • 2017/05
  • 15 Monday
  • 21:00

9SIGNALS 9-1



誰かが、自分の親しい誰かが居なくなった時、
悲しみや寂しさを感じるのは、ごく普通の事だ。
家族、親兄弟、友人、恋人、知人。
人に限らず、ペットや物に対してであっても、
喪失は悲しみや寂しさを伴うのが常ではあるが、
其れは対象が失われる事に対してだけ感情が動くのではなく、
自分を知る存在、自分が知る存在が失われ、
自分という存在を共有した対象が消えてしまい、
自分という記憶と記録が減る事によって起こる。

世間は言う。
「親を大切にし、老人には優しく、先達を敬え」

育ててくれた恩。切り拓いてくれた事への感謝。
至極真っ当で、正論と言って差し障り無い言葉に聞こえる。
では、この言葉を今の日本の社会に照らし合わせてみる。

親が甘やかした末に増えるニート。
老害と呼ばれる程に起る様々な事件。
利権にしがみ付いて譲らない先人達。

どうだろうか?
至極真っ当で、正論と言って差し障り無いだろうか?

そもそも、
こんな言葉を子供の頃から常識として植え付けてきたのは、
誰からぬ、親や老人や先達である。
穿った見方をすれば、自分達の安全を確保する為に、
幼い頃から植え付け続けた意識とも捉えられる。

生物としての正しい姿は、先達を超える事であり、
親も老人も役割を終えれば踏み台になる存在だ。

しかし、人間は理性を持ち常識や道徳や義理や人情がある。
獣では無い、人としての生き方を確立してきた。

其れは、自分という存在が人類や先祖という文脈の一部で、
自分を認識し、承認し、記録してくれる存在が居て、
初めて自分が存在し得るという揺るが無い事実による。

同じ様に、
如何に鍛え上げた能力や技術が有ろうとも、
其れを打つける対象が存在しなければ、証明出来無い。


BOSTON TATTOO CONVENTION

旅をする先、打つける対象の選択肢の中に、
アメリカ以外の国が無かったと言えば嘘になる。
SPEED SPECTERでアメリカを旅する前に、
他の国やイベントに行き、視察に近い感覚で回ったりもした。

物創りを始める以前から、自分が影響を受けてきた文脈は、
歴史や美術に関してはヨーロッパ圏のモノだと思うし、
幾度もその文脈に関しては調べたりしてはきたのだが、
自分の創り出すモノとの大きな違いを考えると文化が違う。

様式がそうだからと言って、仕様もそうだとは限らず、
ルーツが同じでも派生の先はまた違うモノ。
物創りを始める前から影響を受けてきた文化は、
アメリカの不良だったし、映画の中に在った。

そんな気持ちがベースに有って、もっと深い場所へ。
そのまま物創りと同じ文脈に喧嘩売っても、
パリで展示会やってた頃と変わら無いし、意味が無い。

彫る対象が、「人体」か「銀」かの違い。
キーワードは、「不良」と「彫る」って事だけ、
それで選択したTATTOO CONVENTIONも、
今じゃあ、すっかりお馴染みになってきて、
そろそろ次のレベルで闘う時期になってきた、俺。

通用はする。勝てもする。
アメリカ人ブッ飛ばすのが当たり前になったら、
此処からは、スピードとクオリティの勝負。

300キロの豪速球投げて、毎打席ホームラン打てるか?

あの頃から、15年以上の時間が過ぎて、
今でもそんな馬鹿な事を思ってる。
思ってるだけじゃなくて、未だに目標にして動いてる。

何処かを目指して旅をする中で辿り着いた、
このSIGNALを越えた先に、誰も何も無くても、
俺の記憶も記録も、創り出す「何か」の中に。

迷いも憂いも無く、「何か」を創り出す。
そんな時間を過ごしてた。
  • 2017/05
  • 14 Sunday
  • 21:00

9SIGNALS 9-0



情熱は最も人を動かす燃料だ。
夢や目標が有れば、情熱という名の燃料を生み出す。

しかし、
情熱は最も利用され易い燃料でもある。
特に、クリエイティブと言われる仕事の現場では、
情熱を持って従事する人達が、見合わぬ対価で雇われ、
現実の厳しさに夢や目標を見失い、去って行く。
そんな話をよく耳にするし、目にする事もあった。

特別、そんな人達に憐れみや同情は感じないし、
雇う側や、そうなっている業界に憤りも感じない。
いくら綺麗事を言おうが、どんな世界だろうと、
夢や目標を見失い去って行く者は、それまでだっただけ。

夢も目標も、届く迄の険しさが如何程かと、
情熱と共に覚悟を決めても、現実は遥かに厳しい。

何かから去って行く人に限らずだが、
自分が情熱を注ぎ、過ぎ去った時間に対して、
現在の自分の価値観や美意識にそぐわないと、
自分の過去を「黒歴史」なんて言葉で表し、
恥や失敗として隠蔽したがる人も少なくない。

情熱が燃え尽き、黒い煤となってしまった時間。
そんな時間や痕跡を消し去りたいという事なのだろうか?

人の目に映る世界、光の反射による像、絵画や写真は、
光が表す像に、影が輪郭を浮かび上がらせ、
影の濃淡が味わいや美しさに深みを与える。
特殊な場合を除いて影の色は、黒である。

何かに情熱を燃やした過去の自分を切り捨てたり、
失敗にならない様に情熱を持たなかったり、
寧ろ、情熱なんてモノを発揮しない方がスマートだと、
額に汗する事すら嫌う様な生活がクールかの様に、
生きる中で必ず現れる影を嫌う人の人生は、
大概が輪郭がボヤけて薄っぺらだ。

その時、その場所、その対象でしか燃やせなかった情熱。
燃え尽きたとしても、過ちにするか?糧にするか?
決めるのは、常に現在の自分次第だ。


SIGNAL9 BUILT FOR SPEED

旅の終わり。
旅が終わったからって、何が手に入るのか?
誰かに説明し切れる程の言葉を、俺は持っていない。

時折、考える。
何処に辿り着きたいのか?
自分の夢や目標は?

賢いやり方、賢い選択。
そう呼ばれる方法や手段が、幾つも思い浮かぶ。
旅をするにしても、楽な道は幾つもあるだろうに。
誰かから忠告を受ける事は幾度もあった、
初めて旅に出る以前から今迄、ずっとあった。

少し、昔話を。

REFUSEって名前で店を構え、物創りを始めた頃は、
組織としては、地元の仲間が集まった会社でやってた。
マヌケなガキの頃からの付き合いで、
溜まり場から単車に乗って、朝まで気ままに流して、
9SIGNALSなんて遊びをやってた仲間と。

物創りはブランドへと進歩して、海外へ勝負しに行く頃、
アパレル業界の歳上の人や、先輩達から言われた。

「高蝶は世界に出れる才能が有るかもしれないけどさ」
「甲子園の優勝チームじゃあ、メジャーリーグで勝てない」

俺よりも上の世代の人達の流行りなのか、
何人かに同じ様な例えで、俺のやり方に忠告を受けた。
要するに、地元の仲間だけで強いと思ってても、
世界に出たら通用しない。って事を言われてた。
そんな時、俺はいつもこんな感じの言葉を返した。

「300キロの豪速球投げて、毎打席ホームランなら勝てますよ」

俺は、本気でそう思ってた。
自分に才能が有るかどうか判らないが、
世界に通用するかどうかも判らないが、
300?の豪速球、毎打席ホームラン。そんな例えみたいに、
自分のクリエイションの能力を上げていけば、
このままのチームでも世界に通用する筈だ。

人らしい暮しも無く物創りをひたすら鍛え続け、
生活も遊びも無くし物創りに従事して鍛え続け、
考え得る限りの、出来る限りの方法で鍛え続け、
海外での展示会を幾度も繰り返し、海外での取引先が増え、
自分のブランドが通用する様になった頃でも、
まだ300キロの豪速球は投げれてないし、
毎打席ホームラン打つ事も出来無いままで、
更に速く、更に強く、休まずに鍛え続けて、
ようやく、世界に通用する基本が出来上がった頃、
昔からの仲間は誰も居なくなっていた。

遊び、喧嘩、単車、バンド…………。
いつもそうだった。
真剣にやればやっただけ、仲間は居なくなっていく。

「本気すぎて付いていけねぇよ」
「お前は強いからいいよな」

去って行く奴等が言う言葉は、いつも同じだ。
恨みや憎しみなんてありゃしない。
いつもの事。いつもの言葉。
ただ、それだけの事だ。

きっと、
このSIGNALを越えても何も待っていない。

この旅が無事に終わっても何も変わら無い。
少しずつ流転していく日々が待ち構えているだけだ。

それでも、
何処かへ行き何かを創れば、何かは何処かへ行く。
其の何処かへ行き、其の何かを創りたい。
何も待っていなくても、何も変わらなくても。
この旅の情熱が燃え尽きて、
黒い煤になるか?真っ白な灰になるか?
答に辿り着くのは、其の「何か」の先なのは解ってる。
  • 2017/05
  • 13 Saturday
  • 20:14

旅の記憶の記述も終わりに近いですが

話が長くなり過ぎで、旅の記憶の記述も早よ終われと、
皆さん思っておられるかと思いますが、
GALLERY REFUSE二階の改装は始まりまして、俺。
今月末までは、一階のみの営業になります。



解体やって、材木切っての新たな始まりってね。

  • 2017/05
  • 12 Friday
  • 21:00

9SIGNALS 8-12



宗教とは一体何か?を考える時に、
神や仏は別にして考えなければならない。
神や仏とは何か?ではなくて、宗教とは一体何か?

林檎が入った籠を出され言われる。「数えて下さい」
貴方は答える為に、林檎が何個入ってるか数えたとしよう。
「全部で4個入ってました。答は4個です」
すると、林檎では無く籠だけくれる。

次に蓋の閉まった鍋を渡され言われる。「数えて下さい」
貴方が興味を持って蓋を開けようとしても、
貴方が興味を持たずに蓋を開けようとしなくても、
続けて言われます。「正解したら1億円」

興味が有っても興味が無くても、その言葉に惹かれたら、
鍋の蓋に手を掛け開けるでしょう。
蓋を開けた鍋の中にはギッシリ米粒が入っています。
さあ、数えて下さい。

コレが宗教。
稚拙な文章による例えになってしまってはいるが、
仏だのキリストだのユダヤだのイスラムだの、
基本はこの仕組みで、数え方と数える対象が違うだけ。

一粒を1として数えるのか?
一合を1として数えるのか?
鍋ごと1として数えるのか?
米を食べる時間を数えるのか?
米の炊き上りまでの時間を数えるのか?
米が腐るまでの時間を数えるのか?

どんな基準で、どんな方法や手段を用いようが、
数えきって正解した際の対価は同じ。
1億円。つまり、解り易い幸福と満足だ。
其れを、天国と呼ぶか極楽浄土か、解脱と呼ぶか。
名称が変われど、根本的なシステムや目的に変わりは無い。
正解を、経典と呼ぶか啓典と呼ぶか、聖書と呼ぶか。
しかし、と言うか当然なのだが、そこに正解は存在しない。
また、本当の正解を知る者も存在しない。
それこそ、「神のみぞ知る」だ。

要するに、
林檎の入った籠は貴方で、林檎は解り易い感情。
数え方も数える対象も、正解とも間違いだとも言わない。
ただ承認し、貴方は本当は空っぽな存在だと示される。
次に米粒の入った鍋は難解な本当の世界であり、
数え方も数える対象も、正解が存在すると仄めかす。
そして大義を説き、数え切ったら辿り着く先を示す。
宗教は、基本的にそうやって信者を増やすものだ。

言い換えると宗教とは、此の世を知る為の学問であり研究で、
其々が違った方程式や定理や解釈や理論で答を出そうとし、
自分達の式や解釈、答が正しいと譲らないだけで、
勝手にやっていれば良いだけなのだが、信者を増やす。
なにせ、学問も研究も続けるには、金が掛かる。

宗教は、承認、摂受、大義、真理。基本はこの四項目で。
摂受が折伏になる場合もあるし、細かな差異はあるが、
根幹は、人の欲に作用する事で構成される。

人は、悲しみや苦しみから解放され満たされていたく、
アイデンティティやレゾンデートルを知りたがり、
現状の自分を打破し、納得出来る結果を得たがる。
どんなに綺麗事を並べ理路整然と語ってみたところで、
其れは、生きる中で湧き上がる欲でしかない。

その欲に、フィットする宗教が在れば入信する。
また宗教の側も、そんな人の欲を理解して構築され、
解り易く信仰心を煽るイベントを用意している。

こうした内容の話を書く際に、幾度も述べているし、
誤解されたくない部分なので重ねて記述するが、
個人的に、欲や信仰心を悪だと思ってはいない。
人にとって欲は、基本的に重要なファクターだし、
信仰心で自分を定める事が出来るならば好きにすればいい。
この先の話の為に宗教の仕組みを例として挙げただけだ。


SOLID, BATTLE FIELD significance

物創りは、伝統を重んじ受け継ぐ事を善しとする。
その傾向は、日本のみならず他の国でも多く見られ、
一子相伝や、門外不出などが技術史にもよく用いられる。
また、其れ等に纏わる逸話も多く語られる。

技術は突き詰めれば宗教と似通った部分が多く。
教義や掟や規律の様なものが見受けられる事もあり、
伝統的な物創りでは技術修得の過程に於いて、
折伏が色濃く、宗教に近いシステムが用いられる。

現在のシルバーアクセ業界に於いての信仰は、
まぁ、大雑把に例えて言うなれば、WAXが唯一神的で、
3Dプリンターが新興宗教みたいな様相だろうか。
地金の鍛金や鏨の彫金は、仏教や日本神道とでもして、
そんな中でも色々な宗派が存在している。

インディペンデントなブランドであっても、
各々が自分好みの解釈を持ち、他の宗派も取り入れ、
オリジナルな信仰と真理を追究する。

例えずに言うなら、自分の世界観と技術の追究。
此れは、創り手であるならば誰もがしている事で、
ビジネスだけを優先させているのでなければ、
ブランドやクリエイションの根幹になってくる。
そんな中。

バトルという形式でクリエイションを行う。
其れは、答え合わせの様にも見えるが、
別に答え合わせがしたい訳では無いし、
誰が最高だとか、誰が最強だとかを決める闘いでは無い。
そうした部分は、観る側が勝手に決めてくれりゃあ良い。

だから、バトルのレポートを色々な事に準えながら、
好き勝手に俺の主観で書いてきてはいるが、
対戦相手の主観であれば、違う捉え方の違う結果。
観戦者からすれば、また違う捉え方の違う結果。
其れで良い。

では、何の為のバトルか?

SOLID, BATTLE FIELDで俺がやっている事は、
技術の違いについて、林檎の入った籠や、
米粒の詰まった鍋を渡したい訳じゃ無い。
創り手は意識していようがいまいが、
自分だけの信仰で真理に辿り着こうとするならば、
林檎だろうが米粒だろうが、数え方は皆が違う。
だからこそ、バトルでどちらが正解か?
なんて事をしても意味は無く、互いの技量を打つけ合い、
解釈の違いが合わさると、何が創造されるのか?
其れが一番重要なポイントになる。

SOLIDのルールが日頃使用している技術と合わない創り手、
人前でクリエイションを行うのが合わない創り手、
彫金やジュエリーの世界に、そんな創り手は多く、
このバトルが今の形式のままで広がる事は無いだろう。

ただ、個人的な欲を言えば、SOLID, BATTLE FIELDの、
このスピードでなければ、闘えない世界が在り、
創造力を暴れさせなければ、辿り着けない世界が在る。
その事は知って貰いたい。

元来、彫金やジュエリーの世界でバトルは必要無いし、
宗教と同じく、自分達の解釈が正解とする事が多い世界で、
わざわざ競い合いに身を投じて正解を覆されたくはないし、
そもそも原語が違い過ぎて噛み合わない人達も多い。

そう言った事情や現状はよく理解しているので、
業界の大多数の人に無理に闘えとは思わない。
だが、自分の技術や世界観が最高だの最強だのと思うなら、
ルールがどうだのと影でグチグチ言わずに、
とっとと勝負しやがれって話だ。

時間を掛けて、綺麗に美しく製作するのは、
プロフェッショナル・技術者として出来て当然だ。
自分の想像や欲求を密室で打つけて製作するのも当然だ。
其れが、彫金やジュエリーの世界だと思い込み、
自分の世界観・技術を信仰の様に持ち続ける。
トレーニングを繰り返し、的確で正解な動き。
クリエイティビティは計算しながら発揮して、
研鑽を積み重ね、技術を磨き続け精進してきた。
そんな自分の信仰と真理がスピードに試され、
クリエイティビティの暴力で揺らぐのは恐いかい?

まぁ、先にも述べた通り、技術を打つけ合うのに、
SOLIDのルールがベストか?って疑問は付いてまわる。
だから、別のルールで闘うってんなら、其れでも良い。

そして、闘いたいかどうかは別にしても、
個人で世界と闘うには、スピードと暴力。
クリエイションを完了させるスピードと、
クリエイティビティを暴れさせる力が必要になる。
2017年現在まで、其れは変わらない真理だと、
他の創り手に訴えかけるのは、俺の役割だ。

何故かって?
信仰を揺るがすのは悪魔の仕業だと、
どの宗教でも相場が決まってる。

いつ何時、誰の挑戦でも戦場で待ってるぜ、俺。

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