• 2019/05
  • 26 Sunday
  • 01:50

論理と感情



男性は論理的な会話や解説を好むとされ、
女性は感情的な会話や説明を好むとされているが、
これは少し間違った捉え方に感じてしまう。

男性は答を論理で導き出したいのであり、
女性は感情のこもった答が欲しいのである。
と、するのは少し強引だろうか?

よく語られる論理と感情の話ではあるが、
どちらが正しいかを極論まで持っていくと答は簡単だ。
現状の人類が選択している事を正しさとしての話だが。

先ずは論理と感情が何であるかの話から始めるとしよう。

論理はつまり、掛け算の九九の様なものであって、
ある数字にある数字を掛けると答が出る。
3×4=12みたいな具合に決まった答を導き出す。

感情を同じ例えで表すと、3×4は12では無く、
25になったり1になったり19738になったりもする。
何故なら、それが好きだったり嫌いだったりだからだ。

こうして例えてみると如何にも論理が正しく思えるが、
次の話に移してみると正しさは逆転してしまう。

少子高齢化が進み景気が悪い日本にとって、
目下の課題は増加した高齢者と財政難だが、
論理的に解決しようと思えば簡単な方法がある。

70歳以上の老人は不動産を含む財産を子に相続、
もしくは国に収めて老人だけが暮らす土地に移住。
其処での暮らしは収めた財産に準じた年金制度にカタチで、
国が住居や医療などの費用を負担するものとする。
すると、貯め込んだ財産は次の世代に移り、
握られていた土地も若い世代が使える様になり、
老害なんて言われる現象も無くなるだろう。

かなりザックリな話でしか無いが、もし実現すれば、
少子高齢化も財政難も解消出来る可能性は高い。
まぁ、あくまで例としてだが可能性が高いとしよう。

しかし、人権だの法律だのの問題を抜きにして実現しない。
何故なら老人達にとっては、嫌な事だからだ。

長く暮らした土地で最期の時を迎えたい。とか、
自分の財産は死ぬまで保有し続けたい。だとか、
子や孫と離れて暮らしたくない。みたいな話は、
全て論理では無くて感情が根底にあっての話だ。

つまり、論理よりも感情が正しい事になる。

既に世界的に人口増加と資源や食料不足や環境汚染、
問題が山積みとなっている中で簡単に解決するには、
戦争やウィルスで40億人ぐらいが死ぬ事だ。
と、論理的には語る事が出来たとしても実現しない。
もし、自分が死ぬ側で無いとしても人は感情的に拒否する。

正しさが、多くの人々が望む事なのだとしたら、
論理よりも感情が正しくなるのが、この世界だ。

いずれ、テクノロジーが更に進化していき、
シンギュラリティが訪れた頃には感情も解析され、
論理と感情の溝が無くなったりとかしたなら、
もう少しはマシな世界になったりすんのかねぇ。
  • 2019/05
  • 25 Saturday
  • 03:50

感謝罪

色々なメディアでよく見るだろうシーンに、
問題を起こした誰かが謝罪するというのがある。

罪を犯した、誰かを傷付けた、社会を混乱に陥れた、
そう言った類の問題ならば公の場で謝罪は必要だろう。
公人ならば尚の事、解決策や賠償等を用意して、
経緯の説明と謝罪が必要とされるところだ。

其れは社会的道義の部分を考慮してみても、
公人や企業ならば大衆の納得を必要とするからだが、
よくある不倫等の犯罪では無い問題や事象で、
何か知らんが記者会見みたいなのをやるとさ、
「お騒がせして申し訳ありませんでした」って謝罪。
アレって先ずはメディア側が感謝を述べるべきじゃないの?

騒がせたのは問題起こした本人じゃあなくって、
メディアが勝手に騒いで大衆を騒がせたんだよね。
だって騒がせんのがメディアの仕事なんだから。
だから、謝罪させる前にメディアは感謝じゃないかな?

隠れて不倫だのしてたら大衆は誰も知らないから騒がない。
騒ぎようが無いのにメディアが盗撮だのして騒がせる。
だって、それがメディアの仕事なんだから、騒がせる。
仕事のネタ貰ったら、やっぱり感謝って必要じゃない?

そんでもって日常に騒ぎの楽しみ貰った大衆も、
暇しなくて済むんだから、やっぱり感謝じゃない?

騒がせんのが仕事だから騒がせてお給金を頂く。
騒いで日常の中に暇を潰す話題を提供して頂く。
その上で更に謝罪して頂く必要ってあんの?
むしろ感謝とかした方がいいんじゃないの?

まぁ、芸能人みてぇな場合はファンだのスポンサーだの、
仕事に関係する方々へは謝罪するべきだろうが、
それ以外の人々に謝罪する意味って何だろね?

問題の無い社会が良いとはよく聞くが、
問題の無い社会に本当になったのなら?
多くのメディアで報道関係はする事が無くなり、
天気予報と商品紹介と占いとかのオンパレードで、
視聴者や購読者は激減してスポンサーはいなくなる。
まぁ、平たく言って立ち行かなくなるだろう。

「交通違反は許しません!」って言ったところで、
本当に交通違反が無くなったら困っちゃう、
警察や国庫と同じようなもんなんだから、
やっぱり感謝を先に述べるべきじゃねぇかな。

御礼が言えない奴はダメな奴、感謝を忘れるのは罪、
って道徳だか何だったかで習ったよね?
忘れちゃったんかなぁ。って感じる時あるよね。

感謝を述べないと罪になる「感謝罪」とかあったら、
公人とか芸能人が何かしでかした時とかに、
感謝を忘れて謝罪して感謝されるって事になるんかな?

  • 2019/05
  • 24 Friday
  • 02:49

それは良い事

有識者の意見を見聞きしたがる人の数は多い。

不安や不明な事を知識のある人達の意見から学ぶ。
どうやら世の中的に、其れは良い事となっているらしい。



粗探しをするつもりは無いし、良いなら良い事だろうが、
有識者は単に有識者であって指導者や預言者では無い。

「AIが人間の仕事を奪う」なんて言葉を聞くと、
どうすれば自分は仕事を失わないで済むかを考える。
しかし、AIが何であるかもいまいち不明だし、
ひょっとして自分が職無しになる不安の解消も出来ない。
すると頼りになるのは有識者による意見だ。

有識者が語るところによると、何某の職業は安泰で、
AIは有効な活用法があるから人は単純作業から開放され、
よりクリエイティブな能力を発揮するべきだとか何とか。

「なるほどなぁ〜」なんて頷いてみても、
じゃあ、クリエイティブに誰もがなれるだろうか?
貴方が20代前半ならまだしも、40代前半なら?

そもそも誰もがクリエイティブになってしまい、
いくらでもオリジナルの製品やサービスを生み出せたら、
大量生産品は大量消費されなくなり経済は傾く。

大袈裟に言えばだが、大量の「右向け右」が、
大量の需要を生み出し大量の供給を可能にし、
大量の消費によって発展するのが経済だ。
誰もが違った方向を向いてしまったら経済は破綻する。

有識者の多くは、今の知識で未来について語り、
其れはつまり一つの予測でしかない意見だ。
競馬場でガナってる予想屋のオヤジとさして変わらない。

自己啓発や未来を読み解く系の本に書いているのは、
つまりはそーゆー事が殆どでしか無くて、
外れ9割の予想屋のオヤジに金を払うのと同じだ。

それでも、
自分の不安や不明な事が少しでも解消されるならと、
金を払いたいなら別に良いんじゃないだろうか。
何故だか知らないが、どうやら世の中的には、
それは良い事となっているらしいんだから。
  • 2019/05
  • 23 Thursday
  • 01:01

需要と供給



誰かが望む何かを提供する事が出来るか?
提供する何かを誰かが望む事に出来るか?

前者は需要への供給、後者は需要の開拓。
似ている様で異なるこの二つがビジネスの基本であり、
普遍的なルールの如く資本主義に横たわる。

しかしまぁ、この仕組みは人間関係においても通用し、
恋愛事なんかは、その最たるもんでもあるんだが、
あまりそういった考え方が為されないのは、
ロジックよりも感情的に捉えたいからのだろう。

生物としての人の最小単位は個人になるので、
例えを個人の食事にしてみるとしよう。

人類は一般的な生活を営むだけの栄養素の摂取を必要とし、
必要な摂取が行えないと身体に変調をきたしたりと、
思考するよりも肉体自体が需要を持ち摂取する。
これは需要と供給のバランスが存在しているからだ。

しかし、人類は栄養摂取の際に伴う味覚に精神的満足を得て、
必要以上の栄養素を摂取する行為を行うようになった。
これは「美味しさ」という需要が生まれた事が原因だ。
そうして増加したのが所謂、肥満という現象である。

この例えから何が導き出されるかと言えば、
需要と供給が本来のバランスであれば問題は起こり難いが、
新たな需要を生み出す事は、意図せぬ現象をも生み出す事。

ここで今一度、しかしと考える。
人類の文明や文化の発展は、意図せぬ現象によって起こり、
需要と供給のバランスを保っているだけでは起こり難い。

ただ、新たな需要や新たな供給が正しいと限らないのは、
個人の食事でも恋愛でも同じ事でしか無く、
必要としても得られず、必要とせずとも得れてしまう。

自分にとっての需要と供給。そのバランスは正しいか?
自分にとっても誰かにとっても需要を生み出するのか?
そして其処に派生であろう意図せぬ現象を楽しめるか?

以上、人生を需要と供給のロジックで捉えてみるでした。
  • 2019/05
  • 22 Wednesday
  • 08:07

何でもない話

出来るだけ大袈裟に何でもない話を誰かに語る。
仕事や食事や趣味や友人や自分の悩み事なんかを。



大袈裟にしておかないと何でもない話は流されてしまうから、
何でもない話を何かがある話の様にしなきゃならない。
誰かの関心を引きたがる時に人はそうする。

理解や受け入れを会話によって得る際に、
人の脳内は性交渉に勝る快感で満たされていく。

理解や受け入れを得る為に何でもない話を
理解して貰い易く、受け入れてくれ易く、
何でもない話だと流されてしまうから大袈裟に、
何でもない話を何かがある話の様なフリして。

面と向かっての会話だと、何でもない話だとバレるから、
画面越しに、自分のペースで何かがある話かの様に、
面と向かって快感を得る性交渉に満たない、
自慰行為を誰かに理解して受け入れて貰う。

そうやって理解して受け入れて貰う為に大袈裟になった、
何でもない話の何でもない自分は変容していき、
何ともなかった暮しが何ともならない暮しになり、
何でもない話ですら何かがある話の様に感じてしまう。

ありふれた何でもない話の何でもない自分は、
理解して受け入れて貰う為に大袈裟にしているうちに、
あり得ない何かがある話の様に何でも感じる、
自分でも理解も受け入れも出来ない自分になって、
何でもない様な事すら何ともなく出来なくなる。

そんな公開オナニーマン達が増えたとしても、
嬉しくも悲しくもない、何でもない話でしか無い、俺。
  • 2019/05
  • 21 Tuesday
  • 18:14

パラメーター



自分の能力を計測する際に図解としての用法で、
分かり易く表記するパラメーターを用いるとして、
そのパラメーターに何の計測が表されるか?が重要になる。

簡単に言うと何をどうやって細分化して、
カテゴライズをどう分けて計測するのかを
自分で考えて自分の能力を知るより他に無い。

例えば、シルバーアクセサリーを制作する能力で、
「技術」というカテゴリーを設けてみても、
「技術」にも様々な種類が存在するので、
専用のパラメーターを用意して計測しなければならない。

自分がどう存在していたいか?に応じて変化はするが、
カテゴリーが多くても少なくてもバランスが求められ、
突出した何かよりも全体的なバランスの良さが求められる。

バランスと言うと、より均等に配分された能力値の、
円に近いパラメーターを想像しがちだが、
本当にバランスの良い状態はレイヤードで生まれる。

ルックス面でのパラメーターが高い値で円に近くても、
頭脳面でのパラメーターが低い値でガタガタで、
性格面は低い値で円に近く、収入面がゼロに近いと、
全てを重ね合わせた時に非常にバランスが悪くなる。

しかし、バランスの悪さはストレートな重ね方によるので、
各パラメーターの向きを変えながらレイヤードしていくと、
バランスの良い、もしくは良くなっていく、
そんな重ね合わせ方というのが存在していたりする。

誰々と誰某が相性が良い。みたいな掛け合わせに似た、
長所と短所の掛け合わせ方と言った方が分かり易いか。

このパラメーターのレイヤードで失敗する人。
そうでもなければ気が付かない人というのは多く、
簡単に言うと「物事が上手くいかない」に繋がり易い。

では、何故に失敗したり気が付かない人が多いかと言うと、
理想と欲が最大の原因となってきてしまう。

正確に計測して図解で表したパラメーターを
全てのレイヤードパターンを思考して可能性を見出すと、
多くの場合に自分の理想や欲求とは違うベクトルが示される。

大概の場合は、そんな答えは知りたくないか、
知っても否定する事で自分を保とうとしてしまう。

「君に一番向いてるのは空きカン拾いだね」
と言われて素直に空きカン拾いで生活するだろうか?

「あなたは脂ぎったオッさんと結婚するのが幸せだよ」
と言われて場末のスナックで結婚相手を探すだろうか?

そんな極端な例えじゃなくとも、
最適を否定する事は多くの人がするだろうし、
その原因の多くは、理想や欲によって見誤る事だろう。

見誤る事すら無く、最適を探す事すら無く、
パラメーターを想像して可能性を思考する事すら、
多くの人がしないままで年齢を重ねていき、
最適であった筈の可能性すらも無くす。

世の中が変わり続け、時間が進み続ける限り、
自分が望まなくともパラメーターの値も日々変化し、
レイヤードバランスも修正していかなければ、
最適の可能性も選べなくなってしまうのだが、
なかなか見直せないのが世の常、人の常。

バランス悪くて可能性少ないのに努力するのは勝手だが、
それならせめて人様に迷惑掛けないでおきたいと、
自分を鑑みると思いますなぁ、俺。
  • 2019/05
  • 20 Monday
  • 22:31

浸る



寒い日の夕方に、友達の家でポルノ映画を観た。

ポルノが観たかった訳でも無くてダベってただけで、
内容はもう覚えていないし、タイトルも判らない。
少年の頃、そんな時間があったという記憶だけが残ってる。

時折、昔の記憶に浸る時間を持つと細部を思い出す。
味気ない冷めた珈琲と、まだ慣れてない煙草の味、
シンナーで溶けたコントローラーは何のゲーム機だったか、
そこまでは思い出せないけれど、時間の香りは思い出す。

あの頃の、先が見えない感じが今でも自分の中にあって、
何かを慣れた感じでやっていても不思議に思う時がある。

狭い部屋で、やる事も無く食べる物も無く、
描ける様な未来も楽しくなれる様な夢も無く、
盗んだ珈琲と誰かの煙草だけがあった時間。

現在をいくら満たしても、過去を満たす事は出来ない。
その時間が、無駄になってない事を証明し続けるしかない。

寒い日の夕方に、友達の家でポルノ映画を観た。
きっともう二度と観る事も無いが、今でも思い出す。
  • 2019/05
  • 19 Sunday
  • 13:38

無能死すべし



学校という制度で何を学ぶべきか?
一般的な小中高と進学していくと型に嵌められていき、
没個性型の量産タイプが増えていくとされたが故に、
教育の見直しで「ゆとり教育」が発足したが、
これはこれで違った没個性型を量産してしまい、
更なる見直しが検討されるに至ったが次の打つ手が無い。

個性を尊ぶ、多様性、聞こえは良いが何かがおかしい。
個性を尊重している筈なのに、皆が同じ様な服を買い、
皆が同じ様にSNSを使い、同じ様な事を言う。

個性は結局のところ、大局的な流れには勝てない。
稀に個性が流れを一時的に変える事はあるが、
必ず変わる背景が存在しての変化でしかない。

いくら個性を尊重して多様性を認めたところで、
社会には法があり倫理や道徳が存在しているので、
その型枠から出る事は高いハードルになる。

誰もが高いハードルを越えられる個性を
型枠を打ち破れる才能を持っているだろうか?

すると何処からか声が上がる、「ハードルが悪い」と。

実質的には資本主義社会の根本は「無能死すべし」であり、
教育を変えて、型枠を変えて、ハードルを下げても、
必ず個では生き抜けない者は出てくるし、
全ての個を尊重出来る教育は存在しない。

型に嵌めるという側面は悪いことの様に捉えられがちだが、
型に嵌めなければ崩れてしまう人達にも向けられている。

学校教育は才能を伸ばさない側面もあるが、
同様に無能さをそのまま放置しない側面もある。

教育のみならず様々な場面では、生きていくうえで、
個性が重要だと一部の成功例を挙げて言われる。
果たして本当にそうなんだろうか?

個性って、そんなに重要ですか?

成功した個性の裏側には、成功に至らなかった個性が、
成功の何倍も何十倍も屍の様に積み上がっているが、
それでも個性が重要だと言い切れるのだとしたら、
失敗した個性に対しての責任はだれが取るのだろう?

  • 2019/05
  • 18 Saturday
  • 22:03

才能無き天才達



「欲に目が眩んで」という言葉や事象はよく見聞きするが、
「自己に目が眩んで」という人や事象もよく見聞きする。

如何に優れた能力を持ち発揮出来たとしても、
世の中に認められなければ其れは天才とは呼ばれない。
天才が天才である所以はその能力そのもでは無く、
世の中に認めて貰える才能にこそある。

死後評価される作家、時代が変わって認められる理論、
テクノロジーの進化で理解されたアイデア。
戦争や虐殺も歴史が重なれば英雄や優れたリーダーだが、
更に歴史が重なればその史実も間違いだったとされる。

優れた能力や優れた作品が必ず天才になるのでは無く、
世の中に認められる能力こそが天才を生み出す。
其れがこの世の中の成り立ちでありルールだ。
需要を生み出せない天才は才能が無い。

何を持って天才とするかの定義は個人の主観が大きいが、
それにしても人は自己の評価で目を眩ませがちだし、
偏った価値観は知らぬ間に毒の様に個人を蝕んでいく。

認めて貰えず栄光を掴めない自分を鑑みて、
優れた能力や優れた作品なのにと嘆くよりも、
需要を生み出せない自分に気が付く事のが重要だ。

天才でも無ければ才能も栄光も無い俺でも判る事が、
判らないで嘆いてる人はどれだけ天才なんだろうか?
  • 2019/05
  • 17 Friday
  • 23:15

過去との付き合い方

人は過去に囚われる。
過去の積み重ねが現代を形作るのだから当然の話だが、
現在をどう捉えて意識するかによって過去も形作られる。

過去が10年前か10分前かで意識は大きく変わるが、
それは時間経過と現在によって変わるのであって、
過去そのものが変化や変容する訳では無い。

例えば、10年前に誰かを傷付けたと強く覚えていたとして、
心の何処かで気に病んだままだったとしても、
相手は何も意識していないか覚えていないかもしれない。

例えば、10分前に誰かと何気ない会話をしていたとして、
特に気に留める事も無く過ぎ去ったとしても、
相手は傷付けられたと意識してしまってるかもしれない。

共有していたつもりの時間や意識は過去になると、
現在の個別の時間や意識によって変化していく。

過去が現在を形作るのと同じ様に、現在は過去を形作る。

後になって解る事、失ってから気が付く事、
そんなよく聞く言葉の様に過去が形を変えて、
現在の自分の中に違う意識を齎す事があったり、
若くは真逆に何の変化も無いまま過去を留めたりするが、
その際に、人は都合の良さを発揮する。
所謂、思い込みや勘違いでの決め付けってヤツだ。



過去を現在が良くするか、現在を過去が悪くするか、
過去を現在が悪くするか、現在を過去が良くするか、
いずれにしせよ、人は都合良く生きる性質を持つ。

傷付けてしまったと思い込んだ10年前、
傷付けられたと思い込んでいた10分前、
その過去の時間と意識は本物だろうか?

都合良く捉えるのは勝手だが過去はいつまでも其処に居る。
ただしっかりと振り返って向き合わないだけで。

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