• 2017/05
  • 12 Friday
  • 21:00

9SIGNALS 8-12



宗教とは一体何か?を考える時に、
神や仏は別にして考えなければならない。
神や仏とは何か?ではなくて、宗教とは一体何か?

林檎が入った籠を出され言われる。「数えて下さい」
貴方は答える為に、林檎が何個入ってるか数えたとしよう。
「全部で4個入ってました。答は4個です」
すると、林檎では無く籠だけくれる。

次に蓋の閉まった鍋を渡され言われる。「数えて下さい」
貴方が興味を持って蓋を開けようとしても、
貴方が興味を持たずに蓋を開けようとしなくても、
続けて言われます。「正解したら1億円」

興味が有っても興味が無くても、その言葉に惹かれたら、
鍋の蓋に手を掛け開けるでしょう。
蓋を開けた鍋の中にはギッシリ米粒が入っています。
さあ、数えて下さい。

コレが宗教。
稚拙な文章による例えになってしまってはいるが、
仏だのキリストだのユダヤだのイスラムだの、
基本はこの仕組みで、数え方と数える対象が違うだけ。

一粒を1として数えるのか?
一合を1として数えるのか?
鍋ごと1として数えるのか?
米を食べる時間を数えるのか?
米の炊き上りまでの時間を数えるのか?
米が腐るまでの時間を数えるのか?

どんな基準で、どんな方法や手段を用いようが、
数えきって正解した際の対価は同じ。
1億円。つまり、解り易い幸福と満足だ。
其れを、天国と呼ぶか極楽浄土か、解脱と呼ぶか。
名称が変われど、根本的なシステムや目的に変わりは無い。
正解を、経典と呼ぶか啓典と呼ぶか、聖書と呼ぶか。
しかし、と言うか当然なのだが、そこに正解は存在しない。
また、本当の正解を知る者も存在しない。
それこそ、「神のみぞ知る」だ。

要するに、
林檎の入った籠は貴方で、林檎は解り易い感情。
数え方も数える対象も、正解とも間違いだとも言わない。
ただ承認し、貴方は本当は空っぽな存在だと示される。
次に米粒の入った鍋は難解な本当の世界であり、
数え方も数える対象も、正解が存在すると仄めかす。
そして大義を説き、数え切ったら辿り着く先を示す。
宗教は、基本的にそうやって信者を増やすものだ。

言い換えると宗教とは、此の世を知る為の学問であり研究で、
其々が違った方程式や定理や解釈や理論で答を出そうとし、
自分達の式や解釈、答が正しいと譲らないだけで、
勝手にやっていれば良いだけなのだが、信者を増やす。
なにせ、学問も研究も続けるには、金が掛かる。

宗教は、承認、摂受、大義、真理。基本はこの四項目で。
摂受が折伏になる場合もあるし、細かな差異はあるが、
根幹は、人の欲に作用する事で構成される。

人は、悲しみや苦しみから解放され満たされていたく、
アイデンティティやレゾンデートルを知りたがり、
現状の自分を打破し、納得出来る結果を得たがる。
どんなに綺麗事を並べ理路整然と語ってみたところで、
其れは、生きる中で湧き上がる欲でしかない。

その欲に、フィットする宗教が在れば入信する。
また宗教の側も、そんな人の欲を理解して構築され、
解り易く信仰心を煽るイベントを用意している。

こうした内容の話を書く際に、幾度も述べているし、
誤解されたくない部分なので重ねて記述するが、
個人的に、欲や信仰心を悪だと思ってはいない。
人にとって欲は、基本的に重要なファクターだし、
信仰心で自分を定める事が出来るならば好きにすればいい。
この先の話の為に宗教の仕組みを例として挙げただけだ。


SOLID, BATTLE FIELD significance

物創りは、伝統を重んじ受け継ぐ事を善しとする。
その傾向は、日本のみならず他の国でも多く見られ、
一子相伝や、門外不出などが技術史にもよく用いられる。
また、其れ等に纏わる逸話も多く語られる。

技術は突き詰めれば宗教と似通った部分が多く。
教義や掟や規律の様なものが見受けられる事もあり、
伝統的な物創りでは技術修得の過程に於いて、
折伏が色濃く、宗教に近いシステムが用いられる。

現在のシルバーアクセ業界に於いての信仰は、
まぁ、大雑把に例えて言うなれば、WAXが唯一神的で、
3Dプリンターが新興宗教みたいな様相だろうか。
地金の鍛金や鏨の彫金は、仏教や日本神道とでもして、
そんな中でも色々な宗派が存在している。

インディペンデントなブランドであっても、
各々が自分好みの解釈を持ち、他の宗派も取り入れ、
オリジナルな信仰と真理を追究する。

例えずに言うなら、自分の世界観と技術の追究。
此れは、創り手であるならば誰もがしている事で、
ビジネスだけを優先させているのでなければ、
ブランドやクリエイションの根幹になってくる。
そんな中。

バトルという形式でクリエイションを行う。
其れは、答え合わせの様にも見えるが、
別に答え合わせがしたい訳では無いし、
誰が最高だとか、誰が最強だとかを決める闘いでは無い。
そうした部分は、観る側が勝手に決めてくれりゃあ良い。

だから、バトルのレポートを色々な事に準えながら、
好き勝手に俺の主観で書いてきてはいるが、
対戦相手の主観であれば、違う捉え方の違う結果。
観戦者からすれば、また違う捉え方の違う結果。
其れで良い。

では、何の為のバトルか?

SOLID, BATTLE FIELDで俺がやっている事は、
技術の違いについて、林檎の入った籠や、
米粒の詰まった鍋を渡したい訳じゃ無い。
創り手は意識していようがいまいが、
自分だけの信仰で真理に辿り着こうとするならば、
林檎だろうが米粒だろうが、数え方は皆が違う。
だからこそ、バトルでどちらが正解か?
なんて事をしても意味は無く、互いの技量を打つけ合い、
解釈の違いが合わさると、何が創造されるのか?
其れが一番重要なポイントになる。

SOLIDのルールが日頃使用している技術と合わない創り手、
人前でクリエイションを行うのが合わない創り手、
彫金やジュエリーの世界に、そんな創り手は多く、
このバトルが今の形式のままで広がる事は無いだろう。

ただ、個人的な欲を言えば、SOLID, BATTLE FIELDの、
このスピードでなければ、闘えない世界が在り、
創造力を暴れさせなければ、辿り着けない世界が在る。
その事は知って貰いたい。

元来、彫金やジュエリーの世界でバトルは必要無いし、
宗教と同じく、自分達の解釈が正解とする事が多い世界で、
わざわざ競い合いに身を投じて正解を覆されたくはないし、
そもそも原語が違い過ぎて噛み合わない人達も多い。

そう言った事情や現状はよく理解しているので、
業界の大多数の人に無理に闘えとは思わない。
だが、自分の技術や世界観が最高だの最強だのと思うなら、
ルールがどうだのと影でグチグチ言わずに、
とっとと勝負しやがれって話だ。

時間を掛けて、綺麗に美しく製作するのは、
プロフェッショナル・技術者として出来て当然だ。
自分の想像や欲求を密室で打つけて製作するのも当然だ。
其れが、彫金やジュエリーの世界だと思い込み、
自分の世界観・技術を信仰の様に持ち続ける。
トレーニングを繰り返し、的確で正解な動き。
クリエイティビティは計算しながら発揮して、
研鑽を積み重ね、技術を磨き続け精進してきた。
そんな自分の信仰と真理がスピードに試され、
クリエイティビティの暴力で揺らぐのは恐いかい?

まぁ、先にも述べた通り、技術を打つけ合うのに、
SOLIDのルールがベストか?って疑問は付いてまわる。
だから、別のルールで闘うってんなら、其れでも良い。

そして、闘いたいかどうかは別にしても、
個人で世界と闘うには、スピードと暴力。
クリエイションを完了させるスピードと、
クリエイティビティを暴れさせる力が必要になる。
2017年現在まで、其れは変わらない真理だと、
他の創り手に訴えかけるのは、俺の役割だ。

何故かって?
信仰を揺るがすのは悪魔の仕業だと、
どの宗教でも相場が決まってる。

いつ何時、誰の挑戦でも戦場で待ってるぜ、俺。

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