• 2017/05
  • 15 Monday
  • 21:00

9SIGNALS 9-1



誰かが、自分の親しい誰かが居なくなった時、
悲しみや寂しさを感じるのは、ごく普通の事だ。
家族、親兄弟、友人、恋人、知人。
人に限らず、ペットや物に対してであっても、
喪失は悲しみや寂しさを伴うのが常ではあるが、
其れは対象が失われる事に対してだけ感情が動くのではなく、
自分を知る存在、自分が知る存在が失われ、
自分という存在を共有した対象が消えてしまい、
自分という記憶と記録が減る事によって起こる。

世間は言う。
「親を大切にし、老人には優しく、先達を敬え」

育ててくれた恩。切り拓いてくれた事への感謝。
至極真っ当で、正論と言って差し障り無い言葉に聞こえる。
では、この言葉を今の日本の社会に照らし合わせてみる。

親が甘やかした末に増えるニート。
老害と呼ばれる程に起る様々な事件。
利権にしがみ付いて譲らない先人達。

どうだろうか?
至極真っ当で、正論と言って差し障り無いだろうか?

そもそも、
こんな言葉を子供の頃から常識として植え付けてきたのは、
誰からぬ、親や老人や先達である。
穿った見方をすれば、自分達の安全を確保する為に、
幼い頃から植え付け続けた意識とも捉えられる。

生物としての正しい姿は、先達を超える事であり、
親も老人も役割を終えれば踏み台になる存在だ。

しかし、人間は理性を持ち常識や道徳や義理や人情がある。
獣では無い、人としての生き方を確立してきた。

其れは、自分という存在が人類や先祖という文脈の一部で、
自分を認識し、承認し、記録してくれる存在が居て、
初めて自分が存在し得るという揺るが無い事実による。

同じ様に、
如何に鍛え上げた能力や技術が有ろうとも、
其れを打つける対象が存在しなければ、証明出来無い。


BOSTON TATTOO CONVENTION

旅をする先、打つける対象の選択肢の中に、
アメリカ以外の国が無かったと言えば嘘になる。
SPEED SPECTERでアメリカを旅する前に、
他の国やイベントに行き、視察に近い感覚で回ったりもした。

物創りを始める以前から、自分が影響を受けてきた文脈は、
歴史や美術に関してはヨーロッパ圏のモノだと思うし、
幾度もその文脈に関しては調べたりしてはきたのだが、
自分の創り出すモノとの大きな違いを考えると文化が違う。

様式がそうだからと言って、仕様もそうだとは限らず、
ルーツが同じでも派生の先はまた違うモノ。
物創りを始める前から影響を受けてきた文化は、
アメリカの不良だったし、映画の中に在った。

そんな気持ちがベースに有って、もっと深い場所へ。
そのまま物創りと同じ文脈に喧嘩売っても、
パリで展示会やってた頃と変わら無いし、意味が無い。

彫る対象が、「人体」か「銀」かの違い。
キーワードは、「不良」と「彫る」って事だけ、
それで選択したTATTOO CONVENTIONも、
今じゃあ、すっかりお馴染みになってきて、
そろそろ次のレベルで闘う時期になってきた、俺。

通用はする。勝てもする。
アメリカ人ブッ飛ばすのが当たり前になったら、
此処からは、スピードとクオリティの勝負。

300キロの豪速球投げて、毎打席ホームラン打てるか?

あの頃から、15年以上の時間が過ぎて、
今でもそんな馬鹿な事を思ってる。
思ってるだけじゃなくて、未だに目標にして動いてる。

何処かを目指して旅をする中で辿り着いた、
このSIGNALを越えた先に、誰も何も無くても、
俺の記憶も記録も、創り出す「何か」の中に。

迷いも憂いも無く、「何か」を創り出す。
そんな時間を過ごしてた。

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