• 2017/05
  • 16 Tuesday
  • 21:00

9SIGNALS 9-2



システムやテクノロジーの進化、文明や科学が進歩し、
其れに伴って人類の意識も進歩し問題が増える。

人権の尊重、男女平等、差別の排除、動物愛護、
戦争の廃止、自然保護、経済の自由、健康維持。
意識を進歩させれば、問題提起も必ず起こる。

知らなければ気にも留めない事が、次々と気になり、
誰が悪いか、何が悪いか、どうして悪いか?
「悪者誰だ?」を繰り返して、糾弾は止む事が無く、
問題は常に起こり、諍いも争いもが尽きない世の中だが、
其れ等の元凶が何かと言えば、全て人類である。

意識の進歩や高さは常に二つの理由で支えられ、
自分達が優れた存在であろうとする欲と、
保有している側であり続けたいという欲が突き動かす。
つまり、人類は他の種に比べて優秀な存在であり、
地球をコントロールする能力を保有していたがる。
そんな欲が、国や民族、宗教や性別など毎に細かく有り、
何らかしらのコミュニティに限らず、個人間でも起こる。

馬鹿馬鹿しいのは、優秀さを幾ら意識してみたところで、
未だに、人類は万人が納得する「生命」や「死」の定義も、
神の存在も不在も証明出来無いままだというのに、
個人の好き嫌いを自然で純粋な感情や人権を盾に、
細かな諍いから大きな争いまでを繰り広げる。

例えば、同性愛者同士が結婚する事に対して、
未だに大多数が反対を示す国も少なく無い。
そんな時に語られる、
「愛し合う事は自然な感情なのだから社会的にも認めろ」
という意見に対して、反対する側に湧き上がる、
同性愛者に対する生理的嫌悪もまた自然な感情だ。
それは差別や不平等も同じで、残念ながら自然な感情だ。
どちらも自然な感情な場合に、正しいのはどちらなのだろうか?

人は、危険や不安、恐怖を忌み嫌う。
其れは紛れもなく純粋で自然な原始的感情だ。
自分を脅かす存在を排除したがり、拒絶する。
闇を恐れ、光で道や街を照らし、敵を恐れ武器を持つ。
無知を恥じ学問を修め、他より優秀であろうとする。
至極純粋で自然な感情だし、生きていくには当然の欲。
其れを否定する方が、不自然で歪んだ意識だと思うのだが。

認めるべきは、
人類は幾らシステムやテクノロジーを進化させ、
科学や文明が進歩しようとも、意識の根幹は生存競争で、
差別や争いから避けられ無い、愚かな生き物なのだと。

意識を進歩させ、法や倫理や常識や秩序を決める。
其れはバランスを保つのに確かに必要な事だし、
テクノロジーが進化すればバランスも変わるが、
環境やテクノロジーの変化や進化に対して、
人類の欲や愚かさのバランスは保たれているだろうか?
無理に平等だの平和だのを叫び強要する方が、
よっぽど不自然で不必要な事だと思わないかい?

正しさ、なんてモノは時代や環境で移ろう、
至極曖昧な基準でしかなくて、時代は常に過渡期なのだから。


必要か不必要かの話を、
自分の行動や生き方に照らし合わせてみる。
大きく分けて、旅、技術、流儀の三つ、
俺がやってきた事や切り開いた道に必要なこの三項目は、
ビジネスや彫金やジュエリーの話で言えば、
全てが不必要だし、不自然極まり無い。

もしも、必要ならば業界の大半が同じ動きをするし、
メディアや一般の評価や判断の基準も変化している。
ただ、完全に不必要かと言えばそうではなく。
それぞれの一部を切り取りシステマイズすれば、
ビジネスとしても成立するし、必要性を生み出せているのは、
俺がやってきた事や切り開いた道そのものではなくて、
俺以外のブランドやクリエイターがやっている事で、
既に証明されているし、更に進化もしている。

いつの頃からだか、はっきりと意識はしていないが、
旅の中での物創りと、ビジネスの間に不自然さを感じ、
誰かに望まれる様な物創りをする気が無くなった。
平たく言えば、「客ウケ」を狙う事が不自然に感じた。

コレは、ビジネスがベースになっている以上は、
とてもマイナスな思考だし、駄目な事だと思う。
需要を掴めないでビジネスをする事は、
良い結果を生まないのは誰でも理解してる。

そうなると、自分の中の自然な感情と、
旅の中での現実の不自然さを解消する手段は、
「自分の物創りで需要を作り出せるか?」になる。

幸い。国内で旅を続けられる程には、其れは成立しているが、
やはり、欲というヤツは厄介なぐらい先に進みたがり、
アメリカを旅していても、同じ様に需要を求める。

BOSTON TATTOO CONVENTIONに招待される様になり、
定期的にオーダーを貰える様になった事は、
需要を作り出す事が出来ていると捉えているが、
まだ、もう一歩先に進みたかった。

インプロビゼーションによるライブクリエイションで、
尚且つ、自分にとって一番基本になる、彫る技術。
自分の旅や技術や流儀を、スピードと暴力に乗せ、
流れで300キロの豪速球が出せるかどうか?

誰より優れてるとか、誰より強いとか、誰より早いとか、
優秀や勝敗の彼岸で自分だけが持つ目標。
其れが如何に愚かで、バランスの崩れた事だとしても、
誰に文句を言われる筋合いもありゃしない。

不自然で不必要な存在の際には、
ビジネスだの常識だのの意識じゃ届かない。
愚かに自分の行動を信じた先に届く事を証明したかった。
誰からぬ俺に対してな、俺。


際に届けば、その先は際の際。
其処に届く事が極める事。
この旅で、其れをよく体感し理解した。

需要を作り出して、毎打席ホームランはまだ無理だが、
300キロの豪速球を出す事は、初めて出来て思う。
あの頃、15年以上前に見ていた夢や目標は、
誰かや何かに為に必要なのでも正しいのでも無く、
現在の自分に届く為に必要で正しかっただけだ。

9つのSIGNALを越えて、
其処に待っていたのは、
更に先まで続く長い旅。
其れだけだった。

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