• 2017/05
  • 18 Thursday
  • 21:00

SIGNAL THE END OF ROAD 01



さて、旅の締め括りという訳で、
一ヶ月に渡り、旅の記憶を記述してきた訳だが、俺。
こうした文章を書いていて、少し面倒だと思うのは、
誤解や曲解される事は構わないとしていても、
自ら其れを招かないように気を遣う点だ。
なので、先ずは記憶の記述についてから始めよう。

どんな文章であれ、書き手と読み手の間には隔たりが在る。
言葉を如何に上手に使おうとも避けられない隔たりが、
煩わしさでもあるが面白さでもあるのは確かだ。

特に、誤解や曲解をされ易い俺の様な者が、
正解では無い文章を書いているのだから隔たりが大きくなる。

隔たりが誤解や曲解を生み、本質を遠ざけ、
真実は見え難くなる。

もし、こうした文章が、自分の経験に基づいた知識では無く、
本やネット上などで拾い集めた知識の組み合わせで、
もっともらしい事を並べ立てているだけだとしたら?
自分が生み出す言葉では無く、ただのコラージュだとしたら?

貴方は落胆するだろうか?
それとも納得するだろうか?

どちらにしても其の感情は、ただ文章を楽しむ以外に、
内的よりも外的な「動機の語彙」を求めるから生じる。

これは、文章に限らず人が為す何らかの事象や行動に対し、
人は、「動機の語彙」みたいなヤツを求めたくなる。

文章中に一般的でない単語や常識、理論なんかを使うと、
例を出して誤解や曲解を招かないようにしていくが、
ただ楽しむ以外になる人は、その意味を調べ考察したり、
中には粗探しや反証になりそうな情報を調べる人もいる。

ベクトルがどちらに向いているかに関わらず、
そうした行為は、動機の語彙を知る為であって、
自分が思う以上に自分の中に好奇心か不安が存在している。

凶悪な殺人事件が起きた事をニュースが伝える。
被害者を悼む意識が湧き起こるよりも大きく、
犯人がどんな人間で、被害者とどんな関係で、
どんな経緯で、どんな事情で、どんな心理状態で?
人々の興味ってヤツは、納得と安心を求める。

犯人が、被害者の昔の交際相手で痴情の縺れがあり、
シャブ中の住所不定無職で金品目当てに酔っての犯行なら、
人は納得するし安心もするのだ。
動機の語彙が多く、判り易いカテゴライズが可能な故に。

では、犯人が被害者と何の関係性も無い通り掛かりで、
金品の略奪も性的な暴行も無く、品行方正で薬物使用も無い、
13歳の少女だったとしたら?
おそらく、近親者と友人知人以外は被害者を悼むより、
犯人の情報から犯行に至るまでを知りたがる。
あまりにも、動機の語彙が見えなくて不安になるからだ。

理解する為には、内的な動機の語彙を知る必要があるが、
外的な動機の語彙が読み取れないと、納得が出来ない。
すると人は安易なカテゴライズを始める。
「キチガイ」「イかれてる」「異常者」
今なら、ネットスラングでもっと安易な呼び方もあるだろう。

自分にとって不可解な存在や行為に対しては、
安易なカテゴライズで納得と安心を得て、考察を止める。
大多数の思考は、どれだけ情報が溢れても変わりはしない。

さて、話を「こうした文章」に戻そう。
記述しているのが俺という時点で納得する人もいるし、
知識や情報を疑う人もいて、其れは其れで問題じゃない。
何度も書いている通りに、理解は求めていない。
ただ、知識や情報のコラージュで文章を書いていないし、
前以て用意した文章を嵌め込んで仕上げてるでも無い。

旅の最中で浮かぶ直感を理論的に纏めて書き、
其れに準えて旅の最中の心情と状態を書いてきただけだ。

よーするに、旅の記憶をインプロビゼーションで書いたら?
果たしてどうなるか?其れだけが動機だ、俺。

記述の時間は、基本的には1時間ぐらいで、
「こん時、こんなん考えてたなぁ」ぐらいのテーマ。
正解や正しい理論を書くよりも、直感からの疑問。
そうして記憶を記述して駄文を重ねてきた。

文章は言葉をデザインして描くもの。
そう考えて文章を書く事にしているんだがね、俺。
こうして内的な動機の語彙を書いたところで、
読んでる方々の納得は得れるんだろうか?
まぁ、小難しく考えての納得なんかよりも、
馬鹿な駄文と楽しんでもらえりゃ、
其れで良いんだけどよ。

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