• 2018/05
  • 18 Friday
  • 23:00

LAST×FAST 01

人は自分の定めた枠で世界を決める。
如何に新しい世界に触れても、枠が同じならば、
世界が変わる事は無い。

変化は、無くす事から始まり有する事で終わる。
難しいのは有するよりも無くす事の方であって、
無くす其の瞬間は、あたかもマジックの様である。


CHAPTER:01
BLOOD SILVER INK MAGIC


物心がつく前の価値観の上位は本能に従う事であり、
生存の為の行動原理が全てと言っても過言では無いし、
其の為の行為は全て容認するのが社会の常識だ。

常識の備わっていない者を容認するのが常識。
と、言葉にしてしまうとパラドックスの様だが、
此れは何も物心がつかぬ赤子に対してだけでなく、
成人に対しても其処彼処で見受けられる常識だ。

特に日本人は外国人に対しては日本的常識を押し付けない。
食事の作法や挨拶だけでなく、道を尋ねる言葉ですら、
日本語という常識を押し付けずに容認する。

海外に行く機会があるならば日本語で道を尋ねてみるといい。
意味を理解して日本語で教えてくれる人は殆どいない。
つまり、日本人の常識は海外で容認され難い。

日本にて英語で道を尋ねられたら使ってた言葉がある。
「You know where you are?」
「You in the Japanese baby」
「Speak Japanese!!」

余すところ無くガンズの歌詞から引用しているが、
英語圏の外国人が常識にしがちな、英語が共通語であって、
日本人は親切な人が多いから教えて貰えるという常識を
皮肉って崩すには使い勝手の良い言葉だった。

今ではそんな事もしなくなったし、少し余計な話だった。
先を急いで話を本題に戻すとしよう。

個人個人が皆、常識の無いところから始まり、
何処かの時点で常識という名の枠を固めて、
其の枠の中で自らの世界を定める。

そして、其の枠は歳と共に硬くなり世界は狭くなる。
枠の外の事は、よく知らない関わりの無い事で、
常識的な範囲で生きる日々を、日常として捉える。

やがて、其の日常を過ごす事を普通と呼び、
普通でない事態や事象に出遭うと必ずの様に、
「アリエナイ」という言葉を使い認めようとしない。

既に其の事態や事象が、「在り得て」いるのに、
其れを目の当たりにしてから「アリエナイ」と言う。
とても判り易い、変化への拒否反応だ。

其の「有り得ない」という拒否反応は、
自分にとって「在」を認められないという意味と、
自分には「有」る事が出来ないという意味でもある。

常識という枠の中に「在る」事にさせれず、
常識として「有る」人にもさせれないとしたら、
其れは認識される事も存在すらも無い事になる。

しかし、
「在る」事によって「有る」事に変化させられたなら、
其の変化の瞬間こそが、マジックにも等しく、
今迄の常識という枠を壊し無くさせて、
新たな価値観と世界を生む。

「アリエナイ」「非常識」「普通じゃない」
そんな風に言われ続けた自分の技術が、
血とインクの匂いがする中でマジックを生み出す。

其の瞬間が欲しいだけで旅してる訳じゃあ無いが、
マジックの無いテクニックなんて意味が無い。

いつの日か誰かにとって、
マジックから常識的な「有る」事になっても、
「在る」事が無くされない様にはなってたいがね。

少なくとも俺にとってTATOO CONVENTIONに出るってのは、
在り続けようとする自分を試す場だ。

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