• 2018/05
  • 21 Monday
  • 23:00

LAST×FAST 02

恐怖は、原始脳に備わる危険察知の機能であり、
痛覚が自己の肉体が脅かされるのを伝えるのと同じく、
恐怖を感じる事で自己の生命が脅かされるのを防ぐ。

では、恐怖に近い不安はどうだろうか?
恐らくは、不安を常に抱えて生きる生物は人類のみだろう。
他の生物は正しく恐怖を理解し、対処する自己を知る。
人類は、その文化と叡智により恐怖を減らしたつもりで、
新たに恐怖を増やし解消出来ない不安を生み続ける。

恐怖はどんな場所にも確かに存在するのに対し、
不安は自ら生み出しているだけなのだが、
生み出した不安を前に蹲るのか後退するか?
それとも前に進み出るか。


CHAPTER:02
mode matiere


幸福とは、不安を感じない事だ。
常々そういった趣旨の言葉を見聞きする事がある。
では、どうすれば不安を感じないのだろう?

答は単純に、満たされる事でしかない。

人の精神を単略的に一杯のグラスとするならば、
空いている時には様々なモノを入れようとする。
何故なら、空いている状態でいることが、
つまり、空白に不安を感じてしまうからだ。

世の中には、好む好まざるに関わらず様々な情報が溢れ、
日々、万物は流転し色々な事象が起きては消える。

自分のグラスに入れたくないモノは入れない。
そんな人もいるだろうが、基本的には自然と入ってくる。
個々の精神のベクトルに合わせグラスを満たさんと、
様々な情報や色々な事象で空きは無くなっていく。

やがて、不安を感じていたはずの空白に対して、
望まないモノのが多くグラスが満たされると、
今度はソレを排除しようと精一杯の抵抗を試みる。
方法は二つ。

例えになるが、想像してみて欲しい。
グラスに満杯になった泥水を無くすには、
グラスをひっくり返し空にして洗う事を取るか、
満杯のグラスにいつまでも水を入れ続けて流すかだ。

前者を実際の事例に合わせてみると、
状態と状況を把握しマインドセットをやり直す人で、
後者を実際の事例に準えてみれば、
よくあるアルコールやドラッグ、人間関係への溺れ方だ。

如何にグラスが望まない泥水で満たされようと、
泥水も正しく手間をかけて分ければ、泥と水になるが、
そんな事をする時間や手間を惜しんだり、
そもそも方法を知らなかったりする場合が多い。

そうして、泥水で満たされたグラスに上から水を流し続け、
底には比重の重い泥だけが溜まったままになっていき、
満たされていても常に水を欲しがり、即ち不安も消えない。

少し逆の話を挟んでみよう。
綺麗な水だけでグラスを満たしているとして、
其れを幸福とした場合、幸福はいつまでも続くだろうか?

答は単純に続かない。
万物は流転し、状態も状況も変化していくし、
留まったままの水もやがて腐り干上がる。

満たされている事に幸福を感じて慢心していれば、
己では気が付かない間にグラスの中身は濁り減っていき、
満たしていた筈が慢心から不満を起こし不安に至る。

話を元に戻そう。
不安は無い方が良いモノだと常々言われるが、
種類と状況によっては少し違う。

行動の結果が何処へ向かうか判らない不安。
選択が何を引き起こすか予測出来ない不安。

予定調和の結果を求めない、そんな状況では、
正当な筈の不安の無い行動こそが破棄されるべきで、
泥を掬って握り締め、水を絞り出す様な行動が必要だ。

金属を打ち曲げ穿ち削る。
どの位の力で、どの位の速度で行えば、
金属の形状がどう変化していくかは想像出来る。

自分の想像が及ばない様な打ち方をして、
自分の想像が及ばない様に金属を変化させる。

カタチとして成立しないかも知れない不安と、
カタチとして成立させようとする意志の鬩ぎ合いを
誰よりも楽しむのは創り手の特権だ。

不安を拒否するのではなく不安を楽しみ、
何処へ流れるかも判らぬ中で流れを見出す。

mode matiereの根幹には、
創作に於ける得体の知れない不安が常に在る。
普段使用する技術だけでは対処出来ない、
自分の持ち得る技術を探求する旅でもある。

マトモな技術や、しっかり学んだ技術を否定する気は無いし、
絵図面からしっかり組み上げる物創りも重要だが、
想像通りに出来るクリエイションだけじゃ面白くない。

想像通りにいかないクリエイションの面白味。
自分でやりながらも先が読めないで進む創作。
人がやってる事を見てウダウダぬかす暇があんなら、
口動かすよりも手動かしてやっみろ。

と、言いたいところだが、
グラスがブッ壊れていない創り手にはお勧めしない。

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