• 2018/05
  • 23 Wednesday
  • 23:00

LAST×FAST 03

差別の意識を軽蔑し、性別の扱いを侮蔑し、
個別の思想は分別が覚束なくなる。

清廉潔白を求める集団ヒステリーにも似た現象を
日々、情報として何かしらの媒介から得ている。

讒謗の言葉は止まらず限りなく増えていくが、
本来は境界線の不当さを訴えていた筈の意見は、
次々と蔑視を起こし境界線はボヤけて修正の趣を見せない。


CHAPTER:03
FAKTORY DAYS


世の動きが、ダイバーシティを広めようとし、
社会的なマイノリティに対しての活躍や、
雇用や生活に於いても「多様性」を認めさせようとする。

簡単にダイバーシティの広がりを語るとするならば、
アメリカでのマイノリティや女性の積極的採用に加え、
差別の無い社会や処遇に端を発している点と、
人種や宗教、性別や価値観、生活や職業の違いを
互いに認め合い平等な処遇にしようという動きだった。

素晴らしい動きに感じられる、多様性を認める運動。
解り易い事例で述べると、LGBT問題なども該当するし、
女性軽視や障害者蔑視の問題が挙げられる。
確かに、幾つかは解決改善すべき問題だ。

しかし、その一方で男性に頼って生きていたい女性や、
性を売り物にして生活したい男性や女性や、
世間から認められたく無いLGBTの人々、
障害者である事を売りにして仕事する人達の価値観は?
マイノリティだからと切り捨てるのだろうか?

もう少し踏み込んでみよう。
LGBTの問題を軽く考えるべきでは無いだろうが、
その価値観を認めるという考えの人々が居るならば、
その価値観を認めたく無いという考えも居る筈で、
その思想や考え価値観は無視しても良いのだろうか?

性別や性癖や性衝動については、世間は口を閉ざしがちだが、
多様性というならば、ロリコンやペドフェリアは、
何故、特に女性には認められないのだろうか?
意思確認せずに無理矢理に関係を迫ってでは無く、
互いの意思があっての関係でも容認されないのは何故か?

話を軽い方向に転換させよう。
外食の支払いを男性に奢って欲しい女性の割合。
よく話題になるような内容だが、逆の割合はどうだろう?
男性に奢って欲しい女性は調査の対象になるが、
女性に奢って欲しい男性は調査の対象になり難い。

また、男性に奢って欲しくない、割り勘がいい女性は、
割り勘が好きなのか?奢られない自分が好きなのか?
おそらく多くの男性は割り勘が好きなのではなくて、
好きなのは女性に奢れる自分の方がだろう。
あくまで、金銭的に余裕があれば。という仮定が付くが。

男女平等では無くて、対等な立場と訴える人もいるが、
其れは平等よりも無理な話で、肉体構造の違いがあり、
立場の違う生き物がどうして対等な立場になれる?

若い女性を性の対象にする男性を軽蔑する女性。
それならば、年配の女性を性の対象にする男性も、
同じく軽蔑の眼差しで見るのだろうか?
どうやらそうでは無さそうだ。

そろそろ多様性についての話に戻ろう。
ポリティカル・コレクトネスという意識は、
これも米国から発祥していると思われるが、
其れは、生活する人種・宗教・性別の「多様性」が生んだ、
ある種の諍いを避ける為の意識でもある。

米国に滞在する時間が多いと、法とは違う規律を感じる。
多民族の中で生きようとするならば必要となる思考、
多数の価値観を容認せざる得ないから生まれる意識、
諍いを避ける為の境界線とでも言った方が良いか。
同時に、差別意識の根深さと理解されない価値観を感じる。

主観での意見になってしまうが、
ダイバーシティも、ポリティカル・コレクトネスも、
所詮は、経済の安定している側の容認でしかなく、
差別され、搾取されている側の意見が勝っている訳では無い。

悪い言い方をすれば、得ている側のトレンドで、
良識人ぶる為のエチケットやドレスコードに近く、
本質的な別け隔ての境界線を壊してはいない。

差別を肯定する気は無いが、平等が正しいとも思わない。
扇動された意見のぶつかり合いで境界線をボカすのではなく、
競争と協調を繰り返す中で境界線を壊す事こそが、
多様性を認めていくには必要不可欠な筈だが、
どれくらいの考えを持って貴方は平等を語っているだろうか?

多様性と境界線をビジネスに当て嵌めよう。
初歩的なビジネスにとって必要なのは多様性より、
ターゲットを絞ってピンポイントで展開する事だが、
やがて、その展開は行き詰まり多様性を求めだす。

例を挙げるまでもなく、近年のコンビニエンスストアや、
チェーン展開の飲食店を見るだけで解り易い話だが、
取り扱う商材やサービスの多様性に加えて、
ターゲットの境界線を持たないPRを展開している事は、
具体的な例題を挙げるまでも無い。

さて、シルバーアクセサリーの業界ではどうだろうか?
90年代のブームは訳も解らず多様性が存在していたが、
やがて淘汰された2000年代中盤には多様性は薄くなり、
ある種の境界線が出来上がって不可侵になりだした。
2010年代はシルバーアクセサリー全体の多様性はあっても、
境界線は更に細かく別れ、専門店的な創り手が増えた。

ビジネスとしては、国外への進出なども増え、
多様性が増しているかの様に感じるが、
専門化が深くなっているだけとも言える。

平等と同じく、多様性が単純に素晴らしいとは思わないし、
多様化に向けて走らせた事も有りはしないが、
境界線を壊そうと動き回っている自分が在るのは確かだ。

LAのFAKTORYで過ごす日々と創り出す何かは、
細かく別け隔てる境界線を、ゆっくりとだが確実に、
壊しながらも多様性を生んでいるのを感じる。

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