• 2018/05
  • 26 Saturday
  • 23:00

LAST×FAST 04

言葉は、人を喜怒哀楽以上に様々な感情にさせるが、
言葉は言葉として存在し、其れ以上でも以下でも無い。
個人の意思と言葉は、別に存在するものなのだが、
日常的に最も混同され易いのが、意思と言葉である。

多くはコミュニケーションのツールとして使用され、
意思を表し疎通するのに現状は最も適している、言葉。

意思は意思、言葉は言葉でしかないのだが、
人は意思よりも言葉を読み取る事に意識を奪われる。


CHAPTER:04
JAPAN ROAD 01


何を言われたかよりも、誰に何を言われたか。
きっと多くの人が、通常はそうに違いないと思う。

もしも、違うと言う人は、
嫌いな相手に「愛してる」と言われた時と、
好きな相手に「愛してる」と言われた時に、
同じ心境になると言うのだろうか?
本当に同じだと思う人がいるのなら話を進めず、
立ち止まって理由を深く聞いてみたいのだが、
今のところはそんな人に出逢えた事が無い。
先を急ごう。

言葉は、意志や状態や状況や事象を表すに過ぎない。
故に、言葉にとって重要なのは発する者の意思と存在になる。

こう書くと、一見は正しい理論に思えてくるのだが、
統計学的な裏付けすらも取っていないのは別にして、
中々に、この事は推論の域を出ないままだ。

推論の域を出ない理由は様々な場面で見られ、
発する者よりも言葉を重く捉える人達が多く、
その存在が推論の域を出ない最大の理由だ。

近年は電脳空間でが多いが、匿名希望で書かれた言葉。
発した者の来歴や時代背景を知らずに見聞きする言葉。
初対面で素性もよく解らない相手が並べ立てだす言葉。

其れ等の言葉を信じ、傷付き、尊敬し、期待する。
平たく言えば、ネットの書き込みや何処かの偉人や詐欺師、
そういった類の言葉を真に受けてしまう人達。

少し、そういった類の言葉を解説してみよう。

ネットの書き込みを見て一喜一憂する人もいるが、
匿名希望の相手とするコミュニケーションであり、
要するに、一昔前に流行ったテレフォンセックスと同じだ。

不特定多数の匿名希望な相手と異質な空間で、
周りの人にはしない、普段の自分とは違う自分を装い、
共通の趣味や対立する意見をぶつけ合う。
テレフォンセックスとの違いは何処に在る?
趣味の問題なので楽しむのは自由だが、
実際のセックスとはまるで違う。

何処かの偉人の話を信じ込んで感銘を受けるのは勝手だが、
その言葉は何処で見聞きしたのだろうか?
きっと本人からではなくて何かしらのメディアだろう。

偉人とされている人を悪く言いたい訳では無いが、
多くの偉人の言葉は歪められた状態で後世に伝えられ、
教育や宣伝の為に切り取られて使われていて、
言葉と其れを発した偉人の存在は乖離している事が多い。

そういった事実に対して目を背けて感銘を受けるのは自由だが、
携帯電話もパソコンも録音機器も無い時代の言葉を
現代を生きなければならない中で、どれだけ信じられる?

詐欺師の言葉は特に巧妙だ。
こちらが言葉から存在を読み取るよりも早く、
こちらの存在を読み取って選んだ言葉を使ってくる。

ある意味では、言葉で存在を覆い隠すプロであり、
存在そのものを言葉だけで捏造してくるので、
ミスリードさせられる人達が後を絶たない。

例えば、こんな話をされたらどうだろう?

駅前の商店街の東にある「焼烏屋」と、
駅前商店街の西にある「焼鳥屋」では、
どちらの方が儲かっているだろうか?
貴方は頭が良くて注意深い人だから、
きっとすぐに答が解りましたよね?

陳腐な例題だが、注意すべき言葉は最後の一行だ。
さて、正解は何だろうか?

皆さんが正解を出せたかどうかは別にして、
解説が長くなり過ぎた、話を先に進めよう。

発する者よりも、言葉そのものを重く捉えてしまう。
これにはもう一つ、捉える側だけが問題なのでは無く、
発する側にも問題があり、実を積んでいるか否かがある。

長ったらしく解説をしたのも、この実の話の為だが、
実を積んでいない者の言葉は、どうしても弱い。
所謂だが、説得力が無いのだ。

如何に尤もらしい言葉を積み重ねても、
紛れも無い実の積み上がりの前では意味を成さない。
言葉がただの言葉であり、実績という存在が重要になる。

では、何故?
と、先程の解説にあった書き込みや偉人や詐欺師が浮かぶ。

其れは、書き込みが不特定多数の匿名希望という、
存在数が測れない故の存在感であり。
偉人とされている歴史とメディアによる刷り込みが、
信頼を持たせているからの存在感であり。
プロフェッショナルとして鍛え上げているからこそ、
詐欺師が持つ事が可能な存在感であり。

ひょっとしたらではあるが、これが最大の理由である、
赤の他人だからこその存在の重要性だろう。

時に人は、日常的に付き合っている人達の前での自分を
本来の自分、自分だけが知る自分と乖離させてしまう。
その乖離の空白を埋める一端として赤の他人の言葉を選ぶ。

さて、そろそろ話を一つに纏めて結論へと向かおう。

意思は意思、言葉は言葉であって、
意思を発する為に使用されるのが言葉なのは間違いない。
であるならば、発する意思を持つ者の存在が重要であり、
その意思を読み取る為の言葉である筈なのだが、
意思を読み取り感じるよりも言葉を読み取る事や、
存在が不確かな者の言葉を信じる人が少なくないのだが、
実績の前には如何に上手く言葉を並べても重要とされない。
意思と言葉には、そんな矛盾とも取れる意識が働いている。
さて、何故だろうか?

一言で言い表すならば、
人は信じたいモノを信じ、見たいモノを見る。
そして、人はとても都合良く意識を働かせる生き物だ。

ある時は、気持ちを言葉で伝えてと強請り、
ある時は、気持ちがあるなら態度で示せと怒り、
ある時は、身近な人よりも他人の一言に身を委ね、
ある時は、家族の言う事なら信用できると言い、
ある時は、どんな贈り物よりも優しい言葉を欲しがり、
ある時は、口で言う理想ばかりじゃなく実績を求める。

こんな僅かな例えの中でも、身に覚えはないだろうか?
人は日々の生活の中で自分が思うよりも激しく変化し、
自分が知っている以上に感情は揺れ動くもので、
意識しているよりも遥かに都合の良い自分が存在し、
信じている自分に比べて本当は不条理な自分である。

では、だからどうする?という問題が残る。
都合の良い勝手な人かどうかを見分けるのに努力するか?
意思が伝わらないならと言葉を発するのを止めてしまう?
人の意識がどうであろが自分の意思を言葉にし続けるか?

何れを選んでも、其れは選んだ者の意思だ。
世界が不条理だから選ばざるを得ないからでは無い。
自分の意思を発するのに、世界は最初から不条理だ。

世界は自分の意思を発するのに不都合だ。なんて、
自分に都合の良過ぎる言葉だとは思わないかい?

10年間、SPEED SPECTERで旅したJAPAN ROAD。
不都合じゃない事なんて、数えられる程も無くて、
何をするにしても不条理さと戦うしか無かった。

いつまで経っても、間違えられるタイトル。
いつまで経っても、記憶されないコンセプト。
いつまで経っても、勘違いされるブランド。
いつまで経っても、理解されないクリエイション。

其れが当然な事でしかなく、
其れでも旅を続けて意思を発したかった。
物創りがしたくてしてる旅に、他に何が在る?

意思が読み取られない事を嘆いて立ち止まったり、
詳しく説明する為の言葉を使うよりも、ただ創ればいい。

旅の中、意思が確かなカタチとして実を成したなら、
その時には、創り手の存在なんぞ重要じぁない。

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