いつの頃か目にした風景が焼き付いて、
いつかもう一度あの風景を見たいと思う。
何処かで見掛けた誰かが印象的で、
何かの手段でそれを表現したいと思う。
一説に、人は自分が生きてきた記憶を全て脳に保存しているそうだ。
しかし、情報量が膨大過ぎて必要な記憶や強い情報だけを優先させ、
その他の記憶を段々と奥の方へ追いやって使わなくなり忘れた事になる。
脳に於ける記憶のメカニズムが一概にこの通りだとは思わないが、
思考を司るのが、本能と記憶である事は疑う余地が無い。
その中で優先される記憶が何になるのかは、その人が何を望むかだろう。
もう何年前になるだろうか、
ずいぶん以前から雑誌等ではスタイリング企画を行ってきたが、
当初のシルバーアクセサリー業界からの意見としては冷やかなものが多かった。
自分が行う企画が最初から好意的に受け入れられた事は一度も無い。
周りが受け入れるのはいつでもそうだが、スタイルとして確立された時では無く、
後に、解体してシステム化し、金銭に繋がる目論みがなされるだけだ。
それがどういう部分かは一つ一つ説明するまでも無く、
この10年のシルバーアクセサリー業界を振り返れば誰でもよく解る。
ソレをどうこう言って権利の主張をする気も時間も無い。
前述した通りビジネスとはそうしたものだし、自分は先に進みたいだけだ。
スタイリングの基本をどうやって勉強したかと説明すると、
全て自分の経験によるものでしかないし、レベルの高い低いは有るにせよ、
表現行為としては誰にでも出来る事だと思ってる。
それだけに、自分がやり始めた企画の中で、スタイリングだけが、
未だに解体されシステマイズされずにいるのは、金銭に繋がらないからか、
それともそのポイントが見えないからなのか解らないが、不思議で仕方がない。
少し矛盾した言葉に見えるかもしれないが、
スタイリストを生業とする事は自分には出来ないと思う。
それは様々な現場で色々なスタイリストと仕事してみて思う事だ。
スタイリストにも種類は多く存在するが、企画に合わせ物事を組み立てる能力と、
現場での細やかな気遣いや立ち回りを見ていると、生業しては無理だと感じる。
表現したい方向性が強すぎる自分には、創り手や監督の一環としては可能でも、
スポンサーやメーカー都合が優先される現場は無理だろうし、
例外的に上手くいく場合は、他に絶対的な監督が存在する映画ぐらいだろう。
そろそろ話の方向を旅に向けよう。
スタイリングの企画をイベントとして初めて取り組んだのは、
L,S,Dのイベント「THE UNFORGIVEN TRUTH」からだった。
企画の意図としては、表現手段の拡大という、いつもと変わらない部分だが、
イベントやツアーでの他の表現手段と違う問題点が二つあった。
一つが撮影。写真を誰が撮るのか?という問題点だが、
これに関しては一時期シルバーの製作に従事し、写真を止めていた自分にとって、
もう一度カメラを勉強し直す良い機会でもあったので、自分が撮る事にした。
フィルムとデジタルの感覚や機能の違いに戸惑う事は多かったが。
もう一つは、モデルをどうするか?スタイリング企画に外せない素材の問題だ。
ブランドや企画の意図を鑑みると、印象的な何かが必要で、
単純にスタイルが良ければモデルとして成り立つとは思っていないので、
何処かの事務所からモデルを連れて来て、その時だけというのは自分に合わない。
悪い言い方になるが、そんな折りにムトゥーメンの存在は都合が良かった。
元々、モデルとして活動していた訳では無いので、所謂な癖がついていないし、
実験的な撮影や突発的なアイデアに合わせて表情を変化させていける。
マンツーマンでモデルとして鍛えていくは楽しくもあり、苦労の連続でもある。
スタイリングの意図を汲み取ってポーズを決めれるのは彼の努力の賜物だろう。
今では、打ち合わせから撮影に入り、ファインダーを覗くと、
自分の意図に応えて違う表情を見せる彼の存在感が強くてテンションが上がる。
2011年のツアーでは、ガレージのイベントでモデルオーディションを行った。
当日、立候補してくれた方々の中から、ズケを選んだのは、
彼の印象の強さと、鍛える事で持っていける方向性が見えた事があるが、
ブランドや企画に対する理解力の部分が要因でもあるし、
頭で理解するよりも感覚的に方向性を読み取る事の方が重要な中で、
ズケに関してはその点が優れてる気がしたのが大きな理由だ。
まだまだ鍛えなければならない部分は多いが。
例年、SPEED SPECTERのツアーとは別に、
L,S,Dの年末イベントとしてスタイリング企画を行ってきたが、
2012年は、SPEED SPECTERのツアーの一環として行う事にした。
これはL,S,Dのブランドとしてのスタイリングとは違い、
VANITASやBEAST HATEに関しても、
各々スタイリングする際にブランドとしてのレギュラーでは無く、
SPEED SPECTERだと、どう表現するかの実験でもあったし、
自分個人の能力を激発させるのが「BLOOD RIOT」でやりたい事でもあったからだ。
予定していた3ブランドのスタイリングが終わった後に、
「THE NUMBER OF THE FUCKER」でのスタイリングを行う事にしたのは、
当初からの予定ではなく、「OUTBREAK」としてイベントが始まってからで、
朧気に最後まで振り切らなければならない気がしていたからだった。
突発的なアイデアを誰も追い付けない騒がしいスピードでカタチにする。
それが「何か」に対する自分の振り切り方だと思ってる。
いつの頃か目にした風景をもう一度見たいと思う時、
その場所に辿り着く事を強く望んだ者だけが辿り着き、もう一度目に焼き付ける。
振り切った先には、いつもそんな風景が待っている。