• 2013/01
  • 25 Friday
  • 23:46

LOOKING BACK ON THE ROAD:000

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真面目な話ばかりを並べ立てて自分を語るのは得意じゃない。
勢いだけで文章を書いたり楽しく語ってる方が好きだが、
時に真面目に自分を振り返って何かを記しておく必要がある。


誰かが進んだ道を振り返ってみても、美しい事ばかりじゃないし、
間の抜けた出来事は沢山あって、失敗は常に傍らに転がってる。
それを綺麗に見える様に語るのは簡単だし、無かった事にするのも簡単だ。
割愛して多くを語らなければいいし、沈黙していれば時には幻想すら起こす。
そうやって嘘が無い虚実を積み上げる方が真面目な話を並べ立てるよりも嫌いだ。
誰かが馬鹿にしたとしても、自分が歩んできた道を誤魔化したくは無い。

当初、10回ぐらいで終わらせるつもりだった「LOOKING BACK ON THE ROAD」は、
SPEED SPECTERとしての旅の記憶を辿りながら、
そこに到るまでの事象や状況・心境を細かく書いている間に、
予定してた回数は倍になり、文字数は5万字以上になってしまった。
きっと、途中で読むのに疲れてしまった人も少なくないと思う。

切り取れば一つに見える事象も多くの要素が絡み合ってそこに到り、
それを経験した時の感情は時間と共に変化して表す言葉も違ってくる。
今、こうして多くの言葉を並べて振り返って綴ってきた旅の物語も、
記憶の中に埋もれて忘れ去られて往くのだろうけれど、
旅をしてきた事実は次の何かへと繋がって残っていくんだろう。

道の途中で振り返ってする話はこれでお仕舞い。
話が終わっても、ぶっ飛ばしたい「何か」は既に見えてるから、
「何処かへ行き何かを創る」それは続いていく。

いつの日かまた、道の途中で振り返って話をする時が来たら、
その時はもう一度、長い長い話しにお付き合い下さい。
  • 2013/01
  • 25 Friday
  • 23:20

レンタル業

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いつも工房に誰かが来て俺のDVDコレクションから何かを借りてく。
お薦めの某とか、このジャンルの良い作品とか。
曖昧な指定で借りて行きやがる。
好きな本数を好きな日数で借りて行きやがる。





………金、取ろうかな。
  • 2013/01
  • 24 Thursday
  • 23:46

LOOKING BACK ON THE ROAD:20

2013012423040000.jpg
理由を探す。
答を感じた事が無い人達は、いつも行動の理由を探す。
行動すれば届かなくても何かを感じれる筈なのに、
理由はいつでも理由でしかなくて、いつまでも届きはしないのに。

景気や世相や流行とか呼ばれるものが変化すると、人は対応を余儀無くされる。
創り手という人達も当然そうで、対応しながら生きて行かなければならない。
問題はその対応の仕方だ。
職人と呼ばれる人達は、一概には言えないが技術の反復と行使が主だ。
つまり、同じ作業を狂い無く続け、某かの物に対応させる。
創り手も様々だが、新しい何かを創り出す為に技術を行使するのが主だ。
それは、昔から職人と呼ばれる分野の人達とは少し違う能力が必要になる。
世相や流行に合わせて技術を対応させれるのが職人。合わせない拘りもまた職人。
世相や流行に合わせて創り出す物を変えれても変えずにいられるのが創り手。
こう書くと少々強引だとは思うが、流れを読んで何かを生み出すのは簡単だ。
世の中に並ぶ多くの物を見てみれば、それは直ぐに解る事だし、
同時に、変わらずに生み出し続けるのが難しい事だというのもよく解る。
古い職人と呼ばれる人達と付き合っていると、昔からよく言われる事がある。
「職人は続けていれば誰でもなれる。創り手は好きでなければ続かない」
素材が好き、作業が好き、である事は反復によって培っていけるが、
生み出し続ける事を好きであり続けるのは難しいと。
創り手は、創る事が好きで始めた筈なのに、景気や世相や流行によって、
好きであった筈の事さえも売上を目論んでからでないとやらなくなる。
創る事に掛かる労力や時間や経費さえも計算が先行するようになる。
好きな行動を起こす時でさえ、そうやって理由を探す。
答が出たなら、ただ創れば良いのに。本当に創る事が好きだったんだろうか?
自分本意の物を創るなら、そんな事は創ってから考えればいい筈なのに。

こんな事ばかりを言ってる自分の行動を疑う周りの言葉をよく耳にしてきた。
金儲け、売名行為、目立ちたがり屋、自己顕示欲、自己満足、自己陶酔…………。
いくら思い付く限りの理由を外から当て嵌めてみても、
そこに行動の明確な答は見付からないだろうに、何かの理由を探す。
机上の計算で1という数がだせるが、1が何であるかには到達しないのと同じだ。
1ミリも動かないのなら、1ミリ先の世界すら解らないのに、
カタチになった答を見て、自己防衛の言葉を並べ立てては解り切った顔をする。
そんな扱いを飽きる程に受けてきたし、それで良いんだろうとも思う。
誰にでも受け入れて貰える解り易くて単調な御決まりの旅をする気も無いし、
そんな旅で答に辿り着けるとも思えない。
自分にとって正しい道は何か?
いつも、それだけが判断基準だった。

この10年間。
ずっと旅を続けてきて、この眼に映してきた景色、肌で感じてきた空気が、
自分の心臓に記憶され、血となり何かのカタチを創り出してきた。
「BLOOD RIOT」もしも、血が騒ぎ出す様な行動が出来ないのなら、
そんなタイトルには何の意味も残せないまま終わっただろう。
この旅の答も、幾つかのカタチにして残してきた。
それは誰かの手に渡り、自分の旅の答が誰かの答と重なって、また旅をする。
旅をして物を創り出すという行動の先は、そうで在りたい。

5年前に、創り手としての自分を考えて選んだ、SPEED SPECTER。
旅をして何かを創り出す事が好きだからという衝動に純粋に応えた行動は、
ブランドとしての実体を持たないから出来る旅でもあり、無い故の苦労でもあり、
自分で自分を律し続けなければ道の無い場所を進めなかっただろうが、
何よりも、答をカタチにする時間を与えてくれた旅先や、
カタチにした答を選んでくれた人達がいなければ続かなかっただろう。
個人で好き勝手にやっている筈の事さえも、いつも誰かが加わって、
言葉で表現出来ない何かをカタチにすると、いつか誰かの手に渡って、
そうやって旅の答は何処かへまた旅を続けていくんだろう。

時が過ぎて、また旅の何処かでその時の答と出逢えたとしたら、
手にしたその人の答になっているその光景をこの眼に映して、
無愛想な態度をしながら心臓に記憶するのさ、俺。





  • 2013/01
  • 24 Thursday
  • 23:09

夢のダメージ加工

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何が夢なんだかはサッパリワカリマセンが、
狙った色艶になるまで揉んで擦って塗っての繰り返し。
とにかく作業が地味。


夢って地味な作業の繰り返しで叶うんかな?



まー、こんなのが夢なら楽なんだけどね。
  • 2013/01
  • 23 Wednesday
  • 23:45

LOOKING BACK ON THE ROAD:19

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疑問は砂に落とした一滴の水の様に、一点を黒く染め拡がる。
やがて乾いてくれるかの様に、忘れていくまでの時間を過すか、
それとも、答を出して拡がった疑問を振り切るか。

一般的に、年齢を重ねると共に機会が減る事の一つに試験がある。
学生や社会人の早い時期には様々な試験があるだろうし、
望めば資格等の試験は何歳になっても行えるが、歳を重ねると自ら機会を減らす。
様々な事が安定してくると、周囲もその状態を認める様になり、
自らもその安定自体に疑問を感じる事も段々と無くなっていき、
ある種の正当性を主張する迄に到るのは、社会の図式からもよく解る。
満足や納得を自らの状態から得られる様になると、自らを試す機会は更に減る。
多忙や体調や人間関係、面子や誇りや拘り等の言い分は色々用意出来るだろうが、
わざわざ自らを試して日常から外れる事を嫌い、日常を乱される事も嫌う。
多くの人が日常が好ましいと感じながらも、誰かが非日常へ誘ってくるのを待つ。
まるで魚を放した釣り堀に糸を垂らして待っている様なものだ。
平坦に整備された地面に座って、誰かが魚を入れてくれるのを待っている。
何かを求めて進み激しい波に見舞われる事も無ければ船が呑み込まれる事も無い。
ただ、餌を付けて糸を垂らしているだけで何かが来るのを待っている。
自分を試そうとしない。そうなってしまったら、創り手としては先が無い。

ブランドをやっている人や創り手に、たまにする質問がある。
「……無しにブランドとしてやれる?表現出来る?」
それは例えば「スカルのモチーフを使わずに表現出来る?」みたいな質問で、
自分が得意としている部分を外してブランドが出来るか?
時間と数量、工具を予め決めて物を創り出す事が可能か?
そういった他愛もない質問だし、現実には公的に存在しない試験でしかないので、
試そうとしない創り手には質問したところでまるで意味が無いし、
そんな誓約をする必要も、誰が求めるでも困る事でも無い。


16日間でどれだけの物が創れるか?16日間でどれだけの表現が出来るか?
ツアーの最後の締め括りとして、「OUTBREAK」で自分への試験と誓約を行った。
ブランドとしてでは無く、その核になる部分って事を自分に突き付けてた時間だ。

条件は単純。
日頃の製作や打ち合わせをこなしながら、16日間ギャラリーに通い、
何かのブランドに属さない新しい10アイテムを創り、
3つのスタイリングアイテムを製作し、ソレに伴う撮影を行う。

其れ等全てが完遂出来なければ、もう旅をするのは終わり。

振り切っても振り切っても、届かない物や事なんて幾らでも在る。
それでも、自分が決めた条件すらクリア出来ないなら、
この10年の旅の意味が理解出来て無いし、何も身に付いていない。
この10年を観てきてくれた人達に申し訳が無さすぎる。
だから、振り切っても届かないなら旅はもう終わりにしよう。
そう決めてた。

多分、自分が16日間でやった事なんて、シルバーアクセサリーのブランドの、
デザイナーとかアーティストとかクリエイターとか名乗ってる人なら、
誰でもやろうと思ったら出来る事なんだろうと思う。
現実には同じ様な事をやってる人を見た事も聞いた事も無いし、
そんな試験は何処にも存在しないので、やってみて頂かないと解らないが、
10年の旅をした後ならば尚の事で、出来て当たり前だと思う。
人がどう言うのかは知らないが、それが自分が考えてる「普通」ってヤツだ。

一概には言えないが、旅をしない人や、条件の整った旅をする人ってのは、
「状態」が好きなんだと思う。日頃の、日常の、馴染みの、いつもの……………。
自分が気持ち良く居られる手に入れたり与えられた「状態」ってのが。
ソレはソレで否定するべきじゃないし、一つの在り方だというのは、
何度も書いてる通り、必要だとするかしないかだし、生き方の問題でしかない。

いつも真実って「答」を求めて旅をしてる。それをカタチにしようとしてる。
物を創るというのは常に「行動」の筈だ。衝動に対する純粋な応え方の筈だ。
その先に在るのが、金銭や名声を得る為の「状態」なら、
結局は「状態」を求めて動いているのと何の変わりも無い。
でも、それが世の中的には賢く正しい事なんだろう。
そんな事が解ってるのに、「行動」の先に求めてるのが常に「答」なのは、
愚かな自己満足で生きてるロクデナシ以外の何者でも無いだろう。

優れてるとは思えない。賢い選択だとも思えない。
美しさが在るかは解らない。素晴らしい事なのかも解らない。
それでも必要なのは旅の先に在る答だ。
どうしても行動してカタチにしたい何かだ。

10年間の旅の後で、自分に対して落とされた一つの疑問。
旅の先に自分が何処に辿り着いたのかを確認する時間が必要だった。
自分には可能だと思っている事も、実際にやってみなければ答は出ない。
SPEED SPECTERとしての行動がカタチにした答は、
いずれ何かのブランドでアイテムとして拡がっていく。
それが誰かにとっても答になるように。
  • 2013/01
  • 23 Wednesday
  • 22:50

少しズレてる

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ちょいとワンメイクのつもりで彫り始めたら、
何故か原型の方へと流されていく。
そんな事ってよくありますよね?




……………無い。あっそー。

こーゆーズレってあんまり好ましく無いもんで、俺。
イメージがね、少しズレて最初に決めてた作業に届かなくなる。




……やり直しか。
  • 2013/01
  • 22 Tuesday
  • 23:46

LOOKING BACK ON THE ROAD:18

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いつの頃か目にした風景が焼き付いて、
いつかもう一度あの風景を見たいと思う。
何処かで見掛けた誰かが印象的で、
何かの手段でそれを表現したいと思う。

一説に、人は自分が生きてきた記憶を全て脳に保存しているそうだ。
しかし、情報量が膨大過ぎて必要な記憶や強い情報だけを優先させ、
その他の記憶を段々と奥の方へ追いやって使わなくなり忘れた事になる。
脳に於ける記憶のメカニズムが一概にこの通りだとは思わないが、
思考を司るのが、本能と記憶である事は疑う余地が無い。
その中で優先される記憶が何になるのかは、その人が何を望むかだろう。


もう何年前になるだろうか、
ずいぶん以前から雑誌等ではスタイリング企画を行ってきたが、
当初のシルバーアクセサリー業界からの意見としては冷やかなものが多かった。
自分が行う企画が最初から好意的に受け入れられた事は一度も無い。
周りが受け入れるのはいつでもそうだが、スタイルとして確立された時では無く、
後に、解体してシステム化し、金銭に繋がる目論みがなされるだけだ。
それがどういう部分かは一つ一つ説明するまでも無く、
この10年のシルバーアクセサリー業界を振り返れば誰でもよく解る。
ソレをどうこう言って権利の主張をする気も時間も無い。
前述した通りビジネスとはそうしたものだし、自分は先に進みたいだけだ。

スタイリングの基本をどうやって勉強したかと説明すると、
全て自分の経験によるものでしかないし、レベルの高い低いは有るにせよ、
表現行為としては誰にでも出来る事だと思ってる。
それだけに、自分がやり始めた企画の中で、スタイリングだけが、
未だに解体されシステマイズされずにいるのは、金銭に繋がらないからか、
それともそのポイントが見えないからなのか解らないが、不思議で仕方がない。

少し矛盾した言葉に見えるかもしれないが、
スタイリストを生業とする事は自分には出来ないと思う。
それは様々な現場で色々なスタイリストと仕事してみて思う事だ。
スタイリストにも種類は多く存在するが、企画に合わせ物事を組み立てる能力と、
現場での細やかな気遣いや立ち回りを見ていると、生業しては無理だと感じる。
表現したい方向性が強すぎる自分には、創り手や監督の一環としては可能でも、
スポンサーやメーカー都合が優先される現場は無理だろうし、
例外的に上手くいく場合は、他に絶対的な監督が存在する映画ぐらいだろう。

そろそろ話の方向を旅に向けよう。
スタイリングの企画をイベントとして初めて取り組んだのは、
L,S,Dのイベント「THE UNFORGIVEN TRUTH」からだった。
企画の意図としては、表現手段の拡大という、いつもと変わらない部分だが、
イベントやツアーでの他の表現手段と違う問題点が二つあった。
一つが撮影。写真を誰が撮るのか?という問題点だが、
これに関しては一時期シルバーの製作に従事し、写真を止めていた自分にとって、
もう一度カメラを勉強し直す良い機会でもあったので、自分が撮る事にした。
フィルムとデジタルの感覚や機能の違いに戸惑う事は多かったが。
もう一つは、モデルをどうするか?スタイリング企画に外せない素材の問題だ。
ブランドや企画の意図を鑑みると、印象的な何かが必要で、
単純にスタイルが良ければモデルとして成り立つとは思っていないので、
何処かの事務所からモデルを連れて来て、その時だけというのは自分に合わない。
悪い言い方になるが、そんな折りにムトゥーメンの存在は都合が良かった。
元々、モデルとして活動していた訳では無いので、所謂な癖がついていないし、
実験的な撮影や突発的なアイデアに合わせて表情を変化させていける。
マンツーマンでモデルとして鍛えていくは楽しくもあり、苦労の連続でもある。
スタイリングの意図を汲み取ってポーズを決めれるのは彼の努力の賜物だろう。
今では、打ち合わせから撮影に入り、ファインダーを覗くと、
自分の意図に応えて違う表情を見せる彼の存在感が強くてテンションが上がる。

2011年のツアーでは、ガレージのイベントでモデルオーディションを行った。
当日、立候補してくれた方々の中から、ズケを選んだのは、
彼の印象の強さと、鍛える事で持っていける方向性が見えた事があるが、
ブランドや企画に対する理解力の部分が要因でもあるし、
頭で理解するよりも感覚的に方向性を読み取る事の方が重要な中で、
ズケに関してはその点が優れてる気がしたのが大きな理由だ。
まだまだ鍛えなければならない部分は多いが。

例年、SPEED SPECTERのツアーとは別に、
L,S,Dの年末イベントとしてスタイリング企画を行ってきたが、
2012年は、SPEED SPECTERのツアーの一環として行う事にした。
これはL,S,Dのブランドとしてのスタイリングとは違い、
VANITASやBEAST HATEに関しても、
各々スタイリングする際にブランドとしてのレギュラーでは無く、
SPEED SPECTERだと、どう表現するかの実験でもあったし、
自分個人の能力を激発させるのが「BLOOD RIOT」でやりたい事でもあったからだ。
予定していた3ブランドのスタイリングが終わった後に、
「THE NUMBER OF THE FUCKER」でのスタイリングを行う事にしたのは、
当初からの予定ではなく、「OUTBREAK」としてイベントが始まってからで、
朧気に最後まで振り切らなければならない気がしていたからだった。

突発的なアイデアを誰も追い付けない騒がしいスピードでカタチにする。
それが「何か」に対する自分の振り切り方だと思ってる。

いつの頃か目にした風景をもう一度見たいと思う時、
その場所に辿り着く事を強く望んだ者だけが辿り着き、もう一度目に焼き付ける。
振り切った先には、いつもそんな風景が待っている。
  • 2013/01
  • 22 Tuesday
  • 22:59

予定が崩れるのがいつもの予定

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急に入った何件かの仕事や打ち合わせや締め切りで、
行くはずだったライブにも行けなくなり、
進めなきゃならない仕事が後回しになり、
打ち合わせに行ったら相手が帰ってたり、
そーこーしてたら時間も深夜になったり。


…………いつもこーなんすよ。いっつもこんなんすよ、俺。
昨夜も嘉樹のデカイ車がガス欠して、押したりしてたしなぁ……………。
  • 2013/01
  • 21 Monday
  • 23:45

LOOKING BACK ON THE ROAD:17

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物の価値には何かしらの基準となるものが存在する。
それは物質から力、思考や時間にまで及ぶ便利な基準、金額というやつだ。

世の中の問題の三分の一が経済によるものだが、これは元々は存在しなかった、
物に対して金額を定めるという行為に端を発している。
もっとも、現在生きている人にとっては、生まれたときからの常識だし、
人間社会にとっては抜け出せない掟の様なものなのだが。

カフェで一杯300円の珈琲を50円の価値しかないと思っても、
50円だけ支払って飲む事は通常出来ない。
同じ珈琲豆を自分で購入し自分で珈琲を淹れて、一杯分の原価が50円だとしても、
それはカフェで飲む珈琲と例え味が同じでも、同一無差異にはならない。
空間やサービス・技術、設備や容器・調度品等々の要素は全て金額に反映される。
ローリングストーンズの全曲を弾いて歌えるからといって、
自分の演奏で録音した音源の「ベカーズ・バンケット」を聴き続ける者はいない。
ネットで発表したとしても、それは流通では無くて趣味というものだ。
ソレをメディアとして金額を決めて販売して生きていけるなら、立派な流通だが。

前置きが長くなってしまったが、金額とはそうしたものだ。
世の中の価値基準に照らし合わせて、自分の保有する某かを流通させる。
それは物質に限らず時間や力、つまり労働や能力でもある。
株や土地、金等々を保有しているなら別だが、一般的には皆、労働を売っている。
もし、労働を安く売りたいなら幾らでも買い手は存在するだろう、
ボランティアというその最たるものが在るのだから。
しかし、逆に高く売ろうとするならばどうだろう?
労働に能力をプラスして更に多くの時間も。と、いう事になるだろう。
殆どの物事が世の中の基準に照らし合わせて保有している某かを流通させる。
その中で、基準を無視して自由に遊ぼうとするならば、
自分の場所で自分で何かを生み出し、マイナスを覚悟するしかない。

再び前置きが長くなってしまったが、これがMR.HOLLYWOODのカラクリだ。
資金保有が有るわけでも、何処かから資本が湧いてくるわけでも無い。
誰に迷惑掛けるでも無く、自分が被るマイナスによって遊べるならそれでいい。
但し、参加するなら参加する側にも、痛みというリスクを賭けて貰う。
MR.HOLLYWOODは、そんな馬鹿馬鹿しい遊びでしかない。

元々、MR.HOLLYWOODという遊びが始まったのは、確かREFUSE6周年の時で、
はっきりとは覚えていないが、ルールまで固まり出したのは、
L,S,Dのツアーが三年目の、今は無きOVAL SIXでだったと思う。
アイデアとネーミングの元になったのは、量販店でのDVDソフトの販売方法、
洋画作品を安価で流通させる、ハリウッドバリュープライスからだ。
単純に保有しているソフトを安価で流通させる言い訳の様なタイトルが、
馬鹿馬鹿しい遊びにはよく似合いそうな気がしたという安易な考えで、
別に自分がハリウッド生まれでも、ハリウッドに住んでいるんでも無い。
響きの良さと馬鹿馬鹿しさが、「これは遊びなんだ」と解り易くさせ、
マイナスの要因を連想させなくなる様に感じたからという点も丁度良かった。

MR.HOLLYWOODという遊びがこの先も続くかは、はっきり言って解らない。
ウケが良いから悪いからで決まる様な事では無いし、
ましてや売り上げ云々では最初からやらない方がいい遊びなので、
会社としては継続したい理由は一つも無いだろうが、
会社自体がマイナスを被るでもないので、継続出来ない理由も無い。
最終的な判断は、自分がマイナスを被っても遊びたいか?になってくる。

今のところ、
それは解らないという事にしておこう。
何もかも予定通りに準備して、リスクやマイナスまで想定内なんて、
旅の中で発展した、この馬鹿馬鹿しい遊びに相応しく無い。

世の中の基準ってやつに従わない遊びがしたくなった頃には、
何かを振り切る様にMR.HOLLYWOODが始まるだろう。
  • 2013/01
  • 21 Monday
  • 22:59

今年も始まる

2013012122530000.jpg
嘉樹との撮影会。
本日のお題は、方向性の打ち合わせから実験的撮影まで。

時間掛かりそーだな。

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