男の旅をテーマにお送りした一日目。
数々の名作を撮ってきた巨匠ヴィム・ベンダース作品の中でも、
「ベルリン・天使の詩」と並ぶ代表作「パリ・テキサス」。
まー、人によって何が名作とか代表作かなんてのは異なるし、
名作や代表作が在り過ぎる監督もいますが、(スコセッシとかコッポラとかね)
そんな話は取り敢えず置いとくとして、この作品で描かれるのは、
「男の旅はロマンス」の一言に尽きる。しかも、男の愛のロマンスのみ。
誰もが知っての通りロードムービーを得意とするヴィム・ベンダース。
ってよりはロードムービーが好きで撮ってるだけなんだろうけど、
この作品では、役者としての活躍でも有名なサム・シェパードと組んで、
男の旅・愛のロマンスを描いているんだが、まぁ、内容は無責任男の旅。
そして、男目線のファンタジーってところだろうか。
と、書いてると恋愛映画とか、本宮ひろしの「俺の空」と思われそうだが、
男のロマンとか無責任と言ってもソレはちょっと違う。
宛もなく何かを求めて旅し、ズタボロになりながらソレでも旅する。
ソレはもう、恋愛とか何とか生易しいもんじゃないんだコレが。
(まー、この映画は冒頭が一番ズタボロなんだけども)
無責任で、我が儘にも程があるだろってぐらいの旅してる主人公のトラヴィス。
もうね。トラヴィスの愚直な迄の旅が、自分への戒めだろってぐらいで、
場末のキャバクラで、オネーちゃん口説いて「男のロマンが〜」とかのたまるオッサンに、
「お前は男のロマンス解ってんのかっ!!」って説教6時間喰らわせたい。
そんぐらい一直線に旅するトラヴィスの最後の行動がね、
コレがまた、ロマンス一直線で、男の旅ってのを考えさせられるエンディング。
見所は、終盤の長回しのシーンだと言われてるが、ソコまでの旅があっての見所。
過程の無い結果が味気無いのは当然だが、
過程の濃い結果の後味が濃密なのも至極当然。
この作品を初めて観たのは確か中学生一年生になってすぐの頃で、俺。
「アメリカの友人」でヴィム・ベンダースを気に入った流れで観てみたが、
まー、ガキの脳味噌と感性に完全に理解出来る筈もなく、
「退屈な映画だなぁ……だいたい名作とか言われてる作品はなぁ〜」
とか、知ったかぶった様な事を思いながら、
「パリでテキサスってどーゆー意味?」なんてアホな事を考えてたし、
レンタルビデオ代を返して欲しくなってた覚えがあんだけど、
不思議と一年後ぐらい思い出してまた観たくなって、
安酒片手に夜中に観てみたら泣けて泣けてしょうがない。
まぁ、その一年間程度の時間ですら色々と感性は変化するって事ですな。
最初に観た時には、主人公・トラヴィスの「何で?」って疑問が残る行動も、
完璧なまでに男目線で描かれてるって気が付いた頃には、
ヴィム・ベンダースとサム・シェパードのコンビネーションの良さに気が付き、
「男は黙って………」みたいな古臭い美学が随所に描かれてる事を理解した。
トラヴィスの愚直さや、不安とか緊張を細やかに表現してる画と間の取り方、
このへんは後進のジャームッシュとかタランティーノにも受け継がれてる部分。
観る人は、トラヴィスの愚直さに、歳と共に失ってしまった自分を知ると共に、
現実とファンタジーの違いってのを噛み締める事になるでしょう。
現実は愚直な旅に対して、ここまで優しく物語は用意されて無いからね。
ヴィム・ベンダースなら「アメリカの友人」が相変わらず一番好きだが、俺。
男のロマンスとファンタジーって意味では「パリ・テキサス」が一番だな。
賢く失敗しないように生きる事が素晴らしいとは限らないと、
解っていても旅に出れない人と、男のロマンス好きな人には観て頂きたいが、
前半の無口なトラヴィスにイラついても責任は持てません。