一周回って何とやら。
そんな言葉を便宜上よく使ったりするし、何処かで聞いたりもする。
一周回って有りとか、一周回って良しとなるとか、
ソレが時代だの流行りのせいだとしたら、凄くツマラネー。
だから男やオッサン達は、「俺達の時代は…………」って、
一周回さなかったし、回れもしなかった僻みの言葉を吐き出す。
それもまた凄くツマラネー事でしかない。
旅をして、考えて行動してれば物事は自然と円を描く道を示す。
一周は、行動していれば自ずと回っているもんなんだ。
だか、その方角に進むべきかどうか、迷ってもいたし、
今の状況の中で選ぶべきか決めかねてもいたけれど、
自分達が楽しめるギリギリのラインを模索した結果が次の旅。
自分の方角を探す筈の旅が、いつの間にか自分達が楽しめる方角を探し始め、
俺が掴んだサインとは別の、円を描く道を選ぶ事になった。
その方角が受け入れられるかどうかなんて判りゃしない。
この状況になった事への文句や意見は様々あるし、辞める事も考えたけど、
そんな話はもうどうでもいい。
決めたものは決めた、あとはやるだけ。
だから、自分達が楽しめる方角の前に、
自分が掴んだサインの方角をこの土地で旅する。そんなレクイエム。
決めたらやらなきゃならねぇ諸々が帰国したら待ってるし、
その前に何かを掴みに、また旅してくるよ、俺。
七番目の旅の話はこれにて終了。
次の旅の前に、一周回った新しい方角で。
またの日に。