• 2017/04
  • 30 Sunday
  • 21:00

9SIGNALS 8-0




此れは独自の理論になる。

むしろ、そんな前置きも必要無いかと思うが、
こうして書く文章は、常に独自の理論なので、
特に同意や納得を求めてはいないし、
共感を得ようとしている訳でもない。

会話は、ごく単純なコミュニケーション手段であり、
相対した人と打ち解けるには、会話は必須であるとされ、
自分のプロフィールを知って貰いながら、
相手のプロフィールを知る事で共通項を探り、
親密度を上げるのが一般的だろう。

コミュニケーションが下手な人は大概が、話し下手。
そんな定説も有るが、話し下手な事よりも、
プロフィールを知って貰うのが下手な方が、
コミュニケーション能力の低さに繋がり易い。

プロフィールを知って貰うには、結局は会話だろ。
そんな文句だとか意見も出て来そうだが、
喧嘩やSEXは会話無しでもプロフィールを知れるし、
行動に勝る言語を人類は持っていないと思うのだが、
文句や意見の有る貴方は会話を理解しているだろうか?
会話に対して、どんな独自の理論を持っているのだろう?

本題に入る前に、会話に対する独自の理論を一つ。

誰かと会話をしている時に、力の配分を感じる。
会話の相手や内容、その時の体調や空気でも変わるが、
概ね、会話の癖や傾向は、T.H.R.Tの使い方で決まり、
相手の性格的な部分を伺い知る事が出来る。

T.H.R.T
会話は四つのパートのバランスで成り立っている。

TALKING,HEARING,READING,THINKING

TALKING 喋る:
発する事は労力と快感を伴い、伝達し諭し攻撃となる。

HEARING 聞く:
受け入れに忍耐と歓喜を伴い、感受し理解し同調となる。

READING 読む:
細部に潜む感覚と間隔には、意図と意味が如実に表れる。

THINKING 考える:
理解は経験と知識によって左右され、次の意を決定する。

個の能力を100とした場合に、この4パートに、
それぞれ、どれだけ能力を使用するか?

詰まる所、会話の上手い下手は、バランスとスピードで、
T.H.R.Tの4パートに25%づつ能力を割けるバランスより、
バランスを変化させるスピードが重要だ。

相手や内容、会話の進行に応じてリズムや呼吸を掴み、
バランスを素早く変化させるスピードがあれば、
説明や会話が得意な人、聞き上手な人と思われる。

この理論は、
会話の際に意識する事で、相手の癖や性格を把握し、
会話の内容以上に相手の本性を伺い知れるが、
どんなバランスで会話するタイプだと、
どんな傾向かまでは書かないでおこう。
話は長くなってしまうし、
別に心理学の話を書きたい訳では無いのだから。


SIGNAL8 SOLID, BATTLE FIELD

2016年に始めた新しいスタイルのイベントは、
それまでにも色々とイベントでやってきた、
クリエイター同士の交流や物創りをバトル形式に纏め、
よりソリッドなフィールドとして展開させたものだ。

ルール:
50分のクリエイションタイムを1ラウンドとし、
1ラウンド毎にクリエイター各自が手掛けるピースを交換。
10分のインターバルを挟んでの4ラウンド制で行われ、
4ラウンド終了してもクリエイションを完了出来なければ、
そのクリエイターは自動的に負けとなる。

バトルスタート時のピースは、地金板とベースピース。
各自がどちらを選んでスタートするかは開始時に決定。
事前にピースに細工を施すのは禁止となり、
クリエイション内容の申し合わせも無しとする。

クリエイションに際して、
独自のピースの持ち込み、如何なる工具も技術の使用も、
一切の禁じ手無し。

このルールが、最もシンプルにしてディープに、
クリエイションが濁る事が無くバトル出来て、
イベントとして成立するルールだと思う。

然し、何事にも異論や意見や文句が発生する。

「勝敗が判り難い」 「バトル時間が短い」
「結局は、テメーがやり易いルールじゃねぇか」
等々、シンプルなルールにしても全ての納得は得られない。

異論や意見や文句を表立ってでも、陰で言っても自由だし、
何も聞き入れない姿勢でいる気は特に無いが、
その相手がクリエイターであるならば、話は違う。
勝負しないでグダグダ言う奴等に用は無いからだ、俺。

例として出すのも烏滸がましいとは思うのだが、
相対性理論の基本がシンプルな美しい関係式でも、
物理の基本が理解出来ていなければ伝わりはしない。
しかし、科学者が反論を唱えるならば、反証実験が必要だ。

相対性理論は正解なのではなく、最適解なだけと同じく、
現状のバトルのルールが、正解だと言うつもりは無い。

だからこそ、
クリエイターとかデザイナー、彫金師とか名乗るなら、
グダグダ言うより、さっさと勝負すりゃいい。
言葉よりも確実に伝わるし、明確な結果が出る。

クリエイター同士、会話に頼るまでも無く、
最高のコミュニケーションは、
互いのセンスや技術を打つけ合う。
其れこそが最適だ。
  • 2017/04
  • 30 Sunday
  • 19:50

旅の記憶の記述中なのだといっても

仕事は仕事で有る訳だし、改装は改装で進行中。



体調ポンコツで一休みしてぇなぁと思っても、
さっさかさーと諸々終わらせて作業に集中したくても、
簡単にはいかないのが悲しいところだ、俺。


まだまだ………、まだまだあるなぁ。
  • 2017/04
  • 29 Saturday
  • 21:00

9SIGNALS 7-2




ルールが元となり、セオリーやシステムが派生する。
セオリーは人を納得させ、間違いの無さを説き、
システムは人を楽にさせ、有益であると思わせる。

本当に、ルールに基づいたセオリーやシステムが、
間違いが無く有益であったとしても、
長く続く事が不可能なのは明らかだ。

其れは、共産主義が成立しない事に似ていて、
如何に理想的なルールやセオリーやシステムも、
万物の流転と人間の欲望には対応し切れないからであり、
つまりは、ルールは変革に対しての弱さを持っている。
その弱さの一番の理由は、スピードだ。

流転や欲望に限らず、変革は一度起こると、
目まぐるしい速度で拡大し、止める事が出来無い。
其れに対して、ルールは変化させる為に、
会議だ承認だと、足踏みを繰り返し追い付けない。
だからこそ、ルールの側にいる者はルールを強くし、
セオリーとシステムで考える能力を失わせ、
不満が大きくならない程度の納得を与える。
変革を起こさせない為に。

よく語られる世界各地の貧富の差や、格差社会も、
ルールに基づいたセオリーとシステムが原因だが、
大概の場合、ルールの側は不満に対しては用意をしていて、
政策の見直しや話し合いや平和的解決を口にする。
不満が生じる事は、大した事の無い想定内の事だ。

だが、資本主義を例に挙げても、
そうした問題を解決する為のセオリーは存在しないし、
システムも解決に向かう様には組まれておらず、
ルールは抜本的改革などされはしない事は、
平和な日本に暮らしていても、誰もが御承知の通りだ。

そして、そうした問題に対して、
人類の歴史上、暴力を伴わない変革は、
一度たりとも成し得た事が無い。


ブランドが売れて、ブランドとして拡大していくには、
自分達のルールを強くし広める必要がある。
この方式は商業的にどの業種でも変わらない。

但し、ルールは強く拡大出来るが、その先へは進めない。
何故ならば、商業的な側面で考えると、
進まない事がルールを強く出来る要因だからだ。

アメリカだけではないが海外で、
日本のシルバーアクセ業界的なルールはまるで通じない。
今だと、アジア圏ならある程度は通用するぐらいだ。

「アメリカ人ブッ飛ばしに行こう」と決めてから、
既に10年が経ち、アリゾナ、NY、ボストン、LAなど、
西から東へと何度も旅して何度もブッ飛ばしてきた、俺。

色々なイベントにも参加してきたし、
色々な店から良い話も貰ってきたし、
表に出せない様な依頼もこなしてきた。

其れらは、
ファッション業界的なルールでも無く、
日本のシルバーアクセ業界的なルールでも無く、
自分のルールやスタイルで旅をしながら得た出来事で、
その数だけ、アメリカ人をブッ飛ばしてきた。

自分の持つ、クリエイションのスピードと暴力で。

そんな旅を繰り返す中で、
LAのkomy君との出逢いから、inspirationに参加し出し、
旅の行き先がまた増える事になる。

inspirationへの参加は、狙ってた訳でも無いが、
またもファッション業界的なルールと闘う事は、
特に気負うでも気軽でも無く、必然的な気で始めた。

ヴィンテージがメインの展示会だというのと、
LAって土地柄の緩い空気感は、通常の展示会と違い、
実験的な内容を色々と試すには丁度良かったし、
自分のスタイルで闘うには、やり易い場所だ。

9SIGNALSの旅では、
自然とヴィンテージに合う様なクリエイションになり、
会場のルールに合わせるのでは無く、
会場のルールに反するのでも無く、
自分の中に在るヴィンテージのスタイルで勝負出来た。
そして、其れが通用する事は、大きな収穫だった。

スピードと暴力を前面に押し出して闘う。
そんな勝負をしてきた回数は数え切れないが、
これからも続けるだろう、俺。

万物が流転するのだから、ルールも変化はする。
同じく、スピードも暴力も変化するし、
俺のルールもスタイルも変化はし続けるだろう。

ルールを強くする為の動きなど、必要だと思わない。
ルールを納得させる為に、セオリーを説く気はない。
ルールを使って稼ぐ為の、システムを構築したくもない。
自分のルールとスタイルが通用するのかどうか?
其れを知る為の旅の中で必要な変化をするだけだ、俺。

其の変化が、成長なのか?堕落なのか?
勝負し続けていれば、必ず判る。
  • 2017/04
  • 28 Friday
  • 21:00

9SIGNALS 7-1



ルールを強くする。
より居心地を良くするには、ルールを強くする。

人類史は特に顕著に表れているが、
どんな生物も、自分達の種としてのルールを決める。
生存と繁殖、そして繁栄の為にルールを決め、
力を持つ者がルールに他を従わせ領土を守る。
領土で糧を増やすには、ルールを追加し強くする。
糧が不足すれば他へ侵略して領土を拡大する。
どの生物のルールであれ、基本は変わらず、
人類は何に基づいたルールであれ、特にその繰り返しだ。

現在の日本に於いて、例えば選挙制度だとしたら、
選挙で投票するのは国民の義務でありルールなので、
国を良くしたいなら政治を学び選挙に行くべきだ。

と、ルールは従わせようとしてくるし、
馬鹿な政治家に従う国は嫌だから変えたいとばかりに、
投票に行くというだけで誇らしげにSNSで謳う者、
デモで声高に主張を叫んだりと行動に出る人達。
結局は、皆がルールに従っている。

本当に根幹から変革を起こしたいのなら、
全体で選挙の投票を止め、投票率が20%を割れば、
選挙制度そのものが崩壊するので、国は確実に変わる。
民主主義を謳う以上、ルールとはそうしたものだ。

しかし、容易にその変革は起こり得ない。
何故なら、ルールは適度に人を従わせ適度に人を守るし、
ルールで律して貰わないと生きれない人のが多いからだ。

「自分の生き方、ルールで生きる」と言いながら、
日に三度の食事や就寝や使う言語は、自分で決めたのか?
習慣は自分を律するルールでもあるのだが、
常識という名のルールにいつの間にか従ったのではなく、
自分で考え、選択した習慣だろうか?
本当にそのルールがベストだと言える程の経験と知識を?

そうでも無ければ、
自分のルールで生きる為の決意と払う代償への覚悟を?
持っているのだろうか?


SIGNAL7 ANOTHER BLOOD

アメリカに行くのが何度目になるのかは、
この時点でも数えていないし、気にしてもなかった。

SPEED SPECTERとしての旅を始めた時から、
アメリカへ旅してクリエイションを行う事は一つの目標で、
自分の技術やクリエイションが通用するか?
其の勝負だけがシンプルな目的だった。

L,S,Dでツアーをやっている頃はまだ、
海外での勝負先はパリでの展示会だったのだが、
色々と、ファッション業界ならではのルールや、
クダラナイ決まり事が多かったのもあって、
自分のしたい勝負とは合わなくなっていった。

パリに出ていた当時、アメリカの取引先は在ったし、
ミラノやロンドン、パリや香港にも取引先が在った。
ただ、其れは俺がしたかった勝負と言うよりは、
ファッション的な側面で通用したってだけだと思ってる。

ブランドをやっていて、ファッション的な側面での通用は、
言うまでも無く重要だし、其れだけで良かったのかも。
と、ビジネスや知名度に沿って考えれば浮びもする。

でも、それじゃあ自分のルールは何処へ?

16歳で決めた自分の生き方。
其れを貫く為に始めたREFUSE。
其れが世界で通用するか勝負する為だったのが、
ルールを学んで、ルールに従って、ルールに守られて、
ルールに通用させて貰って、ルールに取り込まれる。

2007年が終る頃、
海外も含めて全ての取引先を無しにした。

自分が決めた自分のルールが本当に通用するのか?
其の勝負をするには、新たに旅に出るのが一番だ。
そう考えが定まった時に、同時に思った、俺。

「アメリカ人ブッ飛ばしに行こう」
  • 2017/04
  • 28 Friday
  • 16:34

旅の記憶の記述中なんだけれども



ギャラリー三階の改装も、
細かい箇所とかタッチアップを残すだけになり、
床の塗り直しに入りまして、
完了が見えてまいりましたとさ。

細かい箇所は、実際に使用しながらじゃないと、
難点が色々と見えてこないんで、
完成ってのには、まだまだ掛かりそうだね、俺。
  • 2017/04
  • 27 Thursday
  • 21:00

9SIGNALS 6-2



選択の自由は常に与えられているが、
選択は岐路に立つ前に為されている。

自分が岐路に立ち、選択の時と思っても、
与えられる選択肢は、既に過去の選択の先でしかない。
不可逆な時間の中で生きる事、其れ自体もそうだが、
想像するよりもずっと前に選択は為されていて、
選択した自分自身もその時には気付けない程だ。

先ず、選択不可能な選択から人生は始まる。
生まれや環境、遺伝による特徴、身体に流れる血。
誰もが同じく与えられてしまう最初の選択は、
不平等であるが、誰もが選べない点だけは平等なものだ。

自我が芽生え、そこから始まる選択は現在へと繋がり、
選べなかった最初の選択を、活かすか跳ね除けるか、
それとも考えずに流れる様に生きていくか。

何れにしても、現在は自分が過去に選択した結果であり、
便宜上は、「やり直す」という言葉を用いろうが、
時間も戻せず、過去の選択も変える事は出来無い。

それでも選択は続き、軌道修正を行う事は可能だ。
本来の自分が立ちたかった岐路に向かうには、
それなりの努力や覚悟が必要とされるし、
人生を終わらせるという選択をする人も少なくない。

そんな選択肢が出る環境が悪いと思うか?
それとも選んでしまう者が弱いと思うか?
でもなければ、そんな社会が悪いと嘆くか?
周りが何を言おうが、答は選んだ者の中にしかない。

選択不可能で始まってしまった人生は、
最期まで自分の選択の繰り返しでしかなく、
選択は自分が思うよりも前に為されている。
そう考えてしまうと厳しさだけを感じるかもしれないが、
元来、生物としての生存競争は厳しくて当然で、
弱ければ、淘汰されるだけだ。


技術は、実験と試行錯誤を繰り返しながら、
模倣され、需要に合わせて進歩し、時に滅びる。

環境の変化に合わせて形態や機能を変え他を排除する。
生物の進化と生存競争にも似た様相を呈し、
時代や社会の需要に合わせてツールも変化しながら、
必要な技術は生き残り、不必要な技術は廃れる。
平たく言えば、需要があれば生き残り、無ければ死ぬ。

需要が無ければ、伝統が有ろうが終る。
革新的であろうが、普及しなければ無くなる。
其れが嫌な技術者達は、国だの県だの協会だのに縋る。
其れも、一つの生き残り方ではある。

自分の物創りの技術を他の技術者という人達が、
技術として認めるかどうかは俺には判らない。

そもそも、自分のしている事に対し、
「クリエイター」や「彫金」という言葉を用いるのも、
名称として便宜上使っているだけで、
自分の技術を正確に表す言葉が存在しないだけだ、俺。

ライブでインプロビゼーションでのクリエイション。
其れがどんなモノなのかを通常の作業に照らし合わせると、
基本的に必要な、デザイン・三面図・下描き、
細かく言えば、想起や計測や技法の選択も含め、
瞬時に脳内で行いながら短時間で地金で製作する。

そんな技術は、彫金やジュエリーの何千年の歴史の中で、
残念ながら存在していない。

だから、ひょっとすると技術ですらないのかも知れない。
もしくは、知らないだけで過去も現在も存在していて、
俺のレベルでは技術と認めて貰えないだけなのか?

名称も存在せず、歴史の中にも存在せず。
其れでも物創りとして成立していれば、
技術だと信じて続けている、俺。

そんな技術の中でも、あまり外ではやらない技術。
便宜上、「鍛金」という言葉を用いているが、
勿論、伝統派というか正統な鍛金とは違うが、
自分の持っている中でも古い種類の技術での物創り。
mode matièreでは、モチーフよりも金属の質感、
そして、アンプラグドな技術の使用に重きを置いた。

ライブでのアクションとしては、より伝わり易いが、
クリエイションとしての伝わり易さは激減する。
そんな事は解り切っていての旅だし選択だ。

一般的には、他の彫金師やクリエイターと、
俺の技術の違いが判らない人達のが多いと思う。
こうして文章で補足する様に説明してみても、
伝わり易いとは言えない。そんな技術だ。

だが、クリエイションが持つ質感。
WAXや地金を彫るだけでは決して生まれない金属の肌。
繰り返しになってしまうが、答は其処に確実に在る。

進化と淘汰の繰り返しの果てに、生産性と効率を重視し、
伝統とお約束に落ち着いた技術とは異なり、
亜流として滅びるだけの技術にされるか?
技術とすら認められずに消えていくか?
需要を生み出す技術にまで達する事が出来るか?
まだまだ、技術を技術とする勝負は続く、俺。

そして、mode matièreによって、
このアンプラグドな技術にも旅の意味を見出せた。
  • 2017/04
  • 26 Wednesday
  • 21:00

9SIGNALS 6-1




当たり前の話ではあるが、便利になるという事は、
楽を覚えるという事になってしまう。

年齢も知らず、性別も知らず、顔も知らず、名前も知らず、
その他大勢である確証すらなく、
ネット上で騒がれる意見は、
本当に意見と言えるのか?
「意」を発するのが何者であるかが「見」えるから、意見。

と、言い切るのは少し乱暴なこじ付けだろうが、
ネット上で、何かを騒ぎ其れが世界に広がると、
自分の声が世界に届いてる。
SNSで海外からも良い評価が付くと、
自分のしている事が世界に通用する。
そんな勘違いしてしまうかもしれないが、
やっぱり、勘違いだよ。
其処で起こる賛同や評価には責任が無いからだ。

勿論、インターネット上でのやり取りから、
現実での評価や運動やビジネスに繋がった例はあるし、
SNSだけで成立してしまう関係性というのもある。
其れ等を否定する気は無いし嫌いでも無いが、
問題点は、現実との差ってヤツだ。

その差を埋められる能力や存在でいられる。
だからこそ、インターネット上から現実へ移っても、
遜色無く評価や賛同が得られるのだろうし、
その能力や存在であるのは決して楽では無いだろう。

便利で楽になったと思っても、現実が楽になる訳じゃない。
何かが楽になれば、他の何かが苦になり、
便利さの裏には対応しなければならない不便さが在る。
どれだけツールが進化しようが、根底は変わらない。

求めるならば、自分が動くしかない。


SIGNAL6 mode matière

技術の発展なんてものを語って良い程には、
自分の技術が高い位に達しているとは思わないが、俺。
それでも全体的な技術の偏りに疑問を感じたりはする。

文化というのの一端は、正解を定めて他を排除し、
正解のみを進歩させながら常識として根付かせ、
一つの体系とする事で成立していく。

其れは其れで素晴らしくもあり、容易じゃないし、
同じ様に技術も、無駄や無理を省きながら進歩し、
無駄や無理を不要として切り捨てながら体系を完成させる。

2017年現在、俺の技術は、
彫金技術の歴史の中でも特に不要な技術の集まりだ。

無駄や無理を省き、生産性や効率を上げる。
商業として発展してきた、彫金・ジュエリーの技術は、
2000年代に入る頃には、間口を広げながら完成し、
WAXをメインにした誰でも手が出し易いものになり、
学校や技術解説もかなり進んで手軽になっていたが、
其れは同時に、美意識が一方向に向けさせられる。
そんな不自由さの始まりでもあった。

彫金やジュエリーの歴史が始まって何千年か、
その中のWAXをベースとした技術体系や、
地金をベースとした技術体系といった中に、
俺の技術は存在しない。
故に、正解という便利な答も存在しない。

答が存在するとしたら、クリエイションの中だ。
だから、自分の技術の一端で、そんな答を出す旅に出た。
  • 2017/04
  • 26 Wednesday
  • 19:26

旅の記憶の記述中だったりもするんですが

風邪なんだか何なんだか、三日間ぐらい熱が下がらず、俺。
小難しいんだが回りくどいだか何なんだかな、
旅の記憶の文章書いてるからか頭が痛くなりやがって、
記憶も折り返しぐれぇなんで、ちょいと一休み。



と、させて頂きます。
  • 2017/04
  • 25 Tuesday
  • 21:00

9SIGNALS 5-2



歳を重ねる事に恐怖を感じたり、隠したり誤魔化したり、
人は何故だか歳月が過ぎていく事に嫌悪感を持つらしい。
若さに拘る理由は単純で馬鹿馬鹿しいのだが、
その理由自体を素直に皆認めようとしない。

「見た目が若い方が良いじゃん」
「若く見えた方がウケが良い」
「気持ちが若いと動きが違う」

其れは見た目とか心持ちの話で個人の好きにすればいい。
若さへの固執と歳月への恐怖の本質とは違う。

何処から何処までを若さとするかはさて置き、
簡単な一言で若さに固執する理由を述べれば、
人は許されるのが好きって事だ。

幼年期は、ルールやマナーを理解していないのが当然で、
特別厳しい環境下でなければ殆どが許される。

少年期は、犯罪を犯しても量刑は軽減されるし、
年齢や内容によっては、罪に問われる事も無い。
必ずしもでは無いが、親や社会の庇護の元にある時間。

二十代は、新社会人や若輩者として扱われるが、
まだまだ親や社会は失敗を許し援助もしてくれる。
男性は若さでの無茶を期待されてもいるし、
女性なら若いってだけで扱いを良くもして貰える。

三十代になり、許しの量はかなり減ってくる。
業種やコミュニティによっては下っ端扱いだが、
親も社会も、もう自立や責任を求めるだろうし、
若者ぶっての生活や遊びにも無理が生じてくる。

四十代にもなれば、立派なオジさんオバさんだ。
社会や経済、政治や哲学にも一定の知識が求められ、
親としての責任や、親の面倒なり会社での立場なり、
自分が望んでも無いモノが次々と降りかかる。

ざっと、ありがちな事を並べて四十代迄を書いてみても、
許しが年齢と共に減るのは単純明快。
自意識の有る無しは別にして、若さに固執し、
歳月を重ねた事実を嫌悪する理由は、許しが無くなる恐怖と、
年齢と共に通用しなくなる自分だって事だ。

生物として考えても、次の世代が出てくれば、
時代は変化し自分達が淘汰される事に恐怖を感じるし、
淘汰されるよりは懐柔して身を守りたがる。

そんなものは、
経年による変化を真っ直ぐ捉えて受け入れ、
変化に対して自己を鍛え続けてこなかった奴等の甘えだ。

通用しなくなったのならば、自分の負け。
其れだけのシンプルな判断が必要なだけなのに。


CAMUROの村田と、TNSKの河崎先生を迎えて、
TERRITORYとして開催したSIGNAL5。
ザックリした内容のまま、兎に角やってみようと、
実験的というか、テスト走行の様なイベントだったのは、
三者を組み合わせて噛み合うかどうか?
を、確かめる為でもあった。

計画的に一つのクリエイションを行うなら、
アイデアを一つ出して噛み合わせるのは容易い。
まぁ、よくあるコラボレーションってヤツだ。

其れが悪いとかじゃないが、タイミング的に、
真っ当な方法とは違う方法で共通言語を見出してみて、
噛み合わないなら噛み合わないで良いし、
噛み合ったなら、次の段階に進めてみようと思った。

自分の周りに、クリエイターやデザイナーは多いが、
誰でも組み合わせてみれば良いってもんじゃない。
創り手の癖や方向性は、時間と共に変化し、
良くも悪くも止まっていてはくれない。

若さ故の勢いを、熟練者としての技術に昇華させたいのは、
創り手であれば当然の欲求だし、目指すところだが、
熟練者と自分が自分を誇り出した頃に、実験をしなくなる。

雇われたり、資金提供を受けて始めていないのなら、
クリエイターは、ブランドや物創りを始めた時、
生活や金儲けよりも、表現する為に物創りに勤しむ。
技術というより実験に近い手法や方法で失敗をしながら、
やがて、その勤しみが実を結び、実験が成功する頃、
生活の基盤や、自分の欲望を満たす為の資金を生み出す。
そして、若い頃に描いていた夢や野望よりも、
安定を求め、自尊心を高め、定位置を決める。

悪い事じゃない。
何も悪い部分は一つも無いと思う。

ただ、俺のTERRITORYとは違うってだけの話だ。

実験は繰り返し行われ、成功すれば次の実験を行い。
いつか何処かに辿り着くか、その前に死ぬか。

TERRITORYってイベントは、
そんな考えに一時でもライドオンして噛み合うか?
そんな創り手ならではの遊びなんだと思ってる。
  • 2017/04
  • 24 Monday
  • 21:00

9SIGNALS 5-1




感情の変化、感覚の移り変わりは止めようが無く、
街や世界情勢や時代の変化のスピードは早く、
変わらないで欲しいと願う事が無駄に思える程だが、
変化していく何かを変わらないで欲しいと思う自分も、
同じく変化している事を先に認識しておくべきだ。

「昔は良かった……」なんて、憂混じりに出す言葉は、
今も望み通りの状態なら口から出てこない。
失意の最中に出る「辛くて死にたい」って言葉が、
辛く無いなら生きてたいって気持ちの裏返しなのと同じだ。

要するに、そんな事を言う時点で自分の中に在るのは、
変わらないで欲しいという純粋な感情ではなく、
自分を良い状態にさせて欲しがる我儘しかない。

「昔は良かった……」なんて嘆く前に、
欲張りに変化している自分をよく認めた方がいい。

状況も感情も感覚も世界も時代も、
変化するからこそ保たれているというのに、
自分だけが変化せずに通用し、良い状態を保てるとでも?

悲しいかな、人は自分の欲や責を認めたがらない。
時が流れ変わってしまった事が悪いかの様に、
誰かがした何かで移り変わってしまったかの様に、
変化が悪であり、変化に乗れる者が悪いかの様に、
自分の無力さや怠惰を棚に上げて嘆く。
万物は流転するからこそ素晴らしいというのに。


SIGNAL5 TERRITORY

旅の中で実験的な事を繰り返す。
今までも、基本的なコンセプトを変えていないが、
其れは、旅と物創りを結んだ時に必ず生じる、
根幹の部分なので変えようにも変えれない部分であり、
変えれないコンセプトを土台にしながらも、
イベント内容はかなり実験的な事を繰り返してきた。

変化が嫌なら旅なんてするもんじゃない。
何度も通った道も変化し、何度も立ち寄った街も変化し、
全体的には変化が無い空気も細部は変化して、
其処に行く自分も変化している。

TERRITORYというイベントの企画は、
元々は、SEMBLとの共同企画的な部分があった。
REFUSEの在る東京・森下で行なわれる新年恒例行事。
そんな要素も交えながらやってはいたが、
この2年近くでのSEMBL側の変化と、俺の変化。
どう考えてみても噛み合わない。

特に噛み合わない理由はSEMBL側の変化にあったし、
そのアクションを否定する気はまるで無いが、
共同でやっていたレーベル、BLACK JACKも、
このままならフェードアウトしかないだろう。

其れだけが理由ではないし、変化は俺自身も求めてた。
理由を平たく述べると、SEMBLとの共同企画では、
面白くは出来るが、クリエイションの質が上がらない。
今は。

勿論、両者の求めている質がズレているのは承知だし、
どちらが悪いという話ではないが、今は合わない。
そこで、新たにゲストを迎えて次の段階に進めながら、
TERRITORYをやってみようという事になった。

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