• 2019/11
  • 30 Saturday
  • 22:27

夜の寂しさ



閉店間際のスーパーで売れ残った惣菜寿司。
何パックの寿司が並んでたか知らないが、
この寿司だけが選ばれなかった理由ってのも、
何だかは知らんが何かしらあった訳で。

中身に異常が無いなら見た目の問題か?
万人受けしないネタが入っていたのか?
単純に並び位置が悪かったからなのか?

きっとそんな事は、毎日毎日を惣菜寿司並べる、
スーパーの惣菜コーナー担当者のが知ってる。
だけど寿司自体はそんな事は知りもしない。

夜の寂しさって、きっとそんな事の集まりで出来てる。
理由は、何か知らないが何かしらあって、
それなのに、本人はそんな事は知りもしない。


………別に、
40歳超えて結婚も出来ない独りもんが夜中のスーパーで、
惣菜コーナー半額待ちでウロついてる話じゃねーよ。
  • 2019/11
  • 29 Friday
  • 23:39

カタチの様でカタチで無い



最近は自分が制作したシルバーアクセの写真を載せて無い、俺。

特に理由なんてのは無いんだが、なんとなく。

なんとなく、カタチの様でカタチで無いカタチ。
そんなのを追求してる時期でもあったからか。

カタチの様でカタチで無いって言っても、
カタチにしてしまえば、ソレはソレでカタチ。

捕らえたイメージをヴィジョンに発展させていくと、
カタチは段々とカタチを失って溶け始める。

そのギリギリのところをカタチにしようと、
カタチの様でカタチで無いカタチを制作してる時期。

あんまり人様に見せるようなモンでも無い。
そんな気分なんだろうねぇ、俺。
  • 2019/11
  • 28 Thursday
  • 23:56

進化と変化



牛丼屋に貼られた、この一枚で進化と変化が示されてる。
スゲーもんだなぁと、思ってしまいながらも、
多分、そんな事は牛丼屋側は考えて無いんだろうとも思う。
よーするに、勝手に進化と変化を感じてるだけだ、俺。

使用可能な支払い方法、外国人客への配慮。
テクノロジーは進化して、世界情勢は変化して、
そんな事を示す何かが街中にサインとして存在し、
「対応しろ」と迫ってきてる今日この頃。

昔気質の価値観なんて生き難さでしかねぇんだろうな。
  • 2019/11
  • 27 Wednesday
  • 23:20

最初のマンと最後のマン

意味の無い物だと思っていた筈が、
必要性を感じると途端に重要になってくる。

貴重だと知ると何故だか大切にし始めてしまう。

「価値の天秤」を揺さぶるのはいつも、無知と無自覚で、
逆に過敏になり過ぎると極端な意見が出始める。
過激派なヴィーガンやシーシェパードを例に出すと、
あまり良くないかも知れないが、少し分かり易い。

一般的に、「価値の天秤」は意味の有る無しや、
必要・不必要で針が揺れる事が多いのだが、
人が何故だが勝手に意味を見出してしまうのが、
最初と最後だ。

月面着陸を例に挙げるまでも無くだが、
人類は最初の到達ってヤツに価値を見出す。
遺言の効力を例にするまでも無いのだが、
人類は最後の意思ってヤツに価値を見出す。

日常でも様々な最初と最後の価値を見るだろう。
実際は最初と最後と二番目も最後から二番目も、
同じ様に其の順番は一度しか巡ってこないので、
同じ様に貴重である筈なのだが、価値はまるで違う。

「価値の天秤」は移ろい易いものだが、
最初とか最後って事だけで価値を見出す、
ファーストのマンとラストのマンはいなくならない。



人生最初のセックスする童貞と、
人生最後のセックスになる人は、
どっちが価値があるんだろうか?
  • 2019/11
  • 26 Tuesday
  • 22:08

在るのに久々

Aの事象に目を向けているとBの事象は見えない。
Bの事象に目を向けているとAの事象は見えない。

昔はよくそんな例え話で諭す人がいたかと思うが、
テクノロジーが進化した近年に於いては些か間違いになり、
どちらに集中しているか?何に固執してしまっているか?
その代償として見えない物事が出てくる。
個人の盲目的・独善的な思考を指し示す例え話になる。
在るのに見えていないってヤツだ。



いや、在るのは見えてたんですよ、俺。
だけど物事の順序ってヤツが見ない事にさせてた。
そんな訳で、在るのに久々な景色になっちまった。

ジワジワと改装が進行するにつれ、在るのに久々って景色。
何もかも以前と同じ景色にはなりはしないが、
在るのに見えていない物事が無い様に進めたい。
  • 2019/11
  • 25 Monday
  • 20:50

アレコレとカモシレナイ



空間の使い道をアレコレと考えるのは取り掛かる前。
そん時ってさ、アレコレと夢や理想が浮かぶもんで、
実際に取り掛かってみると出来ない事がアレコレと。
そんな時ってさ、仕方無しに取捨選択をアレコレと。

可能性とかのカモシレナイを考え出しちゃうと、
必要か判らずカモシレナイで必要な物にしだす。
カモシレナイが重要なのは所詮が揃うまで話で、
カモシレナイは結局のトコは無くても進行する。

アレコレとカモシレナイを考えて進めて、
アレコレとカモシレナイを無くしていく。

そりゃあ、なかなか終わらねーわな、俺。
  • 2019/11
  • 24 Sunday
  • 23:34

歳を感じる瞬間

工房の前の通りを、女子中学生が歩いて行く。
横目でコチラを見ながら少し足早に家路を急ぐ姿。
それが10年ぐらい前。

工房の前の通りを歩く女子高生が短いスカート揺らす。
怪訝な目でコチラを見ながら気怠そうな足取りの姿。
それが8年ぐらい前。

工房の前の通りを、リクルートスーツ姿の女性が歩いて行く。
溌剌とした表情でコチラを見る事もなくヒールを鳴らす姿。
それが5年ぐらい前。

工房の前の通りを頼りなく千鳥足で歩くOLの姿。
淀んだ面持ちでコチラを認識すら出来てないまま進む。
それが2年ぐらい前。

工房の前の通りを、金髪で派手な服装の女性が歩いて行く。
鬱陶しそうな目付きでコチラを伺いながら視線を逸らす姿。
それが今夜の事。


工房の近所に住んでる家族の、おそらく一人娘。
「あの娘も歳を取ったんだなぁ……」と感じる。

でも、純朴そうな女の子が荒れた女性になっていく原因を
知りたくも無いし知るまでもなく判り切ってる。

それが東京みたいな都会で生きるって事だし、
それが人生であって歳を重ねるって事でしかない。


………まぁ、でも。
夜中にキッタネーBMWで迎えに来てた彼氏が原因だよな。

  • 2019/11
  • 23 Saturday
  • 22:17

チキショウ

これが旅の実態、これがライブならでは。
とかなんとか言う気はねぇんだ、俺。

準備を極力減らして気張らず旅に出て、
準備を極力減らしてクリエイションに臨む。
今回のツアーは、特にシンプルにしたいから、
寝起きに牛丼特盛食うぐらい自然に旅したい。

そう思ってはいたし、そうしてはいるんだが、
まーたリューターがイベント中にブッ壊れてねぇ。



いくら準備を極力減らして旅に出てるとはいえ、
機材チェックは怠ってねぇんだけど、難儀なもんだ。

これも旅の実態だし、ライブなら起こる事ではあるが、
もしも、しっかりと準備していたら違う結果にはなる。
そっちも旅の実態ではあるし、ライブならではだし、
寧ろ、イベントやる以上はしっかりしま結果が当然。

今回みてぇのだけがリアルってんでも無いんだが、
やけに体調やら機材やらトラブルが多いツアーだぜ。
こんチキショウめが。



まー、クリエイションだけはきっちり完了させたが、
イベント内容は納得いかないんで、リベンジしねぇと。

今回のツアー期間中にもう一回、
LOOMでリベンジイベントやるわ、俺。
  • 2019/11
  • 22 Friday
  • 22:37

なにがなんやら



朝6時。なんだか腹が痛いと思った。
朝7時。なにやら下痢らしく便所から出れない。
朝8時。なぜだか落ち着いたので出掛けようとする。
朝9時。なんでかまた腹が痛くて動けなくなる。
朝10時。なんとも下痢らしくまた便所にこもってる。

11時ぐらいから14時ぐらい。
なにがなんでも動きたくないのか腹も頭も痛くなる。
15時ぐらいにから17時ぐらい。
なんとか動こうとしても高熱が出始めきた。
18時ぐらいになってきた頃。
なにがなんでも今日中に大阪まで行くのを中止。
19時ぐらいから20時ぐらいになった頃。
なんか薬が効いたか腹痛が治ってきたけど熱下がらない。
21時過ぎから22時まで。
なにもできんし寝とこうと思ってもまた腹が痛くて寝れん。

なにがなんやら………。
どーやら体調崩したらしいんだが、俺。

なんにしても何事も一筋縄では行かないねぇ。
  • 2019/11
  • 21 Thursday
  • 13:26

価値観の印象

世間が良いと言っている物の価値を知る。
自分が良いと思った物への価値を見出す。
価値があるとされた物に価値を定義する。
価値観の持ち方だけでも印象は変化する。

世間が良いと言っているから。
自分が良いと思ったから。
価値があるとされているから。

もしも経済的な視点で本当に価値がある物を決めるなら、
最も価値が無いのは、自分が良いと思った物だ。
価値が一定の変動を繰り返すが変わらないのは、
価値として定義された、価値があるとされている物だ。
一番流動的で変動の幅が大きく不確実なのは、
世間が良いと言っている物に他ならない。

多くの場合に、
そうなりたいとか、ソレに勝たなければと思ってしまうのは、
世間が良いと言っている物に対してなのかも知れないが、
実際には、ソレに勝たなければならないのは、
自分が良いと思ったから価値があるとしてしまう意識。

自分が良いと思い自分で価値を見出してしまうと人は、
その価値観に対して正解である情報を多く求めてしまう。
逆に不正解な情報は、情報自体の誤りを求め認めなくなる。

その価値観は果たして現実社会に通じるか?

存在はしていても誰にも知られないままの生物は、
現実社会では存在していないとされるのが現実社会。
逆に存在していないのに誰もが知っている生物は、
現実社会にも存在しているかの様にされる現実社会。

ツチノコやネッシーみたいな価値が当然な現実社会で、
自分だけが持っている価値観って、存在してるの?

きっと、物創りとか表現とかしてる人達は、
気が付いてなくとも始めた時点で選択を迫られる。

新しい価値を生み出すか、既存の価値に入り込むか、
どちらを選んでも自分に合っていれば間違いでは無いが、
一番良くないのは、気が付かないままでいる事。

気が付かないで、物創りとか表現って価値を
言い訳にして印象だけ良くしようとしてる人達の、
価値観の印象ってのを聞いてみたい。

多分、そんな事すら考えてもいないだろうけど。

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