• 2019/05
  • 21 Tuesday
  • 18:14

パラメーター



自分の能力を計測する際に図解としての用法で、
分かり易く表記するパラメーターを用いるとして、
そのパラメーターに何の計測が表されるか?が重要になる。

簡単に言うと何をどうやって細分化して、
カテゴライズをどう分けて計測するのかを
自分で考えて自分の能力を知るより他に無い。

例えば、シルバーアクセサリーを制作する能力で、
「技術」というカテゴリーを設けてみても、
「技術」にも様々な種類が存在するので、
専用のパラメーターを用意して計測しなければならない。

自分がどう存在していたいか?に応じて変化はするが、
カテゴリーが多くても少なくてもバランスが求められ、
突出した何かよりも全体的なバランスの良さが求められる。

バランスと言うと、より均等に配分された能力値の、
円に近いパラメーターを想像しがちだが、
本当にバランスの良い状態はレイヤードで生まれる。

ルックス面でのパラメーターが高い値で円に近くても、
頭脳面でのパラメーターが低い値でガタガタで、
性格面は低い値で円に近く、収入面がゼロに近いと、
全てを重ね合わせた時に非常にバランスが悪くなる。

しかし、バランスの悪さはストレートな重ね方によるので、
各パラメーターの向きを変えながらレイヤードしていくと、
バランスの良い、もしくは良くなっていく、
そんな重ね合わせ方というのが存在していたりする。

誰々と誰某が相性が良い。みたいな掛け合わせに似た、
長所と短所の掛け合わせ方と言った方が分かり易いか。

このパラメーターのレイヤードで失敗する人。
そうでもなければ気が付かない人というのは多く、
簡単に言うと「物事が上手くいかない」に繋がり易い。

では、何故に失敗したり気が付かない人が多いかと言うと、
理想と欲が最大の原因となってきてしまう。

正確に計測して図解で表したパラメーターを
全てのレイヤードパターンを思考して可能性を見出すと、
多くの場合に自分の理想や欲求とは違うベクトルが示される。

大概の場合は、そんな答えは知りたくないか、
知っても否定する事で自分を保とうとしてしまう。

「君に一番向いてるのは空きカン拾いだね」
と言われて素直に空きカン拾いで生活するだろうか?

「あなたは脂ぎったオッさんと結婚するのが幸せだよ」
と言われて場末のスナックで結婚相手を探すだろうか?

そんな極端な例えじゃなくとも、
最適を否定する事は多くの人がするだろうし、
その原因の多くは、理想や欲によって見誤る事だろう。

見誤る事すら無く、最適を探す事すら無く、
パラメーターを想像して可能性を思考する事すら、
多くの人がしないままで年齢を重ねていき、
最適であった筈の可能性すらも無くす。

世の中が変わり続け、時間が進み続ける限り、
自分が望まなくともパラメーターの値も日々変化し、
レイヤードバランスも修正していかなければ、
最適の可能性も選べなくなってしまうのだが、
なかなか見直せないのが世の常、人の常。

バランス悪くて可能性少ないのに努力するのは勝手だが、
それならせめて人様に迷惑掛けないでおきたいと、
自分を鑑みると思いますなぁ、俺。
  • 2019/05
  • 20 Monday
  • 22:31

浸る



寒い日の夕方に、友達の家でポルノ映画を観た。

ポルノが観たかった訳でも無くてダベってただけで、
内容はもう覚えていないし、タイトルも判らない。
少年の頃、そんな時間があったという記憶だけが残ってる。

時折、昔の記憶に浸る時間を持つと細部を思い出す。
味気ない冷めた珈琲と、まだ慣れてない煙草の味、
シンナーで溶けたコントローラーは何のゲーム機だったか、
そこまでは思い出せないけれど、時間の香りは思い出す。

あの頃の、先が見えない感じが今でも自分の中にあって、
何かを慣れた感じでやっていても不思議に思う時がある。

狭い部屋で、やる事も無く食べる物も無く、
描ける様な未来も楽しくなれる様な夢も無く、
盗んだ珈琲と誰かの煙草だけがあった時間。

現在をいくら満たしても、過去を満たす事は出来ない。
その時間が、無駄になってない事を証明し続けるしかない。

寒い日の夕方に、友達の家でポルノ映画を観た。
きっともう二度と観る事も無いが、今でも思い出す。
  • 2019/05
  • 19 Sunday
  • 13:38

無能死すべし



学校という制度で何を学ぶべきか?
一般的な小中高と進学していくと型に嵌められていき、
没個性型の量産タイプが増えていくとされたが故に、
教育の見直しで「ゆとり教育」が発足したが、
これはこれで違った没個性型を量産してしまい、
更なる見直しが検討されるに至ったが次の打つ手が無い。

個性を尊ぶ、多様性、聞こえは良いが何かがおかしい。
個性を尊重している筈なのに、皆が同じ様な服を買い、
皆が同じ様にSNSを使い、同じ様な事を言う。

個性は結局のところ、大局的な流れには勝てない。
稀に個性が流れを一時的に変える事はあるが、
必ず変わる背景が存在しての変化でしかない。

いくら個性を尊重して多様性を認めたところで、
社会には法があり倫理や道徳が存在しているので、
その型枠から出る事は高いハードルになる。

誰もが高いハードルを越えられる個性を
型枠を打ち破れる才能を持っているだろうか?

すると何処からか声が上がる、「ハードルが悪い」と。

実質的には資本主義社会の根本は「無能死すべし」であり、
教育を変えて、型枠を変えて、ハードルを下げても、
必ず個では生き抜けない者は出てくるし、
全ての個を尊重出来る教育は存在しない。

型に嵌めるという側面は悪いことの様に捉えられがちだが、
型に嵌めなければ崩れてしまう人達にも向けられている。

学校教育は才能を伸ばさない側面もあるが、
同様に無能さをそのまま放置しない側面もある。

教育のみならず様々な場面では、生きていくうえで、
個性が重要だと一部の成功例を挙げて言われる。
果たして本当にそうなんだろうか?

個性って、そんなに重要ですか?

成功した個性の裏側には、成功に至らなかった個性が、
成功の何倍も何十倍も屍の様に積み上がっているが、
それでも個性が重要だと言い切れるのだとしたら、
失敗した個性に対しての責任はだれが取るのだろう?

  • 2019/05
  • 18 Saturday
  • 22:03

才能無き天才達



「欲に目が眩んで」という言葉や事象はよく見聞きするが、
「自己に目が眩んで」という人や事象もよく見聞きする。

如何に優れた能力を持ち発揮出来たとしても、
世の中に認められなければ其れは天才とは呼ばれない。
天才が天才である所以はその能力そのもでは無く、
世の中に認めて貰える才能にこそある。

死後評価される作家、時代が変わって認められる理論、
テクノロジーの進化で理解されたアイデア。
戦争や虐殺も歴史が重なれば英雄や優れたリーダーだが、
更に歴史が重なればその史実も間違いだったとされる。

優れた能力や優れた作品が必ず天才になるのでは無く、
世の中に認められる能力こそが天才を生み出す。
其れがこの世の中の成り立ちでありルールだ。
需要を生み出せない天才は才能が無い。

何を持って天才とするかの定義は個人の主観が大きいが、
それにしても人は自己の評価で目を眩ませがちだし、
偏った価値観は知らぬ間に毒の様に個人を蝕んでいく。

認めて貰えず栄光を掴めない自分を鑑みて、
優れた能力や優れた作品なのにと嘆くよりも、
需要を生み出せない自分に気が付く事のが重要だ。

天才でも無ければ才能も栄光も無い俺でも判る事が、
判らないで嘆いてる人はどれだけ天才なんだろうか?
  • 2019/05
  • 17 Friday
  • 23:15

過去との付き合い方

人は過去に囚われる。
過去の積み重ねが現代を形作るのだから当然の話だが、
現在をどう捉えて意識するかによって過去も形作られる。

過去が10年前か10分前かで意識は大きく変わるが、
それは時間経過と現在によって変わるのであって、
過去そのものが変化や変容する訳では無い。

例えば、10年前に誰かを傷付けたと強く覚えていたとして、
心の何処かで気に病んだままだったとしても、
相手は何も意識していないか覚えていないかもしれない。

例えば、10分前に誰かと何気ない会話をしていたとして、
特に気に留める事も無く過ぎ去ったとしても、
相手は傷付けられたと意識してしまってるかもしれない。

共有していたつもりの時間や意識は過去になると、
現在の個別の時間や意識によって変化していく。

過去が現在を形作るのと同じ様に、現在は過去を形作る。

後になって解る事、失ってから気が付く事、
そんなよく聞く言葉の様に過去が形を変えて、
現在の自分の中に違う意識を齎す事があったり、
若くは真逆に何の変化も無いまま過去を留めたりするが、
その際に、人は都合の良さを発揮する。
所謂、思い込みや勘違いでの決め付けってヤツだ。



過去を現在が良くするか、現在を過去が悪くするか、
過去を現在が悪くするか、現在を過去が良くするか、
いずれにしせよ、人は都合良く生きる性質を持つ。

傷付けてしまったと思い込んだ10年前、
傷付けられたと思い込んでいた10分前、
その過去の時間と意識は本物だろうか?

都合良く捉えるのは勝手だが過去はいつまでも其処に居る。
ただしっかりと振り返って向き合わないだけで。
  • 2019/05
  • 16 Thursday
  • 23:15

世代の波

第二次世界大戦後の日本をザックリ世代で分けると、
ライブ→マネー→ステータス→ドリームと来まして、
現代はファンタジーの世代になっている。

この世代的な変化の様相と並んで変化してきた、
必需品された物に置き換えてみると、
フード&ホーム→ハード→ソフト→システムと来まして、
現代はヴィジョンが必要とされる時代になった。

そんでもって、其々の世代で意味も無く湧き上がる何か。
その湧き上がる何かが世代を特徴付ける傾向があり、
戦後間も無くは体験してないので予想しか出来ないが、
「飢え」という直接的なものだったと思う。

その後、日本が復興へと向かう中で「飢え」から変化し、
「裕福」を求め出した頃からアメリカ的な影響が拡大し、
湧き上がる何かは意味を無くしていき、
意味も無いのにフリーダム、意味も無いのにバイオレンス。
意味も無いのにダークサイドとなってきてまして、
そして意味も無いのにネガティヴ。

これは明らかに前世代への反動や時代からの影響で起こり、
前時代の中で幼少期を過ごした影響が現世代を決定付ける。

勿論だが、同じ日本国内でも土地柄・地域柄の差異はあり、
世代と世代の、時代と時代の狭間で混ざる事もあるし、
家庭などの事情や影響は当然になってくるが、
大きな流れというヤツは気が付かないだけで個に影響する。



俺とかさぁ、俺。
ドリーム世代のソフト時代で意味も無いのにバイオレンス。
まぁ、意味は無いけど理由はあったなバイオレンスに。

問題は、意味も無いのに湧き上がっていた何かに、
「最もらしさ」を感じてプライオリティを高くしてしまう事。

親の金で大学行って青春謳歌しながら、フリーダム。
近所の仲間とツッパってるだけなのに、バイオレンス。
ちょっと人と違う趣味にしたいだけで、ダークサイド。
全身全霊で努力しての失敗も無いのに、ネガティヴ。

自分で自分の個性だと思い込んでいる事は、
実は世代という大きな波の中での流行りでしかないと、
気が付かないまま生きていければ、それも幸せだが、
捲り捲って紐解いてみたら自分の個性が、
流行り病みたいなもんだった時に、どーすんだろうか?
  • 2019/05
  • 15 Wednesday
  • 22:45

終わりに向かって

本域でどーでもいい憶測でしか無いんですが、
熱い食べ物が苦手な「猫舌」と呼ばれる人達って、
女性と独りっ子に多いと思うんです。

原因は幼少期からの食事環境による影響で、
男三兄弟とかに比べて食い物の取り合いが少なく、
熱さが辛い食べ物を冷ましてから食べる余裕があった事。

つまり食卓に於いて食い物を兄弟に奪われる様な事態が無く、
素早い食事をする必要が無い事から熱さに耐性が出来ず、
本人にとっては至って普通の温度の食事であっても、
熱い食事に慣れた人からすれば「猫舌」となる。

さて、全くもってどーでもいい話な訳だが、
この慣れによる耐性ってのが有る無いは、
「猫舌」に限らず他の様々な事でも個人を左右するが、
メンドクセーんで、そーゆー話はまたの機会でいいっすかね?



そろそろ、
この旅の話も纏めて終わりにしなきゃならないんで、俺。
  • 2019/05
  • 14 Tuesday
  • 23:50

そんなん

社会に対して自分の能力が高いか低いか、
自己評価をどう設定するかの根底には自尊心が存在し、
同時に自分の活動範囲を決定してしまう。

スゲー簡単な例え話にすると、
「地元じゃ最強」とか「今年度の最高傑作」ってのは、
地元以外だとどうなのか?10年内ならどうなのか?
そーゆー範囲でのモノサシは置き去りにしていて、
取り敢えずは能力が高いって事にしたい時に使う謳い文句。

現実は謳い文句みたいな事では無いもんだが、
視野や活動範囲を狭めれば狭める程に、
自己評価は高くも低くもし易いものではある。

もう一つ例え話を出すとしたら、
何かしらで落ち込んで助けを求める人は、
自分の不幸を嘆く時に他者の不幸は顧みない。
他者の不幸など知った事では無く、辛いのは自分だと、
そう訴える事が一つの正当性かの様に訴える。

給食残した時に先生から「アフリカの子供達が〜」云々、
そんなん言われても全く心に響く筈が無いのと一緒だ。
遠い地の不幸よりも、給食残して無理矢理食わされる自分。
そっちの辛さの方がよりリアルに感じられる。
まぁ、
「給食残すの叱るより、そんな世界情勢どーにかしろよ」
ぐらいにしか思えないだろうから、的外れなのは確かだが。

何れにしても、他者と比べないと個は評価出来ないのに、
多くの場合に、他者と比較する事は悪い事にされ、
悪い事だからしないでいい事。と、都合良く使われがちだ。

広範囲で自己を評価するには、より多くと比べる必要があり、
どれだけ強かろうが、どれだけ不幸だろうが、
そのレベルを知るには自己中心的では無理だ。

自分の痛みを嘆く者ほど他人の痛みを知らない。
そんな言葉も何処かで聞いた様な気がしますが、
誰にとっても自己都合ってのは大事なものだし、
「自分が一番」「自分が大事」「自分最高」は、
そうしてたいならそうでいいんじゃないかと思うが、
その「自分大好き」には自分で気付いて頂きたい。

よく「自分の事好きじゃない」って言う人、いますよね?
アレって本当は違うって御自分でも気付いてるんだろうか?

正しくは「理想通りじゃない自分の事好きじゃない」
単純に現状の自分が理想通りになってないからって理由で、
だったらさっさと理想通りにすりゃいいのにしない。

何かってぇとウダウダ言ってやらない理由を探し、
良くない事に、彼氏だの彼女だの親だの子供だの社会だの、
自分以外の何かに原因を押し付けてしまう。
そんでもって理想通りじゃない自分を守る。

どんだけ自分の事好きなんですか?
って質問したくなる、というかよく質問するけど、俺。
大概が「そんなんじゃない」って言われますな。

その「そんなん」は何と誰と比較しての「そんなん」ですか?
「そんなん」って偏差値で言うといくつぐらいですか?
若くは超人パワーどれくらい?ウォーズマンぐらいなの?

せめて「そんなん」が何か解るレベルになって、
それから「自分の事好きじゃない」とか話してくれ。

「そんなん」が解らないレベルって中高生じゃないのか?
と、思う事が増えた昨今。

今度から「そんなん」が解らないレベルが来たら、
パロスペシャルかけて「コーホー」って言ったろ。

…………オッさんの意見ですなぁ、俺。

  • 2019/05
  • 13 Monday
  • 23:25

悪者誰だ?



例えば世界平和みたいな話にしてみると解り易い。

平和の定義を戦争による被害が無い事とするのか、
平和の定義を災害による被害が無い事とするのか、
平和の定義を人類皆兄弟仲良くの意味とするのか、
平和の定義を生けとし生ける物を対象とするのか、
どう定義するかで、平和の障害となる悪者は変化する。

望んだ結果に至らない場合に、障害となった誰かは、
望んだ者にとっては悪者となる事が多くなるが、
悪者側の望んだ結果からするとどうだろう?

望んだ結果が違うのなら当然の様に至るまでの障害も違い、
何が悪で何が善であるかも違って当然の事となる。

いや、最初っから擦り合わせしとけよって話だが、
多くの場合に時間経過と共に望んだ結果が変化したり、
多くの場合に最初は望みを隠していたりするから厄介だ。

一番面倒なのが後になってから言うタイプの人で、
「本当は◯◯◯だったの」とか「解ってくれてると思ってた」
そんな類の言葉を吐きながら悪者設定で迫ってくる人ね。

何かの事象に対して「悪者誰だ?」をするって事は、
自分が被害者だって言ってるのと同じだが、
本当に被害者か?

何もせずに事象をが過ぎ去るのを待ってただけなら、
其れはただの傍観者では?
口だけ出して事象の責任は取ろうとすらしないなら、
其れはただの邪魔者では?
事象に関わってたけど何と無く過ごしてただけなら、
其れはただの怠け者では?

傍観も邪魔も怠けも尺度によって悪者になるんだから、
被害者ぶるより前に自分が悪者じゃないとか見直すのが先。

なんてな考えは、「悪者誰だ?」がしたい人には無いわな。
誰が悪いか決め付けた方が物事ってのは簡単に語れるし、
被害者の設定してた方が心持ちが楽だろうから。

悪者でいた方がシンプルでいいわ、俺。
怨みは山盛り買うけどな。
  • 2019/05
  • 12 Sunday
  • 23:10

日を閉じる



上手い説明がいまいち思い付かないので長くなるが、
人は1日1日に自己を満足させる何かを求める。

簡単な言葉で表すなら「充足感」ってやつだし、
詩的に表すなら「その日の扉を閉じる鍵」ってヤツだ。

其れは至極単純な事で、頑張った自分でもいいし、
夜のランニングや、就寝前のリラックスタイムでも、
お気に入りのドラマの鑑賞や、甘い食べ物でもいい。
どちらかといえばマスターベーティングな行為が多いだろう。

メカニズムとしては、自分に充足感を与えてくれる何か、
其れによって1日に満足して就寝で終わらせられる。
という単純な仕組みになるのだが実践は難しい時もある。

人が1日に使用する肉体的・精神的エネルギーは、
うまく消費しないと消化不良を起こしてしまい、
上手に1日を閉じる事が出来なくなってしまいがちだ。

寝付きが悪いとか、いまいち睡眠の質が悪いとか、
そんな時は、不安や怒りが解消されていなかったり、
何か物足りない気がして寝ようと出来なかったりして、
自分でも解らないままダラダラと過ごしてしまう。
そんな人も少なくないだろうかと思う。

この自己を満足させ1日を閉めたい欲求に対して、
満足させる何かや方法が不明瞭な状態の特効薬は、
コンビニエンスストアでお手軽に手に入る。

それは皆さんお気付きの、アルコールであって、
最も手軽に安価で自分を誤魔化して偽の満足を与えてくれる。

勿論、アルコールで1日を閉める習慣や、
1日頑張ったと満足している、「自分へのご褒美」や、
誰かとの楽しみとしてもアルコールは使用出来るので、
全てが否定の対象として捉えるのは間違いだろう。

しかし、常習性や依存性の高さを考えても、
誤魔化しとして使用されるアルコールの頻度は高い。
不満や不安を緩めるつもりが悪癖へと繋がる頻度も高いだろう。

さて、別にアルコールの批判を行いたい訳じゃなく、
如何にして1日を閉めるのか?が話の主軸だったが、俺。

これがまた何で満足を得られるかなんて個人差があり過ぎて、
単純に肉体的に疲れさせればという方法はあるにしても、
今度は精神的な充足に何が必要かが出てくるので、
非常に抽象的な言葉で表すしかないのだが、
「現状に納得する」ということになる。
満足するのでは無く、納得する事が重要だ。
言い方を変えれば、「現状を受け入れる」という事。

先ず認めねば先に進む事は出来ない。

自分の1日に満足出来ない人ってのは大概、
満足させれない自分である事を認めようとせず、
足りない要因を外に求めたり問うたりしてしまう。

要因は外にも在るかもしれないが原因は自分だと、
認めて改善しないままでは何事も進まない。

進まなければ、その日を閉じる扉の先には行けないし、
鍵を掛けて満足する事も出来ないだろう。

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