• 2018/05
  • 30 Wednesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 07

別に最初っから文句があった訳では無くても、
そんなに言うなら、こっちも言わせて貰いたい。
そんなよーな事ってのがアチコチであったりしますよね?


何で乗客は男性ばかりなんでしょうか?

問題行動は男性だけが起こす訳でも無いでしょうに、
セクシャルハラスメントも対女性だけじゃ無いでしょうに。


男性側のプライバシーは何処に行くんでしょうか?

デリケートな事だってのは理解出来ますが、
男性にも女性に見られたくも知られたくもない事もあります。


と、ゆーのは言い掛かりに近いもんでしかない。
男女平等って、そーゆーこっちゃ無いし、
そんなら世の中の意識を根幹から変えなきゃならん。

男尊女卑、余りに過ぎれば男根拒否。
女尊男卑、言葉が過ぎれば射精回避。

程々にして欲しいもんですなぁ。
  • 2018/05
  • 28 Monday
  • 23:00

LAST×FAST 05

伝達の利便性を軸に考えた時、世に溢れてる物は何か?
其れは通信用のガジェットの事ではなくて、単体で伝達する。
しかし、其れによって何を想起するか?には個人差がある。

答は、シンボルやロゴやアイコン等の、存在を指す物。
時に文字や言葉よりも早く存在を伝達し、
同時に、印象の違いという奴で伝達を歪ませる。

正しく伝える事が正しく伝わるのではなく、
正しく伝えるには正しさの定義を知る事が必要になる。

しかし、正しさの定義は個人によって違うので、
伝達には常に困難が付き纏う。


CHAPTER:05
GALLERY MADE


300円と聞いて、安いと思うか?高いと思うか?
其れは人によって様々だが、先ずは安い高い以前の話をしよう。

実は適正価格は存在しない。
物自体の価値と販売価格が違うのは当然だが、
世の中の常としては、早々に価値を決め付け、
原価を基準とした価格を適正価格として論じる向きがある。

確かに、世間一般の何となしの常識的な価値観や、
納得を感じさせる価格の決め方というのはあるし、
定着し過ぎていて、価値や価格を疑問視させない物もある。

疑問が最初に湧き上がるのは、見た人の印象からで、
其れは物を見てでも、価格を見てでも印象から起こる。

価格を安いとするか高いとするかは、購入者と販売者次第で、
物から得た印象が良くも悪くも、価格を知ると印象は変わり、
価格からどんな印象を受けても、価値を知るのは後の事だ。

解り易く説明するならば、
自分の気に入った物を見つけても、価格を知ると、
気に入っていただけの物に、必要か不必要かを当て嵌め出す。

安い買い物をしても自分にとって価値が無ければ高いし、
その逆もまた然りという事になるので、
物自体の価値は購入後しか知る事は出来ない。

斯様に、印象は変化していき称賛や罵詈雑言を生む。

300円が安いか高いか?
これを決めるのは物でも原価でも世間一般の常識でも無い。

自分の状態、伝わり易い言葉を選べば、テンション次第である。
金銭的に余裕がある時に限らず、散財する気分だったり、
急な必要性に迫られていたり、強い不安感があったりと、
価格の印象よりも前に、自分の状態が先に来る。

手にする際の状態によって価格から受ける印象が決まり、
手にした後の状態が物の印象を定め価値を決める。
つまり、安いか高いかは自分の状態が決めている。
あくまで、個人の主観での場合に限るが。

何故、個人の主観に限るかは、説明するまでも無いだろうが、
誰もが晒される、他人からの評価や常識的価値観が、
個人の印象を更に歪ませて主観を崩す。

さて、話を少し立ち戻ってみよう。
伝達は印象が左右してしまう難しさがある事に、
冒頭の文章で触れたが、其れは誰もが感じる事だろう。

如何に似ていると言われる親子だろうと双子だろうと、
自分と寸分違わぬ同一のパーソナリティを持つ人は存在せず、
先に、誰もが感じると書いたが、感じ方は各々が違う。

受ける印象や感じ方を細密なパラメーターで表せば、
ピッタリと細部まで重なり合う者同士など存在し得ず、
万人で重なり合いが多い箇所だけを切り取り、
普通や一般的と呼ばれる様な印象が定まり、
そして時間と共に、其れが常識や正しさになる。

計算してデザインされたシンボルやロゴやアイコンは、
このパラメーターの重なり合う箇所を考慮し、
印象のブレが起こらない様に伝達させようとする。

後は、時間経過の中でどんな価値基準を設けられるか?
その事に注力している様は、各メディアでのPRや、
活動内容や活用方法の中で目に出来る。

伝達の利便性として、文字や言葉も確かに有効だ。
しかし、伝えたい事を言葉にすると、半分も伝わらない。
伝えたい相手が言葉を聞いても、伝えは達しない。
だから何度も同じ言葉を繰り返し繰り返すが、
結局は、受け手側の状態が印象を左右するので、
言葉を重ねただけ印象は良くも悪くもなり、
時として、重ねた分だけ無駄が積み重なる事になる。

少し考えてみなくても判る通りに、
世の中の諍いの殆どは、文字や言葉によって起こる。
もし、伝達が正確ならば諍いの半分以上は解決するだろう。

文字や言葉での伝達が正確さに欠けると知りながら、
人は文字や言葉での伝達を止めようとはしない。
こうして書いている文章にしてもそうだが、
長くなれば長くなる程、伝達したい事や印象はブレる。

計算しデザインされたシンボルやロゴやアイコンと同じく、
パラメーターの重なり合う箇所を読み取り、
短い文字や言葉で書く方が伝達は正確で印象もブレない。

「危」とか「毒」という文字が貼られた車を目にした事は?
アレもアイコンに近いが、一目で伝達させる。
「注意」「禁止」等の類の看板を見た事もあるでしょう。
多くの人に対して、伝達や印象にブレは少ない筈だ。

対個人でも同じ事で、相手のパラメーターを読み取り、
伝達したい内容や印象を短い文字や言葉で示した方が、
効果的だし効率も良くなるのは確かだ。

そうなると長い文章や長い話には意味が無いのか?
となるが、そこには別の意味が存在していて、
楽しみや興味や関心と言った類の感覚がある。
勿論、書く者や語る者次第という条件もあるが。

文章を書いたり、話をする立場にあるとしての、
小難しく長い文章、言葉を重ねて話す長い話。
そうやって伝えたい相手に伝えたい事が伝わる様に、
受け取る側が楽しみ興味や関心を持ち考える様に、
出来ているか否かは常に付き纏う第1の課題で、
その後の印象や感想は個人に任せるしかない。

話の歩みは逸れるが、
長い文章や言葉を重ねる事に繋がるので、
伝達と印象についての話をもう一つ。

誰もが何処かで見聞きした事がありそうな疑問。
生まれつき全盲で色を知らない人に色を伝える方法はあるか?

個人的な経験からの話になってしまうし、
正確さに欠けるとしてもだが方法はある。

色が人に与える印象は、ある種の共通性があり、
クオリアや共感覚については更に歩みが逸れるし、
それこそ話が長くなり過ぎるので割愛するが、
他の経験で得た印象や感覚で色を伝える事は可能だ。

質問して代替出来る感覚を持っているかを知る事から始まり、
例えば味覚から湧き上がる印象や感覚を聞き、
自分と共通する印象や感覚のポイントを探り、
どの色がどんな印象や感覚を与えてくれるかを説明する。

先にも書いた通り正確さには欠けるし、
長い時間とコミュニケーションが必要とされるが、
伝え達する事、それ自体は可能だ。

GALLERY REFUSEを大きく改装し、
空間としての在り方を変化させたとしても、
外からの印象は変わりはしないだろうし、
此方が思う価値観も伝わりはしないだろう。

GALLERY MADEというイベントを開催しても、
「また馬鹿げた事をやってやがる」程度の印象は拭えないし、
直ぐに価値を見出して貰えるとも思っていない。

伝わり易いノベルティーや、印象の良いPRより、
長い文章や言葉を重ねる様な方法を選択しているし、
其の弊害も労力や時間も十二分に理解している。

だとしても、長い文章や言葉を重ねる事での楽しみや、
コミュニケーションで知らない色の感覚を共有出来る様に、
時間をかけて伝え達しようとする行動こそが重要だ。

素早く一過性の印象を与えたり伝達がしたい訳じゃあない。
空間に長い時間滞在し体感する事でこそ、
経験として積み重なり、定まっていくカタチを創りたい。
其れが正しいか正しくないかは、未だ判らないが。
  • 2018/05
  • 27 Sunday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 06

世間様への訴え掛けにも色々御座いますが、
何を訴え伝えたいのか?
ってなるのも多々見受けられます。


その理屈だと、携帯灰皿持ってたら何処でも吸えちゃうよ。
そんで、喫煙を禁煙って言葉は合ってんだろうか?


其れは、ブランチと言うのではないのかい?
と、問いたくなる看板を出してる21時の喫茶店。


何を?


まぁ、何を訴え伝えようとしたって自由ですけどね。
脱力しちゃう感じのってアチコチに点在してますなぁ。
  • 2018/05
  • 26 Saturday
  • 23:00

LAST×FAST 04

言葉は、人を喜怒哀楽以上に様々な感情にさせるが、
言葉は言葉として存在し、其れ以上でも以下でも無い。
個人の意思と言葉は、別に存在するものなのだが、
日常的に最も混同され易いのが、意思と言葉である。

多くはコミュニケーションのツールとして使用され、
意思を表し疎通するのに現状は最も適している、言葉。

意思は意思、言葉は言葉でしかないのだが、
人は意思よりも言葉を読み取る事に意識を奪われる。


CHAPTER:04
JAPAN ROAD 01


何を言われたかよりも、誰に何を言われたか。
きっと多くの人が、通常はそうに違いないと思う。

もしも、違うと言う人は、
嫌いな相手に「愛してる」と言われた時と、
好きな相手に「愛してる」と言われた時に、
同じ心境になると言うのだろうか?
本当に同じだと思う人がいるのなら話を進めず、
立ち止まって理由を深く聞いてみたいのだが、
今のところはそんな人に出逢えた事が無い。
先を急ごう。

言葉は、意志や状態や状況や事象を表すに過ぎない。
故に、言葉にとって重要なのは発する者の意思と存在になる。

こう書くと、一見は正しい理論に思えてくるのだが、
統計学的な裏付けすらも取っていないのは別にして、
中々に、この事は推論の域を出ないままだ。

推論の域を出ない理由は様々な場面で見られ、
発する者よりも言葉を重く捉える人達が多く、
その存在が推論の域を出ない最大の理由だ。

近年は電脳空間でが多いが、匿名希望で書かれた言葉。
発した者の来歴や時代背景を知らずに見聞きする言葉。
初対面で素性もよく解らない相手が並べ立てだす言葉。

其れ等の言葉を信じ、傷付き、尊敬し、期待する。
平たく言えば、ネットの書き込みや何処かの偉人や詐欺師、
そういった類の言葉を真に受けてしまう人達。

少し、そういった類の言葉を解説してみよう。

ネットの書き込みを見て一喜一憂する人もいるが、
匿名希望の相手とするコミュニケーションであり、
要するに、一昔前に流行ったテレフォンセックスと同じだ。

不特定多数の匿名希望な相手と異質な空間で、
周りの人にはしない、普段の自分とは違う自分を装い、
共通の趣味や対立する意見をぶつけ合う。
テレフォンセックスとの違いは何処に在る?
趣味の問題なので楽しむのは自由だが、
実際のセックスとはまるで違う。

何処かの偉人の話を信じ込んで感銘を受けるのは勝手だが、
その言葉は何処で見聞きしたのだろうか?
きっと本人からではなくて何かしらのメディアだろう。

偉人とされている人を悪く言いたい訳では無いが、
多くの偉人の言葉は歪められた状態で後世に伝えられ、
教育や宣伝の為に切り取られて使われていて、
言葉と其れを発した偉人の存在は乖離している事が多い。

そういった事実に対して目を背けて感銘を受けるのは自由だが、
携帯電話もパソコンも録音機器も無い時代の言葉を
現代を生きなければならない中で、どれだけ信じられる?

詐欺師の言葉は特に巧妙だ。
こちらが言葉から存在を読み取るよりも早く、
こちらの存在を読み取って選んだ言葉を使ってくる。

ある意味では、言葉で存在を覆い隠すプロであり、
存在そのものを言葉だけで捏造してくるので、
ミスリードさせられる人達が後を絶たない。

例えば、こんな話をされたらどうだろう?

駅前の商店街の東にある「焼烏屋」と、
駅前商店街の西にある「焼鳥屋」では、
どちらの方が儲かっているだろうか?
貴方は頭が良くて注意深い人だから、
きっとすぐに答が解りましたよね?

陳腐な例題だが、注意すべき言葉は最後の一行だ。
さて、正解は何だろうか?

皆さんが正解を出せたかどうかは別にして、
解説が長くなり過ぎた、話を先に進めよう。

発する者よりも、言葉そのものを重く捉えてしまう。
これにはもう一つ、捉える側だけが問題なのでは無く、
発する側にも問題があり、実を積んでいるか否かがある。

長ったらしく解説をしたのも、この実の話の為だが、
実を積んでいない者の言葉は、どうしても弱い。
所謂だが、説得力が無いのだ。

如何に尤もらしい言葉を積み重ねても、
紛れも無い実の積み上がりの前では意味を成さない。
言葉がただの言葉であり、実績という存在が重要になる。

では、何故?
と、先程の解説にあった書き込みや偉人や詐欺師が浮かぶ。

其れは、書き込みが不特定多数の匿名希望という、
存在数が測れない故の存在感であり。
偉人とされている歴史とメディアによる刷り込みが、
信頼を持たせているからの存在感であり。
プロフェッショナルとして鍛え上げているからこそ、
詐欺師が持つ事が可能な存在感であり。

ひょっとしたらではあるが、これが最大の理由である、
赤の他人だからこその存在の重要性だろう。

時に人は、日常的に付き合っている人達の前での自分を
本来の自分、自分だけが知る自分と乖離させてしまう。
その乖離の空白を埋める一端として赤の他人の言葉を選ぶ。

さて、そろそろ話を一つに纏めて結論へと向かおう。

意思は意思、言葉は言葉であって、
意思を発する為に使用されるのが言葉なのは間違いない。
であるならば、発する意思を持つ者の存在が重要であり、
その意思を読み取る為の言葉である筈なのだが、
意思を読み取り感じるよりも言葉を読み取る事や、
存在が不確かな者の言葉を信じる人が少なくないのだが、
実績の前には如何に上手く言葉を並べても重要とされない。
意思と言葉には、そんな矛盾とも取れる意識が働いている。
さて、何故だろうか?

一言で言い表すならば、
人は信じたいモノを信じ、見たいモノを見る。
そして、人はとても都合良く意識を働かせる生き物だ。

ある時は、気持ちを言葉で伝えてと強請り、
ある時は、気持ちがあるなら態度で示せと怒り、
ある時は、身近な人よりも他人の一言に身を委ね、
ある時は、家族の言う事なら信用できると言い、
ある時は、どんな贈り物よりも優しい言葉を欲しがり、
ある時は、口で言う理想ばかりじゃなく実績を求める。

こんな僅かな例えの中でも、身に覚えはないだろうか?
人は日々の生活の中で自分が思うよりも激しく変化し、
自分が知っている以上に感情は揺れ動くもので、
意識しているよりも遥かに都合の良い自分が存在し、
信じている自分に比べて本当は不条理な自分である。

では、だからどうする?という問題が残る。
都合の良い勝手な人かどうかを見分けるのに努力するか?
意思が伝わらないならと言葉を発するのを止めてしまう?
人の意識がどうであろが自分の意思を言葉にし続けるか?

何れを選んでも、其れは選んだ者の意思だ。
世界が不条理だから選ばざるを得ないからでは無い。
自分の意思を発するのに、世界は最初から不条理だ。

世界は自分の意思を発するのに不都合だ。なんて、
自分に都合の良過ぎる言葉だとは思わないかい?

10年間、SPEED SPECTERで旅したJAPAN ROAD。
不都合じゃない事なんて、数えられる程も無くて、
何をするにしても不条理さと戦うしか無かった。

いつまで経っても、間違えられるタイトル。
いつまで経っても、記憶されないコンセプト。
いつまで経っても、勘違いされるブランド。
いつまで経っても、理解されないクリエイション。

其れが当然な事でしかなく、
其れでも旅を続けて意思を発したかった。
物創りがしたくてしてる旅に、他に何が在る?

意思が読み取られない事を嘆いて立ち止まったり、
詳しく説明する為の言葉を使うよりも、ただ創ればいい。

旅の中、意思が確かなカタチとして実を成したなら、
その時には、創り手の存在なんぞ重要じぁない。
  • 2018/05
  • 25 Friday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 05

パッケージは色々と物事を教えてくれるが、
時折、丁寧なせいでよく解らない時が有る。


よく解ります。
通常版というか、大きく書いてなくても問題無い。


まぁ解ります。
人によっては通常版、人によっては必要無し。


……………………解らない。

何で入れたんだかが解らない。
売りになるのかどうだかも解らない。
合うんだか何なんだか解らない。
解らないでいいのかも解らない。

こーゆーのが解らない時に、
自分がツマラネー野郎だと感じます、俺。




…………美味くなかったから、余計に解らない。
  • 2018/05
  • 23 Wednesday
  • 23:00

LAST×FAST 03

差別の意識を軽蔑し、性別の扱いを侮蔑し、
個別の思想は分別が覚束なくなる。

清廉潔白を求める集団ヒステリーにも似た現象を
日々、情報として何かしらの媒介から得ている。

讒謗の言葉は止まらず限りなく増えていくが、
本来は境界線の不当さを訴えていた筈の意見は、
次々と蔑視を起こし境界線はボヤけて修正の趣を見せない。


CHAPTER:03
FAKTORY DAYS


世の動きが、ダイバーシティを広めようとし、
社会的なマイノリティに対しての活躍や、
雇用や生活に於いても「多様性」を認めさせようとする。

簡単にダイバーシティの広がりを語るとするならば、
アメリカでのマイノリティや女性の積極的採用に加え、
差別の無い社会や処遇に端を発している点と、
人種や宗教、性別や価値観、生活や職業の違いを
互いに認め合い平等な処遇にしようという動きだった。

素晴らしい動きに感じられる、多様性を認める運動。
解り易い事例で述べると、LGBT問題なども該当するし、
女性軽視や障害者蔑視の問題が挙げられる。
確かに、幾つかは解決改善すべき問題だ。

しかし、その一方で男性に頼って生きていたい女性や、
性を売り物にして生活したい男性や女性や、
世間から認められたく無いLGBTの人々、
障害者である事を売りにして仕事する人達の価値観は?
マイノリティだからと切り捨てるのだろうか?

もう少し踏み込んでみよう。
LGBTの問題を軽く考えるべきでは無いだろうが、
その価値観を認めるという考えの人々が居るならば、
その価値観を認めたく無いという考えも居る筈で、
その思想や考え価値観は無視しても良いのだろうか?

性別や性癖や性衝動については、世間は口を閉ざしがちだが、
多様性というならば、ロリコンやペドフェリアは、
何故、特に女性には認められないのだろうか?
意思確認せずに無理矢理に関係を迫ってでは無く、
互いの意思があっての関係でも容認されないのは何故か?

話を軽い方向に転換させよう。
外食の支払いを男性に奢って欲しい女性の割合。
よく話題になるような内容だが、逆の割合はどうだろう?
男性に奢って欲しい女性は調査の対象になるが、
女性に奢って欲しい男性は調査の対象になり難い。

また、男性に奢って欲しくない、割り勘がいい女性は、
割り勘が好きなのか?奢られない自分が好きなのか?
おそらく多くの男性は割り勘が好きなのではなくて、
好きなのは女性に奢れる自分の方がだろう。
あくまで、金銭的に余裕があれば。という仮定が付くが。

男女平等では無くて、対等な立場と訴える人もいるが、
其れは平等よりも無理な話で、肉体構造の違いがあり、
立場の違う生き物がどうして対等な立場になれる?

若い女性を性の対象にする男性を軽蔑する女性。
それならば、年配の女性を性の対象にする男性も、
同じく軽蔑の眼差しで見るのだろうか?
どうやらそうでは無さそうだ。

そろそろ多様性についての話に戻ろう。
ポリティカル・コレクトネスという意識は、
これも米国から発祥していると思われるが、
其れは、生活する人種・宗教・性別の「多様性」が生んだ、
ある種の諍いを避ける為の意識でもある。

米国に滞在する時間が多いと、法とは違う規律を感じる。
多民族の中で生きようとするならば必要となる思考、
多数の価値観を容認せざる得ないから生まれる意識、
諍いを避ける為の境界線とでも言った方が良いか。
同時に、差別意識の根深さと理解されない価値観を感じる。

主観での意見になってしまうが、
ダイバーシティも、ポリティカル・コレクトネスも、
所詮は、経済の安定している側の容認でしかなく、
差別され、搾取されている側の意見が勝っている訳では無い。

悪い言い方をすれば、得ている側のトレンドで、
良識人ぶる為のエチケットやドレスコードに近く、
本質的な別け隔ての境界線を壊してはいない。

差別を肯定する気は無いが、平等が正しいとも思わない。
扇動された意見のぶつかり合いで境界線をボカすのではなく、
競争と協調を繰り返す中で境界線を壊す事こそが、
多様性を認めていくには必要不可欠な筈だが、
どれくらいの考えを持って貴方は平等を語っているだろうか?

多様性と境界線をビジネスに当て嵌めよう。
初歩的なビジネスにとって必要なのは多様性より、
ターゲットを絞ってピンポイントで展開する事だが、
やがて、その展開は行き詰まり多様性を求めだす。

例を挙げるまでもなく、近年のコンビニエンスストアや、
チェーン展開の飲食店を見るだけで解り易い話だが、
取り扱う商材やサービスの多様性に加えて、
ターゲットの境界線を持たないPRを展開している事は、
具体的な例題を挙げるまでも無い。

さて、シルバーアクセサリーの業界ではどうだろうか?
90年代のブームは訳も解らず多様性が存在していたが、
やがて淘汰された2000年代中盤には多様性は薄くなり、
ある種の境界線が出来上がって不可侵になりだした。
2010年代はシルバーアクセサリー全体の多様性はあっても、
境界線は更に細かく別れ、専門店的な創り手が増えた。

ビジネスとしては、国外への進出なども増え、
多様性が増しているかの様に感じるが、
専門化が深くなっているだけとも言える。

平等と同じく、多様性が単純に素晴らしいとは思わないし、
多様化に向けて走らせた事も有りはしないが、
境界線を壊そうと動き回っている自分が在るのは確かだ。

LAのFAKTORYで過ごす日々と創り出す何かは、
細かく別け隔てる境界線を、ゆっくりとだが確実に、
壊しながらも多様性を生んでいるのを感じる。
  • 2018/05
  • 22 Tuesday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 04










一般的には、カラフルな情景は美しく感じるらしいが、
貧困に近い場所でのカラフルな情景に遭遇すると、
如何ともしがたい気持ちになるのは何故なんだろうか?

色にも色々あるけれど、上品な色使いってありますよね。
そーゆーんじゃなくて、少し妙な色使いってのは、
貧困に限らず目にする事が多々ありますが、
大概は残念な気持ちにさせられます。
  • 2018/05
  • 21 Monday
  • 23:00

LAST×FAST 02

恐怖は、原始脳に備わる危険察知の機能であり、
痛覚が自己の肉体が脅かされるのを伝えるのと同じく、
恐怖を感じる事で自己の生命が脅かされるのを防ぐ。

では、恐怖に近い不安はどうだろうか?
恐らくは、不安を常に抱えて生きる生物は人類のみだろう。
他の生物は正しく恐怖を理解し、対処する自己を知る。
人類は、その文化と叡智により恐怖を減らしたつもりで、
新たに恐怖を増やし解消出来ない不安を生み続ける。

恐怖はどんな場所にも確かに存在するのに対し、
不安は自ら生み出しているだけなのだが、
生み出した不安を前に蹲るのか後退するか?
それとも前に進み出るか。


CHAPTER:02
mode matiere


幸福とは、不安を感じない事だ。
常々そういった趣旨の言葉を見聞きする事がある。
では、どうすれば不安を感じないのだろう?

答は単純に、満たされる事でしかない。

人の精神を単略的に一杯のグラスとするならば、
空いている時には様々なモノを入れようとする。
何故なら、空いている状態でいることが、
つまり、空白に不安を感じてしまうからだ。

世の中には、好む好まざるに関わらず様々な情報が溢れ、
日々、万物は流転し色々な事象が起きては消える。

自分のグラスに入れたくないモノは入れない。
そんな人もいるだろうが、基本的には自然と入ってくる。
個々の精神のベクトルに合わせグラスを満たさんと、
様々な情報や色々な事象で空きは無くなっていく。

やがて、不安を感じていたはずの空白に対して、
望まないモノのが多くグラスが満たされると、
今度はソレを排除しようと精一杯の抵抗を試みる。
方法は二つ。

例えになるが、想像してみて欲しい。
グラスに満杯になった泥水を無くすには、
グラスをひっくり返し空にして洗う事を取るか、
満杯のグラスにいつまでも水を入れ続けて流すかだ。

前者を実際の事例に合わせてみると、
状態と状況を把握しマインドセットをやり直す人で、
後者を実際の事例に準えてみれば、
よくあるアルコールやドラッグ、人間関係への溺れ方だ。

如何にグラスが望まない泥水で満たされようと、
泥水も正しく手間をかけて分ければ、泥と水になるが、
そんな事をする時間や手間を惜しんだり、
そもそも方法を知らなかったりする場合が多い。

そうして、泥水で満たされたグラスに上から水を流し続け、
底には比重の重い泥だけが溜まったままになっていき、
満たされていても常に水を欲しがり、即ち不安も消えない。

少し逆の話を挟んでみよう。
綺麗な水だけでグラスを満たしているとして、
其れを幸福とした場合、幸福はいつまでも続くだろうか?

答は単純に続かない。
万物は流転し、状態も状況も変化していくし、
留まったままの水もやがて腐り干上がる。

満たされている事に幸福を感じて慢心していれば、
己では気が付かない間にグラスの中身は濁り減っていき、
満たしていた筈が慢心から不満を起こし不安に至る。

話を元に戻そう。
不安は無い方が良いモノだと常々言われるが、
種類と状況によっては少し違う。

行動の結果が何処へ向かうか判らない不安。
選択が何を引き起こすか予測出来ない不安。

予定調和の結果を求めない、そんな状況では、
正当な筈の不安の無い行動こそが破棄されるべきで、
泥を掬って握り締め、水を絞り出す様な行動が必要だ。

金属を打ち曲げ穿ち削る。
どの位の力で、どの位の速度で行えば、
金属の形状がどう変化していくかは想像出来る。

自分の想像が及ばない様な打ち方をして、
自分の想像が及ばない様に金属を変化させる。

カタチとして成立しないかも知れない不安と、
カタチとして成立させようとする意志の鬩ぎ合いを
誰よりも楽しむのは創り手の特権だ。

不安を拒否するのではなく不安を楽しみ、
何処へ流れるかも判らぬ中で流れを見出す。

mode matiereの根幹には、
創作に於ける得体の知れない不安が常に在る。
普段使用する技術だけでは対処出来ない、
自分の持ち得る技術を探求する旅でもある。

マトモな技術や、しっかり学んだ技術を否定する気は無いし、
絵図面からしっかり組み上げる物創りも重要だが、
想像通りに出来るクリエイションだけじゃ面白くない。

想像通りにいかないクリエイションの面白味。
自分でやりながらも先が読めないで進む創作。
人がやってる事を見てウダウダぬかす暇があんなら、
口動かすよりも手動かしてやっみろ。

と、言いたいところだが、
グラスがブッ壊れていない創り手にはお勧めしない。
  • 2018/05
  • 20 Sunday
  • 23:00

旅の最中の奇妙な情景 03







国内に居ても国内を旅してても、
何かしらのアホらしい情景には触れる。

其れを繰り返してると其れが当たり前になるが、
当たり前な事ほど他方から見るとアホらしい。

当事者にとっては重要で必死な事も、
外から見たらアホらしいのと同じですなぁ。
  • 2018/05
  • 18 Friday
  • 23:00

LAST×FAST 01

人は自分の定めた枠で世界を決める。
如何に新しい世界に触れても、枠が同じならば、
世界が変わる事は無い。

変化は、無くす事から始まり有する事で終わる。
難しいのは有するよりも無くす事の方であって、
無くす其の瞬間は、あたかもマジックの様である。


CHAPTER:01
BLOOD SILVER INK MAGIC


物心がつく前の価値観の上位は本能に従う事であり、
生存の為の行動原理が全てと言っても過言では無いし、
其の為の行為は全て容認するのが社会の常識だ。

常識の備わっていない者を容認するのが常識。
と、言葉にしてしまうとパラドックスの様だが、
此れは何も物心がつかぬ赤子に対してだけでなく、
成人に対しても其処彼処で見受けられる常識だ。

特に日本人は外国人に対しては日本的常識を押し付けない。
食事の作法や挨拶だけでなく、道を尋ねる言葉ですら、
日本語という常識を押し付けずに容認する。

海外に行く機会があるならば日本語で道を尋ねてみるといい。
意味を理解して日本語で教えてくれる人は殆どいない。
つまり、日本人の常識は海外で容認され難い。

日本にて英語で道を尋ねられたら使ってた言葉がある。
「You know where you are?」
「You in the Japanese baby」
「Speak Japanese!!」

余すところ無くガンズの歌詞から引用しているが、
英語圏の外国人が常識にしがちな、英語が共通語であって、
日本人は親切な人が多いから教えて貰えるという常識を
皮肉って崩すには使い勝手の良い言葉だった。

今ではそんな事もしなくなったし、少し余計な話だった。
先を急いで話を本題に戻すとしよう。

個人個人が皆、常識の無いところから始まり、
何処かの時点で常識という名の枠を固めて、
其の枠の中で自らの世界を定める。

そして、其の枠は歳と共に硬くなり世界は狭くなる。
枠の外の事は、よく知らない関わりの無い事で、
常識的な範囲で生きる日々を、日常として捉える。

やがて、其の日常を過ごす事を普通と呼び、
普通でない事態や事象に出遭うと必ずの様に、
「アリエナイ」という言葉を使い認めようとしない。

既に其の事態や事象が、「在り得て」いるのに、
其れを目の当たりにしてから「アリエナイ」と言う。
とても判り易い、変化への拒否反応だ。

其の「有り得ない」という拒否反応は、
自分にとって「在」を認められないという意味と、
自分には「有」る事が出来ないという意味でもある。

常識という枠の中に「在る」事にさせれず、
常識として「有る」人にもさせれないとしたら、
其れは認識される事も存在すらも無い事になる。

しかし、
「在る」事によって「有る」事に変化させられたなら、
其の変化の瞬間こそが、マジックにも等しく、
今迄の常識という枠を壊し無くさせて、
新たな価値観と世界を生む。

「アリエナイ」「非常識」「普通じゃない」
そんな風に言われ続けた自分の技術が、
血とインクの匂いがする中でマジックを生み出す。

其の瞬間が欲しいだけで旅してる訳じゃあ無いが、
マジックの無いテクニックなんて意味が無い。

いつの日か誰かにとって、
マジックから常識的な「有る」事になっても、
「在る」事が無くされない様にはなってたいがね。

少なくとも俺にとってTATOO CONVENTIONに出るってのは、
在り続けようとする自分を試す場だ。

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